小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

カテゴリ: 小説『ザ・民間療法』

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113
がん患者には、左側の脊柱起立筋が異常なほど固く緊張している人が多い。起立筋だけではなく、左半身の知覚はことごとく鈍くなっている。そんな状態では、どんなに力を入れてもんでも叩いても、ビクともしないのである。

ところがある特定の神経をねらって、指で軽く刺激しつづけていると、突然、知覚が変化する。昔はテレビが映らなくなったら、横からポンポンと叩くと急に映りだすことがあった。電気の接触不良が、外からの軽い刺激で直ったのだろうか。私の手技も、原理としてはそれに似ている。

しかしこの刺激は、相手によっては全く通用しないこともあった。まだまだ私の技術は完成していないのである。だが、だれも知らなかった現象なのだから、これから改善していけばいい。そのためにも、この技を整体学校で紹介する機会があってよかった。

ここまで体験モデルをやってくれた加納先生にお礼をいうと、今度は私の体を使って、大外先生にもこの刺激をやってみてもらうことにした。

私はこの手技を神経刺激と呼んでいる。神経刺激のやり方は、筋肉と筋肉の間に親指の先を軽く当てていくだけだ。やることはかんたんでも、刺激するポイントを見つけるのがちょっとむずかしい。そのねらい方を一通り説明する。

説明が終わると、周りで見ていた人たちも、それぞれがペアになってチャレンジし始めた。するといきなり受け手の人たちから、「ギャーッ、ヒィ~~ッ」という悲鳴が上がり始めた。軽く触れるだけで十分だといったのに、みな「これでもかっ」というほど強い力でグイグイ押している。それでは単に相手の体を痛めつけているだけだ。

実はこの業界は体力自慢の人ばかりで、いろいろな格闘技を身に着けている人も多い。なかにはプロの格闘家までいる。彼らは相手の体を治すよりも、破壊することに長けている。しかも相手が痛がれば痛がるほど、エキサイトしてしまう傾向があるのだ。

そんな人たち相手に、今日の教え方では非常にまずかった。これが職人の世界なら、弟子は親方の技を見て盗むものだ。手取り足取り教えられたからといって、それで習得できるものではない。しかしわれわれは体を扱うのだから、もっと事前に注意すべきだった。

職人といえば、特殊美術の仕事でディズニーランドのスプラッシュ・マウンテン用の岩壁を造ったことがあった。鉄筋と金網で大まかな造形をし、その上からモルタルで仕上げて岩壁風にするのだ。

そのモルタル仕上げのために、私は大勢の左官職人に集まってもらった。ところが彼らは、モルタルでキチッと真っ平に仕上げる技はあっても、不定形は苦手だ。ゴツゴツした岩のように仕上げた経験がない。それどころか、そういう雑な仕事は、職人としてやりたがらないのである。これには困った。

一方、アメリカの本家ディズニーランドでは、モルタルで岩を作る作業がちゃんとマニュアル化されている。だから職人としての経験などなくても、素人でもできる。それを聞いた私は、急いで美術系の人を集めて何とかオープンに間に合わせた。

それなら私が編み出したこの手技だって、しっかりとマニュアル化すれば素人でもできるようになるはずだ。それが完成すれば、プロに施術してもらわなくても、家族や友人同士で事足りるようになる。

そもそも自分の体のメンテナンスは、自分や家族の手でできるようになるのが理想だろう。それこそが民間療法の本質ではなかろうか。そう思いついたら、なんだかこれから進むべき道が見えてきたようでうれしくなった。

そんな未来を妄想してウットリしていたら、「師匠!」とだれかが私の耳元で叫んだ。おどろいて振り向くと、そこには目をキラキラさせた大外先生が立っていた。そして「私を一番弟子にしてくだサイッ」といったのだった。(つづく)

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112
沖縄から帰った私は、久しぶりに池袋の整体学校に行ってみた。さわやかな潮風でリフレッシュしたばかりの私には、この場末感が漂う雑居ビルのたたずまいが、ある意味とても新鮮だ。

