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小池さんは60代の男性だ。彼はもう長いこと首の調子が悪い。あちこちの病院だけでなく、民間療法でもあらゆるところへ行ってみた。それでも結局全然よくならなかったのである。

ところがうちに来たら、ほんの一瞬で治ってしまった。あまりに劇的な変化だったから、すっかり私の技術にほれこんで、それ以来、大した症状がないときでも、ちょくちょく私のところに訪れるようになっていた。

自分だけでなく、新しい患者さんを連れて来てくれることも多かった。そうやって次から次へと紹介してくれるのは、男性にはめずらしいタイプである。しかしなぜだか、連れてくるのは決まって外国の人ばかりなのだ。

小池さんはしょっちゅう海外に出張しているらしいが、本当のところ彼の職業はよくわからない。でも出張から帰るたびに、必ずゴディバのチョコレートをお土産にもってきてくれる、律儀な人だった。

ある日のこと、彼から電話がかかってきた。「赤坂の〇〇ホテルまで来て、患者さんを診てほしい」というのだ。もう出張での施術はしていなかったけれど、超のつくお得意様の小池さんの頼みでは断れない。赤坂なら遠くはないから、予約の合間をぬって出かけた。

指定されたホテルに早めに着くと、彼はすでにロビーで私を待っていた。軽くあいさつを交わすと、ロビーを通り抜けてスタスタと人のいない通路を進んでいく。ここはかなり大きなホテルだが、さすがにこのまま行くとホテルを出てしまう。

患者って、このホテルの宿泊客じゃないのか。そう思いかけたころ、すみっこにエレベーターが見えた。その前に小さなカウンターがあって、和服姿の女性が立っている。

彼はそこで手続きをすませると、エレベーターに乗り込みながら、これはこのホテルの特別室専用のエレベーターだと教えてくれた。特別室の存在は、一部の人しか知らないのだという。

私たちが乗り込むと、エレベーターは静かに上がっていく。階数の表示がないから何階かもわからないが、小さくゴンと音を立ててエレベーターが停止した。開いたドアの向こうは、ふかふかのじゅうたんが敷かれた通路になっている。その先が特別室の入口らしい。

その入口の前に、やたらと背の高い外人男性が立っているのが見えた。彼は親しげに私に向かって手を振っている。だれだろう。近づいてみると、ロシア人のセゲレである。

セゲレは、前に腰痛で私のところに来たことがあった。あのとき職業を聞いたら、「ロシアの秘密警察です」と流暢な日本語で答えて、ニッと笑った。全く本気にしていなかったけれど、あれは本当だったのか。今日の彼は、ここに宿泊している要人の警護をしているのだろう。

セゲレが開けてくれたドアから、小池さんと二人で中に入る。そこは床に大理石を敷き詰めた広いエントランスになっていた。私の木造アパートの玄関とあまりにちがうせいか、ちょっと足が出しにくい。

その先にこれまた広いベッドルームがあって、そこにはガウンをまとった今日の患者である要人氏が、特大のベッドのふちに腰かけていた。多分、このベッドのサイズだけでも私の部屋ぐらいはあるだろう。

小池さんの説明によると、私には覚えきれない長い名前の要人D氏は、世界的な大富豪だが、ずっと首の調子がよくないらしい。

もちろん彼は経済力にモノをいわせて、世界中のあらゆる名医を訪ねて回った。しかし一向によくならなかった。それを聞きつけた小池さんが、自分の首を劇的に治してくれた治療家が日本にいるといって、私を紹介したのだろう。

D氏は、いかにもロシア人らしい骨太の大男である。日本語も少しはわかるらしい。だが決して愛想はよくない。体調が悪いのだから仕方ないが、やっぱり大金持ちなんて苦手だ。

もし施術に失敗でもしたら、「約束がちがう!」とかなんとかいわれて、私が闇に葬られる危険性もないとはいえないじゃないか。そうはいっても小池さんの手前、何もせずに帰るわけにもいかない。セゲレだって、ドアを開けてくれないかもしれない。

私は覚悟を決めてD氏の後ろに回ると、黄色い毛の生えた太い首を調べてみる。すると首の2番目と7番目の骨が大きくズレていた。きっとこのせいだ。原因がわかってホッとした。

どんなに丈夫な骨をしていても、これだけ大きくズレていれば、首の調子が悪くて当然だ。頭痛もあっただろうし、腕にも症状が出ていたかもしれない。

そこでセオリー通り、ズレている骨を指でソーッと定位置までもどしてみた。2、3回軽く矯正をくり返すと、そのままうまくおさまってくれた。案外すなおな骨である。

しかし彼にしてみれば、首に軽く触れられた程度にしか感じていないから、まだ何が起きたのかはわかっていない。小池さんが、「首を動かしてみて」とロシア語でいうと、2、3度首を振ってみた。それで初めて効果を実感したようだ。

いきなり彼の眉の位置がピッと上がった。ロシア語で何か叫んでいる。小池さんが、「信じられないといってます」と通訳してくれた。D氏は表情が明るくなって、ほほが紅潮している。さっきまでの仏頂面とは打って変わって、満面の笑顔で同じ言葉をくり返しているから、よほどうれしかったのだろう。

今度は紹介者である小池さんに抱きついて、彼の背中をバシバシたたきながら「スパシーバ、スパシーバ!」といっている。応じる小池さんも、「当然」という顔をして満足そうだ。さあこれで私も一安心である。任務は果たしたから、さっさと帰らせてもらおう。

ところがD氏の喜びはつきない。「それじゃ妻も」といって、別室にいる奥さんの名前を呼んだ。なんだかイヤな予感がする。彼に呼ばれて入ってきたのは、直径5センチはあろうかという巨大なダイヤを首からぶら下げた、妙に威圧感のあるロシア人女性なのだった。(つづく)

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