小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

カテゴリ:小説『ザ・民間療法』 > インド編

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小説『ザ・民間療法』挿し絵009
オーロビルには広大な森の中心に、マトリマンディアと呼ばれる巨大な瞑想施設がある。ガスタンクを何倍も大きくしたような球形で、威容を誇る圧倒的な建物だ。

この施設は、オーロビル定住者であるオロビリアンしか使わせてもらえない。まだ来たばかりの私には資格がなかったが、友達になったオロビリアンが、私も自由に出入りできるように手配してくれた。

マトリマンディアに一歩足を踏み入れると、外界の暑熱から開放され、いきなり冷涼な空気に包まれる。広々とした丸い空間に窓はない。建物の中心には、直径1メートルほどもある巨大な水晶玉が据えられていた。天井の明かり取りからは、一条の光がまっすぐに水晶玉の中心を突き抜けている。この光景を目にしただけで、すでに瞑想状態にいるようだった。

今のオーロビルには指導者がいないから、それぞれが思い思いの姿勢で瞑想している。私も日本にいたころには、何度か瞑想を習いに行ったことがある。教えられた通り、ひたすらマントラを唱え続けたり、逆に無言で無念無想を追求したり、自分の存在が光の玉のなかにいるイメージをしてみたりもした。瞑想に入る方法はさまざまだったが、どれも本格的なものではなかったから、神に出会うような体験はない。私には、足が痛くてじっとしているのが苦痛なだけだった。

そういえば20代のころ、日通で運送業のアルバイトをしていたとき、奇妙な体験をした。忘れもしない。あれは東販での仕事だった。そこでは、ベルトコンベアーで運ばれてくる本の塊を、行き先別に仕分けしながら、次々にコンテナ車に積み込んでいくのである。

これは力が要るだけでなく、頭も使うし作業スピードも速い。だから必ず二人一組で行うことになっていた。朝、日通の社員からの指示で「今日は五軒町の東販へ行け」といわれれば、バイト仲間はみな尻込みするほど、ハードな作業なのである。それなのに、たまたま一人でいるときに、なぜか突然ベルトコンベアーが動き出してしまったのだ。

私に向かってどんどん荷物が送られてくる。やるしかない。そう思って取り掛かってはみたが、中腰での作業ということもあって、あっという間に私は限界点に達した。額からは汗が吹き出し、激しく息が切れ、心臓が破れるかと思ったその瞬間、いきなり私のなかに静寂が訪れた。

気絶したわけではない。それまでの体の苦しみどころか、体の感覚自体が消えてしまった。気づけば、ベルトコンベアーの荷物と格闘を続ける私を、もう一人の私が上から静かに眺めている。どうやら私は、体から抜け出してしまったようなのだ。

そうやってしばらくたつと、また何の前触れもなくベルトコンベアーが止まった。そこにある最後の荷物をコンテナに積み込み終わった瞬間、私は自分の体のなかに戻っていた。死ぬかと思うほどの重労働をこなしたあとなのに、体には何の苦しみも残っていなかった。

そんな超越体験はそれっきりだったが、もしかして瞑想が深まれば、あんなことがまた起きるかもしれない。期待もあったせいか、マトリマンディアには何度も足を運んだ。だが結局、オーロビル滞在中は、私に何の変化も訪れることはなかった。でも私は変わりたい。以前よりも、そう強く願うようになっていた。(つづく)

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小説『ザ・民間療法』挿し絵010

私が暮らすオーロビルには、チベットから来た人も何人か住んでいた。彼らはダライ・ラマ法王に従って亡命し、インドの各地で暮らしているのである。ご近所さんとして彼らと親しく接してみると、チベット人は見た目だけでなく、メンタリティまで日本人とよく似ているようだった。ひょっとすると、中国や韓国の人よりも近い存在ではないかとすら思う。

そのチベット人たちから、モモというチベット餃子のパーティに誘われたことがある。モモだけでなく、そこで出されたチベット料理は、限りなく日本への郷愁を誘うなつかしい味だった。異国の地でやせ細っていた私にとって、彼らの親切は心だけでなく、胃袋にも深く沁み入るものだった。

そんなやさしいチベット人の一人に、私と同じコミュニティでフランス人と暮らしているドルマという女性がいた。ドルマはオーロビルにあるカルチャーセンターでボランティアをしている。そこでいろいろな講座が開かれているのは知っていたが、私は顔を出したことはなかった。

それを聞きつけたドルマが、アフリカンダンスのスクールに誘ってくれたのである。ところが私には踊りの経験がない。盆踊りすらまともに踊ったことはない。ダンスと名のつくものは、小学生のときのフォークダンス以来である。だがお互い異国の地で、親しくなった人がわざわざ誘ってくれているのだから、恐る恐る参加した。

