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私のまわりには、釣り好きの女性がけっこういる。先日も、その筆頭の河原さんが、自分が釣ったフグをくれようとして困った。たまたま仕事の打ち合せ中にその話をしたら、杉本さんまでが、「私もいちど釣りをしてみたい」といい出した。

ちょっと待てよ。杉本さんはどう見てもオタク、いやインドア系ではないか。他のワイルド&アウトドアな友人たちとは、全くタイプがちがう。日焼けとか海風とか、ましてや釣りエサのイソメ手づかみなんて、からっきしダメそうだ。

彼女の意外な申し出にとまどった私は、「エエ、じゃ、ま、今度行きましょうか」と、あいまいな返事をしておいた。

実際、「いちど釣りをしてみたい」という女性は多いけれど、ほとんどは私に話を合わせているだけなのだ。ところが杉本さんは、「それではいつにしますか」といいながら、もうスケジュール帳に手を伸ばしている。

イカン。本気である。さすが元・野武士。武士に二言はなかったのだ。

そもそも釣りには、一発大物狙い派と、釣れりゃあ雑魚でも何でもイイ派がいる。フグまで持って帰る河原さんは、もちろん後者である。私はというと、いつだって大物狙いなので、全く釣れないで手ぶらで帰ることが多い。

しかし杉本さんは初めての釣行だから、やっぱり何か釣って帰りたいはずだ。そういって水を向けると、手帳をにらんだまま、「いえ、一発大物で」と即答だった。恐る恐る「釣れないかもしれませんヨ」と念を押したが、それでもいいらしい。

そうか。それならそれで行こう。だが大物狙いとくれば船に乗るべきなのに、あいにく私は船酔いにめっぽう弱い。もちろん船は高くつく。そこでとりあえず、いつもの陸釣り(おかづり)と決めた。

翌週の水曜日。手帳を見ていたら、明日は仕事の予約が入っていないことに気がついた。しがない自営業者としては、仕事に空きがあるのはありがたくない。しかし、これは約束を果たすチャンスである。お天気も悪くなさそうなので、早速、杉本さんに電話して、翌朝の始発電車のホームで待ち合わせることにした。

ホームに着くと、いつもの格好の杉本さんが立っていた。足元だけはスニーカーだ。もちろん私も釣り用のウエアなんか持っていないから、普段着のままである。始発だし、通勤客とは逆向きなので車内も空いていて助かった。

電車を乗り継いで向かった先は、小田原の早川駅からそれほど遠くない場所だ。漁港の先に、ちょっとした釣り場がある。ここは電車で行ける場所のわりには、案外よく釣れる。

ところがいつもの釣りポイントに着いてみると、海岸には古タイヤやら漁具やら、得体のしれないゴミが大量に打ち上げられていた。昨日はえらく海が荒れたようだ。

「こりゃダメだな」

海が荒れた次の日というのは、釣れたためしがない。案の定、エサを付けた針を投げ込んでも、竿先はピクリともしない。杉本さんには申し訳ないが、早くもボウズの気配が濃厚だ。

それでも杉本さんは、釣りの合間に浜を歩き回っては、ビーチコーミングにいそしんでいる。ゴミに混ざって、色とりどりの貝殻が混じっているのを見つけては、砂の上に並べている。

私も周囲を見回すと、15センチほどの細長い骨が、砂に半分埋まっているのを見つけた。拾い上げてみると、波に洗われた真っ白の骨だ。私は2、3度握ってみてから、近くの古タイヤの上にのせた。

結局、この日は1日粘っても釣果はゼロで、二人して見事にボウズだった。杉本さんとしては、海に来られただけで満足そうである。私も約束が果たせてホッとした。

日暮れに乗り込んだ東海道線の車内は、通勤帰りのサラリーマンで混んでいた。ほどよい疲れとともに電車に揺られていると、吊り革を握った手のなかに、砂浜で拾ったあの骨の感触がよみがえってきた。

「あ、あれはヒトの骨だ!」

思わず声が出た。あれは人骨で、成人男性の上腕骨の感触だった。あのときは釣りに意識が向いていたけれど、今、冷静になって思い返してみると、まちがいない。となりに立っている杉本さんに話すと、「それなら警察に届けないといけませんね」といった。

そうだそうだ。人骨を見つけたとなったら警察だ。私は駅で杉本さんと別れたあと、アパートの近くにある交番に立ち寄った。都合よく、暇そうにしていたお巡りさんに、小田原の海岸で骨を見つけた話をしたら、管轄の署へ連絡してみるといってくれた。これで責任は果たした。

その翌々日、「さあ昼ご飯でも食べに行くか」と思っていると、私の携帯電話が鳴った。「0465」から始まる見慣れない番号だ。あわてて出てみたら、小田原の警察署からだった。

その人の話では、あの骨は私がいった通り、海岸の古タイヤの上で見つかったようだ。調べてみたらやはり人骨で、成人の上腕骨だったらしい。しかし事件性が薄いので、「この骨は、こちらの署で処分することになりました。ご協力ありがとうございました」。そういって電話は切れた。

やっぱりね。でも、ちょっと握ってみただけで上腕骨と見破ったとは、われながらスゴイじゃないか。そう思う反面、あの状態でなぜ事件性がないと判断できるのか。そこがふしぎだ。

あれは決して火葬された骨ではない。しかも波で洗われてはいても、骨の折れ口は新しかったのだ。事件性はなくても、事故かもしれないじゃないか。

早速、杉本さんにも、このいきさつを報告した。人骨だったなんて気味悪がるかと思ったら、全く気にもしない。それどころか、「警察で処分しちゃうんですか。落とし主が現れなかったら、あの骨はあとで先生がもらえるはずだったのに」と妙なことをいっている。

そういわれてみれば、そうかもしれない。経緯はともかくも、事件性がないのなら、たしかにあれは落とし物である。腕の(骨の)落とし主が、まだ生きている可能性だって、「絶対にない」とはいえない。

イヤイヤそんなことよりも、あの浜には、まだ他の部分の骨だって砂に埋まっているんじゃないか。そんなことまで考え始めたら、また骨を探しに行かなきゃいけないような気がしてきたのだった。(つづく)

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