ギギギィーッと建付けの悪いドアを開けると、そこには大外先生をはじめ、いつものメンバーがそろっていた。室内は相変わらず雑然としている。この色気のなさが妙に落ち着く。とっ散らかった実家の居間に似た安心感があるのだ。

沖縄みやげの「ちんすこう」を差し出すと、みなワッと集まってきて食べ始めた。大外先生はすばやく2個目を口に放り込むと、私のほうに向き直って「で、最近どうヨ?」と聞いてきた。私がしばらくぶりに顔を出したからには、何か新しい情報があると気づいているのだ。

そこで、がん患者たちの体で発見した、例の現象について話し始めた。がん患者はみな脊柱起立筋の左側だけが異様に盛り上がっていて、体の感覚も左側だけひどく鈍くなっていることだ。

それだけではない。私が新しく開発した手技で刺激すると、その起立筋の盛り上がりが消える。しまいには、がんまで消えてしまったという話なのである。

こんな話はだれにでもいえることではない。私には何人ものがんが消えた実感があったが、まだこれには科学的な裏づけがない。ましてがん患者さんを相手にこんなことをいって、妙な期待をさせてもいけない。だからこの話を人に聞いてもらう機会はあまりなかった。

もちろんお医者さんにだけは、これまで何人にもこの話をしてきた。ところがなぜこんな現象が起こるのか、だれもはっきりとは説明してくれない。それどころかせっかくの大発見なのに、この異常な現象に興味をもってくれる人さえいなかったのだ。

しかし整体の先生なら、毎日大勢の人の体に直接手で触れているから、感覚的には理解しやすいはずだ。大外先生ならわかってくれるかもしれない。そう期待しながら、この発見について熱を込めて話した。

ふと気づくと、整体の練習をしていた生徒たちが寄ってきて、私の話を興味深げに聞いている。これは理解者を増やすチャンスだから、具体例を見てもらったほうがいいかもしれない。

見回すと、大外先生の後ろでまだちんすこうをモグモグしている加納先生と目が合った。ちょうどいい。彼も大外先生と同じでこの学校の指導員だ。生徒から施術を受けることには慣れているので、彼に体を貸してもらおう。

ちんすこうの恩があるから、加納先生も「ノー」とはいえない。早速うつ伏せになってもらうと、これまた都合がよいことに、彼の起立筋はしっかりと左側だけが盛り上がっていた。

「ホラ、これですよ、これ」と私が指差すと、大外先生が業界人っぽい口調で、「加納ちゃ~ん、やっちまったな~」といって、彼ががんだと決めつけた。いきなりのことで、加納先生がおびえた目をして私を見上げた。

あわてて、「イヤ、左の起立筋が盛り上がっているからって、それだけでがんがあるわけじゃないですよ」と説明しても、時すでに遅しだった。もうみなの思い込みはゆらがない。私はますます焦ったが、これがこの話の怖いところなのである。

「がん」という言葉をつかうと、その響きが独り歩きして、聞いた人の意識の深いところに入ってしまうのだ。案の定、加納先生も突然がんの宣告を受けたみたいに不安がっている。だが今日は仕方がない。「がんじゃないですよ。大丈夫ですよ」とくり返しながら、私は説明をつづけた。

まずは、見ている人たちにもわかるように、彼の左右の起立筋を私が親指で左右同時に押してみせる。やはり加納先生は、右よりも左の起立筋のほうが、感覚が鈍くなっている。

しかしうつ伏せになっているから、彼には私が何をやっているかは見えない。左側は、私の押す力が弱いのだと感じているようだった。だが横で見ている人たちには、同じぐらいの力だとわかる。

この左右の感覚のちがいを確認したところで、いよいよ私が開発した例の手技で刺激を加えてみせる。肩や背中など何か所かの特定の神経をねらって、親指でリズミカルに刺激していくのだ。

その様子を見た人から、ギターか何かを弾いているみたいだといわれたことがあった。たしかに親指をバチに見立てれば、三味線を弾いている姿に似ているかもしれない。

そうやってベンベンベ~ンと弾いていると、まもなく彼の体が変化してきた。その感触の変化が私の指先に伝わってくる。それと同時に「イタ、イタ、イタタ~ッ」と彼は声を上げて体をよじり始めた。