教室に入ると、明るい音楽が建物の外まで鳴り響いている。そのリズムに合わせ、フランス人男性の先生が中心になって、20人ほどの生徒が輪になって踊っていた。踊りそのものは、ひざを曲げたり伸ばしたりするだけの単純なものである。

その踊りを見ていると、北海道の阿寒で目にしたアイヌの女の子の踊りを思い出した。彼女は他の娘さんたちといっしょに、観光客向けにアレンジされたアイヌの踊りを披露していた。ところが踊っているうちに、彼女だけがどんどんトランス状態に入っていったのである。その一心不乱に踊る姿は、アイヌの先祖の魂が乗り移ったかのようだった。あの、どこを見ているのかわからない目線の先には、何が見えていたのだろうか。

実はこのアイヌの踊りのように、輪になって単調な動作を繰り返していると、トランス状態に陥りやすい。日本の子供が「かごめかごめ」と歌いながらぐるぐる回る遊びにしても、もともとは子供のお遊戯ではない。

輪になって単調な言葉や動きを繰り返していると、中心になっている人に霊が入り込んで話し始めるのである。似たような風習は世界中にあるから、このアフリカンダンスにしても、起源は呪術的なものだったはずだ。

とはいえ、眼の前で踊っている人たちはすこぶる楽しそうである。ぐっと腰を落とす。横に進みながら伸び上がる。そしてまたぐっと腰を落とす。基本はこの繰り返しだけだ。「カニ歩きみたいだな。これなら私にもできそうだ」そう思った私は、輪のなかに入った。

ところがどっこい。見るとやるとは大ちがいである。かんたんなはずのひざの屈伸運動が、あっという間にひざを直撃した。ほんの2、3分踊っただけなのに、私のひざは曲げも伸ばしもできなくなってしまったのである。踊り続けるまわりの人たちは、こぼれる笑顔がまぶしいほどだ。私の顔だけが苦痛にゆがんでいる。楽しい踊りのはずが、私だけが相撲部屋のしごきの輪に叩き込まれたようだった。

「もうだめだ」
ギブアップした私は、ダンスの輪から離れた。そしてクラスが終わるまでの時間は、乱れた呼吸を整えるので精一杯だった。しかもいざ帰る段になっても、足が前に出てくれない。これには参った。もう文字通り、這うようにしてやっとのことで帰宅したのである。

そんな情けない姿を見た近所の人たちから、ドルマは「なんでMをそんなところに連れて行ったんだ!?」と、さんざん叱られていた。彼女にしてみたら、アフリカンダンスは楽しいから、親切心で誘っただけなのに、あの動きはハードすぎて私には全く向いていなかったのだ。

特に連日気温が40度どころか、50度近くまで上がる猛暑のなか、自覚する以上に、私の体力が落ちていたのだろう。おかげであの「殺虫剤事件」に続いて、またしてもひ弱な日本人ぶりを露呈してしまった。

しかし、あのまま無理して踊り続けていたら、また「日通」のときのように、意識が肉体から離れるか、もしくは離れたままになるところだった。つくづく、体調管理はむずかしいものだと思い知らされた。(つづく)
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011 小説『ザ・民間療法』

アフリカンダンスの教室で私は散々な目にあったと思っていたが、親切心の塊のドルマは、まだこりていなかった。今度は私をヨガ教室に誘ってくれたのである。


自慢じゃないが、私はヨガの経験も一度もない。
ヨガといえば、カルカッタで会った留学生のミナコさんは「ヨガに目覚めた」とかで、インド中のアシュラムを渡り歩いて修業を積んでいた。彼女はインド南部で使われているベンガル語にも堪能で、おまけに見た目までインド人に同化していたから、最初は現地の人なのかと思ったほどだ。

しかし1990年代の日本では、オウム真理教の事件の影響で、ヨガに対するイメージが極端に悪かった。マスコミも一斉にヨガについて触れなくなっていたから、私はヨガの情報に接する機会もなかったのである。

調べてみると、古代インドで発祥した本来のヨガは、精神と肉体を自ら制御して、輪廻からの解脱を図るための宗教的な行法だった。また仏教や密教、バラモン教、ヒンドゥー教などの諸宗教とも深く結びついており、瞑想を主とするものだという。

ところが現在の欧米で、実践者が数千万人といわれるほど大流行しているヨガは、名前は同じヨガであっても、20世紀以降に欧米人向けにアレンジされた、単なる体操法なのだ。

