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友人の子どもは大きくなるのが早い。ついこのあいだ生まれたばかりだと思っていたら、「もうそんな年なの!?」と驚くことがよくある。その度ごとに、独身の自分だけが、世の中から取り残されているような気分になったりする。

先週、樹森さんの家に行ったら、私が出産に立ち会ったカナちゃんも、もう3歳になっていた。あのときは大変な思いをさせられたけれど、こうやってカナちゃんが元気に走り回っている姿を見ると、妙に感慨深い。片手に乗るほど小さかったあの子が、こんなに大きくなったかと思うと、胸の奥にじんわりと来るものがあった。

そんな私の感慨などよそに、樹森さんは暴れているカナちゃんの体を押さえつけると、「ねぇ、この子の体ダイジョウブかな。ちょっと診てやって」という。

これだけ元気なんだから、まず問題なんかないはずだ。気楽に「診てやって」と頼まれても、私にしてみたら小さい子の体を診るのは気が重い。

そもそも子どもは絶対にじっとしていない。しかも私は子どもの扱いに慣れていない。まして相手が女の子となると、なおさら苦手だ。

私がためらっていると、そばで二人の会話を聞いていた樹森さんのお母さんが、「カナちゃん、おばあちゃんがやってもらうから見ててごらん」といったかと思うと、いきなり私の前に大きなおなかを上にしてゴロンと横になった。

その姿は、近所のクロさん(ノラネコ・オス・推定3歳)が私になでてほしいときに、足元にゴロリと倒れ込んでくるのに似ている。

いやいや、ネコといっしょにしては失礼だろう。私は彼女に促されるまま、両手を肩に当ててみせる。すると彼女は、「気持ちエ~~ッ」と、腹の底から雄叫びを上げた。

その声の大きさには、私どころかカナちゃんも驚いた。すごい勢いで、向こうにいるベビーシッターの瀬戸さんのところまで逃げて行って、おびえた表情でこちらをうかがっている。

「こりゃダメだ。作戦失敗だわ」といって、樹森さんは大笑いである。おばあちゃんは横になったまま、状況を理解できずにキョトンとしていた。

このシュールな展開に、みんなでひとしきり笑ったあと、樹森さんがハッとして私を見た。「そうだ、そうだ。そういえば瀬戸さんのお母さんがネ、今腰痛がひどくて寝たきりなんだって」といった。

樹森さんは、あちらでカナちゃんの相手をしていた瀬戸さんを呼ぶと、一渡り私の話をしてから、「この先生の施術ならぜったい良くなると思うヨ」と念を押した。それを聞いた瀬戸さんも、顔の広い樹森さんがそこまでいうのなら、ぜひともお願いしたいといい出した。

瀬戸さんのお母さんの春子さんは、若いころに脊椎カリエスにかかって以来、ずっと背中が曲がってしまっているらしい。脊椎カリエスは最近ではほとんど耳にすることがないが、結核菌によって背骨が変形してしまう病気なのである。

しかし春子さんは背中こそ曲がっているものの、70歳を過ぎてからも日常生活には何の問題もなく過ごしてきた。ところがここ数年、頻繁に腰痛に悩まされるようになっていた。

病院では、カリエスで背骨が変形しているのが原因なので、治しようがないといわれたらしい。だからこれまでは、同居している娘さんたちの手を借りながら、だましだまし暮らしていた。しかし今回の腰痛は特にひどくて、ベッドから起き上がるのも難しく、ほとんど寝たきり状態なのだという。

背骨の変形が原因でそんなにひどい症状なら、私が施術したって効果なんかあるだろうか。しかも脊椎カリエスの人なんて、今まで診たことがない。どうしたものかと考え込んでいると、樹森さんは「いいから、軽く診てあげてヨ」という。

なぜかはわからないけれど、私のまわりにいる女性は大胆で、何でも迷うことなく決断する人が多い。その上、自分がこうだと決めたら、やたらと押しが強いのである。仕方がない。「診るだけ診てみましょう」といって、とりあえず引き受けるしかなかった。

「じゃ、今から行こう!私、車出すから、おばあちゃん、カナをよろしくネ」

樹森さんはそういうやいなや、車のキーを握って立ち上がった。瀬戸さんの家は、樹森さんの家からそれほど遠くはないから、善は急げということなのだろう。瀬戸さんもあわてて、家で寝ている春子さんに電話すると、「今からみんなで行くからね」と伝えた。

それにしても、脊椎カリエスとはどんな状態なのだろう。カリエスという病名が、私の遠い昔の記憶を呼び起こす。あれは確か、中学校の教科書に載っていた志賀直哉の小説『城の崎にて』に出てきた病名のはずだ。

小説の筋は覚えていない。それでも、城の崎という全く知らない地名と、カリエスというカタカナの病名がミステリアスに感じられて、印象が強く残っていたのである。(つづく)

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