やはりがんがある人に比べると、刺激に対する反応が出るのがすこぶる早い。これなら加納先生の体に大した問題はなさそうだ。

この刺激は、指先で軽く触れる程度のものでしかない。彼が痛がり始める前と後とで、力の加減は変えていない。それなのにこのあまりの変化の激しさに、大外先生やまわりの人たちもえらくおどろいている。

次に、あえて人差し指だけで体中をあちこちツンツンと軽く突いてみせる。すると、ツンと突くごとに加納先生が「イタッ」と身をよじる。ツンと突くと「イタッ」、ツンと突くと「イタタッ」の連続だ。

これを見ていた大外先生が、横から手を出して私と同じように突いてみる。やっぱり同じように加納先生が痛がる。それに釣られてまわりの人たちも、珍しいおもちゃでも見つけたように一斉につつき始めた。

日ごろからいじられ役の加納先生には災難だったが、この刺激は体にとってはいいはずだから、きっと今晩はよく眠れるだろう。そうこうするうちに、あれだけ盛り上がっていた彼の左の起立筋は、もうかなりへこんできたのだった。(つづく)

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111
明るい光で目が覚めた。ここはどこだろう。メガネがないからよく見えないが、この陽射しはどう見たってうちじゃない。そうだ。沖縄のホテルに泊まってるんだった。胸の奥にプクッと楽しい気分がわいてくる。
窓まで行って外を見ると、視界をさえぎるものは何もない。どこまでもつづくサンゴ礁の海が、強い陽射しを跳ね返して深く青く輝いている。これを見られただけでも来たかいがあった。

今日はいよいよダイビングだ。ホテルのバイキングで栄養を補給した私は、重いおなかと機材をかついで、チームのみんなと船に乗る。私たち8人を乗せた船は、まっすぐにダイビングスポットへと向かった。スピードを上げると、顔に当たる潮風が気持ちいい。

だが、ボーッとしていてはいけないのだ。初心者の私は機材の取り扱いにも不慣れだから、準備に時間がかかる。私がモタついていると、あちこちから手が伸びてきて、みるみるうちに装備は整った。

30分ほど沖に進むと、水深20mの地点で船が停まった。海の底まではっきりと透けて見えていて心が踊る。すぐさま、みんなは勢いよくドボンドボンと水しぶきを上げて飛び込んでいく。呆気にとられている間に、残っているのは船長と私だけになってしまった。

船長が、「どうする?」とでもいいたげな顔で私を見たから、意を決して手順通りに、タンクを背負った状態で後ろ向きに飛び込んだ。飛び込むというよりも転落に近い。着水した途端、大きな泡に包まれて一瞬上下の感覚を失った。

少し息を吐いてから息を整えると、目の前には水底に向かってロープが垂れていた。このロープをつたって下へ下へと降りていく。その間に少しずつ緊張が取れてきた。20mは深い。耳も体もギュッとつまってきて、また緊張で胸がドキドキしてきた。

ようやく足ヒレの先が海底に着いたところで、ホッとして上を見る。海中に射し込んだ太陽の光が、ユラユラとやさしく揺れている。思わず見とれていると、今野さんが寄ってきて、私の腕を引っぱって勢いよく泳ぎだした。

何かを伝えようとして彼女が指差した先に目をやると、1メートルほどのウミヘビがいた。ウミヘビには猛毒があるけれど、かまれることはめったにない。彼らは好奇心が旺盛だから、私の足先に近寄ってきて、フィンの動きに合わせて身をくねらせている。海の仲間だと思ったのかもしれない。

ダイビングは楽しい。非日常で気分が高揚する。その分だけ危険も多い。特に南の海には、ウミヘビだけでなくクラゲやタコ、貝、魚に至るまで猛毒をもつ生き物がたくさんいる。それでもベテランがいっしょだとかなり安心できる。

ベテランといえば、超ベテランダイバーであるスタントマンのボスの話を思い出した。ずっと以前のことらしいが、八丈島の沖で潜っていて、浮上してみたら、待っているはずの船が見当たらないのだ。