実は私が住んでいるオーロビルは、開祖のオーロビンド・ゴーシュが、ヨガを通して宇宙意識と合一するために造営された場所である。つまりここは解脱のための土地、いわばヨガの聖地だったのだ。

実際、彼の入滅の際には、全身から出た金色の光明で室内が明るくなり、芳香が漂い、まわりで見守っていた人たちは、至福に包まれたという逸話まで残っている。ブッダを始め、解脱した聖人の死に方には共通したものがあるのだろう。

このオーロビンドの教えには、後にニューエイジのカリスマとなって日本でも話題になった、あのTM瞑想のマハリシも影響を受けていたというから、相当なものだ。

私もせっかくインドまで来て、聖地オーロビルで暮らしていながら、「本場インド」のヨガを体験しない手はないだろう。解脱とまではいかなくても、ひょっとしたら悟りを開いて、新たな境地に到達できるかもしれない。うっすらとそんな期待もあったので、ドルマといっしょにヨガ教室に参加してみることにした。

さていよいよ私のヨガ初体験の日。その日もいつものように、朝から焦げるかと思うほど暑かった。カルチャーセンターに着くころには、もう一汗かいていた。汗をふきふき教室に入ると、これまた先生は若いフランス人男性である。ヨガぐらいインドの人から習えたらよかったのだが、これは仕方がないだろう。

まずは先生からヨガの説明を受ける。人間の体にはいくつものチャクラというものがあって、ヨガ修業によってそれらのチャクラに、クンダリーニという生命エネルギーを通す。すると解脱できるのだという。

「ふむ。そんなものか…」
説明ではえらくかんたんそうだ。だが私の目に映る彼の姿は、まだ解脱への道は遠そうだった。でもこの際、やり方さえわかればいいのだから、そこにも目をつむろう。

ところが、ここで教えているヨガは、エアロビクスとストレッチを組み合わせて、現代風にアレンジしたハタ・ヨガの一種だった。本来のハタ・ヨガは、性的なエネルギーを生命エネルギーに昇華させて解脱に至るものらしいが、ここでは純粋なエクササイズだった。

確かに、オーロビンドの弟子でパートナーでもあったフランス人の「マザー」ですら、テニスなどのスポーツを奨励していたぐらいだから、ヨガも単なるエクササイズの扱いなのだ。

なかでもハタ・ヨガは、もともと身体的な要素が強かったから、人気があるらしい。輪廻からの解脱などという壮大な目標よりも、美容や健康、ファッション性のほうが重要になったのは、当然といえば当然の流れだろう。

しかしエクササイズとしてのヨガとなると、アフリカンダンス同様、私には体力的にきつかった。生命エネルギーを循環させて解脱に向かおうにも、元になるエネルギー自体が私にはとことん枯渇していたのである。

先生の指示でポーズを変えるごとに、明らかに息が切れてくる。これはよろしくない。日本ではホット・ヨガなるものも流行していたが、連日40~50度のホットすぎるインドでは、体力を消耗するタイプのヨガなどやっていられないのだ。

結局、私の意識には何の変化も訪れなかった。来たときと同様、世界共通の悩みを抱えた俗人のままで教室を後にした。それどころか体力を消耗した分、さらに生命エネルギーが低下した気さえする。やはり解脱への道など、日本から見るインド以上に、私にははるか遠い遠い世界なのだろうか。そう思うと、インドの暑さがいっそう増したようで、また気が遠くなるのだった。(つづく)
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012 小説『ザ・民間療法』

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013 小説『ザ・民間療法』挿し絵

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オーロビルでは有名な話がある。

あるところに、がんにおかされて医師からも見放された男がいた。彼はダライ・ラマのところに行けばチベット医学の秘薬があると聞いて、人づてにダライ・ラマを紹介してもらった。そこで手渡された秘薬を飲んだら、がんが消えてしまったというのである。

この話が本当かどうかはわからない。しかし歴史上、チベット医学はインドの伝承医学であるアーユルヴェーダにも、多大な影響を与えてきた存在だ。だからそういう奇跡のようなこともあるのかもしれない。

アーユルヴェーダは、エステティックサロンを通して、日本でもよく知られるようになった。だが本来のアーユルヴェーダは、薬を使った治療がメインで、インドではアーユルヴェーダによる医師資格も認められているのである。

もちろんインドの薬局では、現代医学の薬の他にアーユルヴェーダの薬もたくさん売られている。しかしインド人の多くは、現代医学のほうを信じているようだ。現代の中国人が、漢方医学よりも現代医学を信頼しているのと同じことだろう。

あるとき、これだけ暑い日が続くにもかかわらず、私はかぜを引いてしまった。かぜぐらい寝ていれば治るものだが、咳が止まらない。あまりにも咳が続くので、眠ることさえできないのである。これには弱った。

私は体調が悪くても、薬を飲む習慣がない。いざというときでも、極力飲まずにすませたいと思っているから、薬嫌いの部類に入るだろう。だがこれだけ眠れない日が続くと、私が頼りにしている自然治癒力まで落ちてしまう。日本ならいざしらず、ここでこれ以上体力が落ちるのは避けたい。そこで仕方なく、わざわざポンディチェリにある薬局まで、咳止めを買いに行ったのである。

店に入ると、ギョロ目でいかつい顔をした店主が、ヌッと奥から現れた。私が「何日も咳が止まらない」というと、ニコリともしないで、「ふつうの薬とアーユルヴェーダの薬のどっちがいいか」と聞くのである。インド航空の機内食で、ベジかノンベジかを選択するのにも似て、これはインドでは当たり前のことなのだろう。

私は、咳止めの薬なんか大して効かないだろうと軽く考えていた。そこで単なる好奇心から、アーユルヴェーダの薬を頼んでみた。すると店主は、「ふん」と鼻を鳴らしただけで、店の奥に消えた。私がしばらく待っていると、彼はラベルも貼っていないボトルを手にして戻ってきた。

そのいかにも手作り風のボトルを見ると、薬というよりも食品衛生上の不安がよぎる。彼は、「くれぐれも飲みすぎないように」とだけ告げた。「飲み過ぎたらどうなるのだろう?」と思うと、さらに不安が増す。しかし自分で頼んだのだから仕方がない。いわれるままに40ルピーほど払って帰ってきた。

部屋のベッドに腰掛けて、改めてボトルを見る。このアーユルヴェーダの咳止めは、シロップになっているようだ。付属の小さなカップに1杯を、朝晩2回服用するのである。昭和40年代あたりまでは、日本の薬局でも胃薬などはその店のオリジナルの薬を売っていた。だが異国の地で、得体の知れない薬を飲むのは勇気がいる。そうやって躊躇している間も、ひっきりなしに咳は続いていた。

得体が知れないといえば、東京で暮らしていたころ、知り合いの台湾人から薬をゆずってもらったことがある。私から頼んだわけではない。大変高価な漢方薬が手に入ったからといって、好意で勧めてくれたので断れなかったのだ。おかげで、乾燥したコブラの卵を飲むはめになってしまったが、口に入れた瞬間のあの強烈なカビ臭さは、とうてい忘れられるものではない。

ところが同じ不気味さではあっても、コブラの卵と違ってこれは単なる咳止めシロップである。あそこまでひどい味ではないだろう。そこで意を決して、指定のカップ1杯のシロップをのどに流し込んだ。

途端にブルッと震えが走った。ムチャクチャ甘い! 猛烈に甘い! 甘さのベクトルが、壁を突き破ったように甘いのである。これほど甘いものを口に入れたのは、いったいいつ以来だろう。人生初の甘さだったかもしれない。こんな味があるのかという衝撃はあったが、それでもコブラの卵よりはましだった。

私は、しばらくその怒涛の甘さに気を取られていたが、ふと気づくと咳が出ていない。あれだけ来る日も来る日も続いていた咳が、もののみごとにピタリと止まっているのである。それに気づいた途端、今度は改めて恐ろしさがこみ上げてきて、またブルッときた。

日本でも、のど飴をなめているうちに咳がやわらぐことはある。しかしその効果は、のど飴に含まれている薬の効果ではない。飴をなめることで、唾液によってのどが潤うからである。
ところがこの激甘シロップにこれだけ即効性があるとなると、明らかに薬の成分によるものだ。きっとこれはエフェドリンの効果なのである。日本の咳止め薬でも、薬効の主成分はエフェドリンだ。しかしエフェドリンは麻薬的な効果も大きいので、日本の薬事法では容量がかなり制限されている。その分、効きも悪いのだ。

しかしこの咳止めシロップはちがった。もちろんインドにも薬事法の制限はあるはずだが、日本とはレベルがちがう。これだけの効果であれば、かなり危険な量のエフェドリンが入っているはずだ。これなら副作用で、ある一定数は死んでいるかもしれない。咳は止まったけれど、心臓も止まったというのでは笑えない。

確かにアーユルヴェーダには、優れた秘薬が存在するのかもしれないが、「命と引き替えに」というただし書きが必要かもしれないな。そんなことを考えているうちに、咳から解放された私は、やっと眠りについたのだった。(つづく)

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