まさかと思って、360度グルリと見回してみても何もない。見渡す限り、水平線がつづくだけだった。仕方がないので静かに海に浮いたまま、一昼夜流されて千葉沖まで流されたのだという。すごい話である。助かったからいいようなものの、ボスの話はレベルがちがいすぎて実感がわかない。

それとは別に、長時間水中作業をしているときに、窒素酔いでえらいイイ気分になって、危うくそのまま死ぬところだった話も聞いたことがある。いっしょに潜っていた人が、彼の異変に気づいてくれたおかげで助かったらしい。

水圧の高い水の中にいると、窒素を吸い込む量が多くなる。その窒素の麻酔効果のせいで、酒に酔ったみたいになってしまうのが窒素酔いだ。

また窒素は減圧症の原因にもなる。減圧症はダイビングなどで、水深の深いところから急浮上すると、血液中の窒素が気泡になることで起きる血流障害である。

私は減圧症を体験した人を診たことがあったが、彼の体はまるでふとん圧縮袋に閉じ込めたように、バチッと固くなっていたのを覚えている。

さて20分ほど海底の景色を楽しんだあと、私は無事に船までもどることができた。これから浜にもどって昼食をとり、午後からは別のポイントで潜ることになっていた。

ところが私は慣れない運動と緊張のためか、一本潜っただけで今日の体力を使い果たしてしまった。もう自分の酸素ボンベをかつぎ上げるパワーすら残っていない有り様だ。

ダイビングは一人では潜らないのがルールだから、ペアを組んでいる今野さんには申し訳ないけれど、私だけ午後の部はパスさせてもらった。何事も無理をしないのがモットーだ。

昼食後、一人になった私はホテルの前にあるヤシの林に行ってみた。そこにはゆったりとしたデッキチェアーが並んでいる。木々の間を心地よい風が吹き抜け、風に揺れるヤシの葉がデッキチェアーに影を落としている。

もってきた文庫本を手に、私はデッキチェアーに横たわる。だれもいない静かな空間で、南国のリゾート気分にひたっていた。なんという贅沢な時間だろう。

だがそんな時間は長くはつづかない。背後にザワザワと人の気配が近づいてきた。声の感じからすると、どうやら両親と娘二人のファミリーのようだ。チラリと目やると4人とも立派な体格で、何だかイヤな予感がする。

下の娘さんが、「わ~デッキチェアーだ~」と声を張り上げると、お母さんらしい女性と二人で私の真うしろの椅子に近づいてきた。しかしどう見ても、彼女たちのサイズと椅子のサイズが合っていないのだ。

私がわずかに危険を察知した瞬間、「ギャッ」という悲鳴とともに、鈍い破壊音がヤシの林に響いた。つづけて「ヤダーッこのイス壊れてる~」という叫び声が聞こえてきた。

振り向いてはいけない。決してうしろを振り向いてはいけない。塩の柱になってしまう。そう自分にいい聞かせて、私はギュッと目を閉じた。何秒かそのままじっとしていたら、周囲にはまた静けさがもどっていた。

恐る恐る振り向くと、そこには哀れなデッキチェアーの残骸が2つ、砂の上に横たわっていた。そして何もなかったかのように、ヤシの林を爽やかな風が吹き抜けていくのだった。(つづく)

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110
朝カーテンを開けると、日差しがまぶしい季節になっていた。そういえば今日の午前は仕事の予約が入っていない。今のうちに池尻大橋の図書館に本を返しに行こう。ついでに丸正で魚も見てこよう。そう決めると、私はリュックに本を詰めこんで部屋を出た。

池尻は、駒場にあるうちのアパートからは中途半端な位置にある。電車を乗り継ぐよりも直接歩いたほうが早い。そう近くはないが、お金がかからないからいつも歩いていく。途中でタバコを吸える場所もあるし、散歩にはちょうどいい。

図書館の近くには、広々としたグラウンドを見下ろせるお気に入りの場所がある。ここから緑を眺めるのもなかなか気分がいい。一服するつもりで立ち止まったら、リュックのポケットで電話が鳴っているのに気がついた。看護師の今野さんからだ。

彼女の結婚式のスピーチで大失言して以来だから、もう1年近くたつだろうか。彼女は「久しぶり~」といったあと、「実は私、結婚したの」とつづけた。とっさには意味がつかめないでいると、「あの後すぐ別れてサ、また結婚したの」とあっけらかんと話す。

しかし、そんなことはどうでもいいといった調子で、「それはそうと、今度みんなで沖縄にダイビングに行くんだけど、いっしょに行かない?」と誘ってくれた。

今野さんはダイビングが趣味で、かなり上級クラスのライセンスをもっている。だが私は2、3度しか潜ったことがないド素人だ。上級者たちといっしょでは足手まといになる。私が尻込みしていると、「ダイジョウブよ~。みんなでフォローするから」と強く誘ってくれる。

実は「ダイビング」と聞いた時点で、私の頭のなかには沖縄の青い海の景色が広がっていた。海が呼んでいるのだ。日程も問題ない。出張整体で開業して以来、もう何百日も休みなんか取っていなかった。こんなお誘いでもなければ休めないから、私は思い切ってOKした。

当日、羽田に着くと、私を含めて8人のメンバーが全員そろっていた。みんな早いナと思ったら、遅刻魔のチエちゃんがまだ来ていない。電話をかけても通じないから、こっちに向かっている途中なのだろう。

そろそろ搭乗手続きが始まりそうなので、もう一度電話をかけてみる。すると電話に出たチエちゃんが、寝ぼけた声で「ア~、おはよ~」というではないか。そこで気づいたのか、「アッ寝過ごした!」といってあわてている。「もう搭乗手続き始まるから、早くタクシーで来てッ!」と私もあわてる。

彼女は遅刻魔なのを自覚しているから、今日はわざわざ空港近くに住んでいる姉の家に泊まっていたはずだった。いくら近いとはいえ、とても間に合うとは思えない。

定刻になると搭乗手続きが始まった。5分過ぎ、10分過ぎ、すでに搭乗者の列も途絶えた。後は私たちだけである。みんなで搭乗カウンターの人に、「今来ます!今来ます!」と訴えつづけたが、時間がたつに連れ、彼女の顔からは笑顔が消え、眉だけがどんどんつり上がっていく。とうとう「もう待てません!あきらめてくだサイッ」と強い口調でいわれてしまった。

まさにその瞬間、はるか向こうからチエちゃんがものすごい形相で突進してくるのが見えた。間一髪とはこのことだ。どうにか間に合った。ドヤドヤと機内に入り自分たちの座席へと向かうと、乗客たちの視線が刺さる。全く先が思いやられて気がふさぐ。

しかし飛行機そのものは順調に沖縄へ飛んでくれた。上空から見るサンゴ礁の海は、どこまでも青く澄んでいて美しい。羽田でのドタバタの疲れが吹っ飛んだ。

空港からバスに揺られて2時間ほどでホテルに着いた。チェックインを済ませると、各自の大荷物をそれぞれの部屋まで運び入れる。それがすんだらロビーに集合だ。ダイビングに疲れは禁物なので、今日はホテルのビーチでくつろいで過ごす予定なのである。

ビーチに着くと、飛行機に乗るのは一番遅かったチエちゃんが、「一番乗り~ッ」といって、だれよりも早く海に飛び込んだ。その途端、「ギャッイッタ~~イ!」と叫びながらもどってきた。

みんなで「どうした、どうした」とかけよると、どうやら腕をクラゲに刺されたらしい。刺されたところがポツポツと赤くなって腫れている。彼女は「オシッコかけなきゃ、おしっこ、オシッコ!」と叫んでいる。

たしかアンモニアをかけるのは、ハチに刺されたときじゃなかったか?彼女の記憶には大きなかんちがいがあるようだ。

沖縄の海にはハブクラゲという猛毒のクラゲがいて、子どもやお年寄りなら、刺されただけで死ぬこともあるらしい。幸いチエちゃんが刺されたのはハブクラゲではなさそうだ。それでも「イタイ、イタイ」と泣き顔になっている。

今回のメンバーは医療従事者ばかりだが、だれもクラゲの正しい対処法なんか知らないようだ。なぜかみんなで私を見ている。そこで私がチエちゃんの腕をよく見ると、海辺の日差しを浴びて、クラゲの細い針がうぶ毛のようにキラキラと光っていた。

これだ。私はひらめいた。急いでホテルの人からガムテープを借りると、チエちゃんの腕に刺さっているクラゲの針にそーっと当てて、ゆっくりとはがしてみた。すると思った通り、細い針がガムテープにくっついて抜けてくる。

貼って、はがす、貼って、はがす。これを何度かくり返すと、あっという間に腕の赤みがスーッと消えた。チエちゃんが、「もう全然痛くなくなった」というと、この様子を見ていたみんなが、「ウオーッ」と声を張り上げた。一件落着である。

その夜、みんなで近くの居酒屋へとくり出した。めいめいがお好みの沖縄料理を注文する。チエちゃんはメニューにクラゲという文字を見つけると、クラゲ酢を注文した。ここで敵討ちでもする気らしい。

出てきたクラゲに「こいつめ!」と憎しみを込めて口に入れるものだから、みんなで笑った。ところがしばらくすると、昼間クラゲに刺された腕が赤くなって、かゆみまで出てきたのである。

針は抜けたけれど、体内にクラゲの毒素が残っていたのだろう。その毒がアレルゲンとなって、アレルギー反応が出たのだ。こうなってしまったらクラゲのたたりは生涯つづくかもしれない。この体験のせいで、私はクラゲを見るといつでも沖縄のあの青い海を思い出すようになった。(つづく)

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109
いつもお世話になっている樹森さんから電話があった。「ちょっと診てあげてほしい人がいるのヨ~」と、相変わらず元気な声である。

それよりも、樹森さんのところでベビーシッターをしている瀬戸さんの妹さんが、その後どうなったかが気になっていた。私がすすめて受けてもらった検査で、脳に動脈瘤が発見されたことまでは聞いていた。

樹森さんが聞いた話では、瀬戸さんの姉が脳動脈瘤破裂で急死していたので、すぐに手術に踏み切ったらしい。その後の経過も順調だと聞いて、私はやっと安心できた。樹森さんと二人で「よかった、よかった」といいあったあと、彼女は今日の電話の本題に入った。

実は彼女はかなりの売れっ子作家さんなのである。その仕事関係で、マンガ雑誌の編集者がいるらしい。その彼が担当しているマンガ家が、締め切り間近だというのにへばってしまって、仕事が進まないで困っているというのだ。

ことあるごとに樹森さんから私の話を聞いていた彼は、私ならなんとかできると思ったらしい。締め切りまででいいから、私に彼の体をもたせてほしいと頼んできたのである。

徹夜でへばっているのなら寝ればいいだけだが、その余裕がない。締め切り前の切羽詰まった状況は樹森さんにも覚えがあるから、編集者氏の頼みを無下に断ることもできなかったようだ。

いつものことながら、樹森さんから「とにかくちょっと行ってあげて」と強くいわれたら、私は断れない。今日の予定をあちこちやりくりして、なんとかその日のうちに、そのマンガ家の仕事場まで行くことになった。

うちから井の頭線に乗って吉祥寺駅で降りる。繁華街を抜けて指示された住所まで来ると、住宅街に古めかしい一軒家が立っていた。その傷だらけの木製扉の前で呼び鈴を押す。なかから「ハイ」とも「オイ」ともつかないくぐもった声がしたと思ったら、少しだけ開けた扉の間から、不健康そうな若者がノッソリと顔を出した。

彼は私の顔を見るなり、「ア、先生ですね」といって扉を大きく開けた。どこか懐かしい造りの玄関で靴を脱ぐと、すぐ手前の部屋に机が並んでいる。そこには彼と同じように疲れ切った感じの若い人が5人、机にかじりついて一心不乱にペンを走らせていた。これがマンガ家の仕事場なのか。

私が入ってきたのを見て、彼らのうしろに立っていた男性が、「あ、先生、よろしくおねがいします!」というと、スーツのポケットから名刺を出した。超がつくほどの有名出版社である。どうやら彼が樹森さんの知り合いの編集者らしい。

彼の案内で隣の部屋に行くと、座敷にふとんが敷いてあった。事前に用意したというよりも、ずっと敷きっぱなしなのだろう。にごった空気がただよっている。彼に「センセーッ」と呼ばれて入ってきたのは、彼らのなかでもひときわ疲れ切った感じのする青年だった。

編集者氏は「しっかり治してあげてくださいね!」と私にいうと、急いで隣の作業部屋へもどった。だがしっかり治すも何も、単なる睡眠不足による過労じゃないのか。そんな体を手技でどうしようもないのである。

とはいえ、とりあえず一通り体をチェックしてみると、疲れのせいで、若いのに体の張りがすっかり消え失せていた。髪もヒゲも伸び切っているから、昔うちの近所で寝起きしていた薄茶色のノライヌを思い出す。

背中を見ると、背骨に大きなズレはない。これなら問題はなさそうだ。やっぱり単に疲れているだけである。仕方がないので、一応、背骨のまわりを軽く刺激して、疲れが取れやすい状態にしてみよう。

本来なら、私の刺激でリラックスして、そのままちょっと寝てもらうと一挙に元気が回復するものである。しかし今はそのちょっとが許されないのだ。そこで、彼が眠り込んでしまわないように、会話をしながら刺激を始めた。

おどろいたことに、彼はまだ二十歳になったばかりなのだという。憧れのマンガ雑誌で連載が始まった途端、一気に人気に火がついて忙しくなった。締め切り間際には連日徹夜がつづく。おかげで、すでに父親の年収をはるかに超える収入なのだという。

その話を聞いて、私の手がピタリと止まった。マンガの世界はなんてすごいんだろう。同じ美術業界とはいっても、景気に全く左右されることなく、売れないまま絵を描きつづけている美大の仲間たちとはえらいちがいである。

私だって絵描きのころは売れなかった。だが特殊美術の仕事を始めて、テレビ局に出入りしていたころは徹夜つづきだったことを思い出していた。

当時のテレビ業界の1日は24時では終わらない。打ち合わせが26時から始まって、そのまま朝の番組の収録がスタートするのも当たり前だった。2日も3日もつづけて徹夜することだって珍しくもなかったのである。

徹夜に弱い私は、寝不足で足がむくんで靴が脱げなくなることもあった。車を運転していて赤信号で眠り込むことも多かったから、事故死や過労死のリスクは非常に高かったはずだ。

しかしそれだけハードな毎日でも、このマンガ家の彼みたいに稼いでいたわけではない。そう思うと、動きが止まったままのわが手をじっと見た。いやいや、人生は人それぞれだから比較しても始まらない。気を取り直して刺激をつづけた。

逆に疲れさせてもいけないから、今日はこれぐらいにしておこう。私はただ彼の疲れが取れることだけを祈りながら施術を終えると、隣の部屋にいる編集者氏に「終わりましたよ」と声をかけた。

彼がもどってきて「どんな感じですか」と聞いてくる。「体そのものに問題はないけど、このまま無理をさせると過労死しますよ」と昔の自分に重ね合わせて忠告しておいた。

ところが彼は、「イヤ、締め切りにさえ間に合えばイイんで」といって、先のことなど全く心配していない様子である。代わりのマンガ家などいくらでもいるという意味だろうか。やっぱりマンガ業界は恐ろしい。

こんなタコ部屋みたいなところに長居は無用である。まだ世間話でもしていたそうな編集者さんを尻目に、私はそそくさと家を出た。

いくら稼げたってあれじゃあナ。そう思うと、ボロ雑巾みたいになってマンガを描いているあの青年が哀れに思えてくる。そのまま駅に向かって歩きかけると、静かな住宅街の屋根の向こうに、街のネオンがかげろうのようにぼやけて見えた。(つづく)

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