小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

カテゴリ:Essay > art

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 現在、遠近法といえば線遠近法のことを指す。

ところが、線遠近法が絵画の表現方法として確立したのは、ルネサンス期以降のわずか500年程度のことである。

人類最古の芸術作品といわれるアルタミラやラスコーの洞窟壁画が描かれたのが、およそ3万年も前であることに比べると、500年前などごく最近のことなのだ。


 そもそも、人間の視点というのは線遠近法ではない。

それは子供の描いた絵を見ればよくわかる。

子供に画材を与えておけば、描き方など教えなくても好き勝手に絵を描き出す。

お絵かきに熱中している彼らの視点は、画面のなかの世界に没入し、自由自在に飛び回る。

そのときの子供たちは、おしなべてみな天才だ。

大人など到底まねのできない画才を発揮して、決して倦むことがない。

そんな彼らの絵を見続けた結果、私は自分で絵を描くことを断念したのである。


 ところが、その天才たちにも、成長とともに才能が枯渇するときがやってくる。

「うまく描こう」「うまいといわれたい」と思うようになったら終わりだ。

一度、他人の目を意識しだすと、もう二度と元の世界には戻れない。

他人の目を意識したときを境に、子供の視点から大人の視点へと180度変わってしまう。

そこで生み出される絵画も、子供の絵から大人の絵へと変貌する。

子供の自由な視点というのは、ピーター・パンが空を飛べなくなるのにも似て、失われたらもう取り戻すことができないのである。
 

 実は日本の絵画は元々は逆遠近法で表現されていた。

源氏物語絵巻などは、逆遠近法によって独自の世界観を展開している。

ところが、江戸時代になると、徐々に西洋絵画の影響が出始める。

そのため、浮世絵にまで線遠近法を取り入れた作品が登場する。


 一方、東洲斎写楽の役者絵、特に大首絵と呼ばれる作品は、顔が大きく極端に手が小さい逆遠近法で描かれている。

もし彼の役者絵がありきたりな線遠近法で描かれていたなら、歴史に名を残すことはなかっただろう。

また、ヨーロッパの印象派の画家たちも、浮世絵に興味を示すことはなかったはずだ。

当時の印象派の画家たちは、浮世絵のなかにかつての子供のころの視点を見出して、そこに鮮烈な衝撃を受けたに違いないのである。(花山水清)


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Kudara_kannon_1
 私は日本でもっとも美しい仏像は、法隆寺の百済観音像だと思っている。

百済観音像といえば、飛鳥時代を代表する仏像の一つである。

その左右対称ですらりとした八頭身は、アルカイック様式を思わせる。


 しかし日本では、このようなプロポーションを持つ仏像は他にはない。

日本のほとんどの仏像は、顔が大きくて寸胴で脚が短い、まるっきり日本人体型そのものなのである。

渡岸寺の十一面観音像にしても、あれだけ美しい姿でありながら、脚は極端に短い。

なぜ日本の仏像はこんなに脚が短いのだろうか。


 以前読んだ本には、拝観者が仏像を仰ぎ見るのに都合が良いように、下半身を短くしてあるのだと書かれていた。

当時はその説明で納得していたが、よくよく考えてみればそんなわけがない。

仏像を見上げるのなら、遠近法では逆の表現になるはずなのだ。


 遠近法には、大きく分けて線遠近法と逆遠近法とがある。

線遠近法では遠くのものを小さく、近くのものを大きく表現する。

一般的に遠近法として知られているのは、この線遠近法のことである。

逆遠近法では、その反対になる。


 信仰の対象となる仏像であれば、大きさを強調するためには、線遠近法を用いて脚を長く上半身を短くしたほうが、より効果的だ。

現に百済観音像の場合は、そのように造られているのである。

それなのに、なぜ日本の仏像の多くは逆遠近法で造られているのだろうか。


 実は遠近法と逆遠近法には、遠近の向きだけでなくもう一つ大きな違いがある。

それは視点の違いなのだ。

線遠近法の場合は、作者は鑑賞者と同じ視点に立って、見る側の目線で対象物を造り上げる。

ところが逆遠近法となると、作者の視点は対象物の側に立つ。

そして内側から鑑賞者を見る。

つまり、視点が180度逆転するのである。

すると日本の仏像を造った仏師の目線は、拝観者の側ではなく仏の目線だったことになる。

日本の仏像の脚が短いのは、単にわれわれに似せたわけではなく、仏が衆生を見下ろしている形を表現した、特殊なものだったのだ。(花山水清)

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私は美術家である。

アーティストと表現することもあるが、自分では美術家だと思っている。


美術家の目的は、自然のなかから美を見つけ出し、それを切り取ることである。

自然から美を見つけること自体はむずかしいことではない。

神が作った自然のなかに、美しくないものなど存在しないからだ。

逆に、美とかけ離れたものを探すとしたら、人間の頭のなかか人間が作ったものぐらいだろう。


しかし美術家というのは、なまじ美を追求するあまり、自分の頭のなかの美しくない部分ばかりが際立ってくる。

以前の私も、美術家として大きな間違いを犯していた。

自然のなかから美を切り取るどころか、過去にだれかが見つけた美を寄せ集めて、借り物で自分の美の世界を作り上げようとしていたのだ。


そのような偽りの美術には、感動も喜びもあるはずがない。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、「画家は自然以外のものを手本に選べば、いたずらに自分を疲労させる」といった。

彼のいう通り、あるのは苦しみだけだった。

美術家であろうとすれば、そんなウソを生涯つき通すしかない。

そのため、私の作品には常に後ろめたさがつきまとっていた。

美術の世界の怖いところは、そのウソを自分以外はだれにも見抜けないことなのだ。


実はほとんどの美術家は本人が意識するしないにかかわらず、私と同じ苦しみを味わっている。

ピカソやロダンほどの天才でも、やはり似たような経験をしていたはずだ。

皮肉なことに、美術は決して美術家を救ってはくれない。

だから美術家は、美術の世界ばかりか、現実の世界から逃げ出してしまう者も多いのである。


しかし私は、人体の「アシンメトリ現象」の発見を機に、自分にも世間にもウソをつかなくてすむようになった。

「アシンメトリ現象」の研究は、私にとって心底没頭できる美の探究なのである。

おかげで偽りの美術の呪縛からは完全に解放された。

美術家として評価されるかどうかは別として、美術家であろうとする自分を、今では誇りに思えるのである。


そして今、美術の世界から医学の世界を眺めるようになってみると、そこにはかつての私と同じ表情を隠し持った人たちが大勢いる。

彼らもまた、苦しみのなかにいるのである。(花山水清)

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昨年2月、大学の同期生たちが銀座でグループ展を行なった。

招待されて出かけてみたら、40年振りの旧友たちはみな私同様ジジイの顔をしていた。

この40年の間、美術の世界でそれぞれが精一杯奮闘していたようで、彼らの顔を眺めているといろいろな意味で感慨深かった。


ところで、私が学生の頃はこういった絵画を見せる美術展のことは展覧会といっていた。

それがいつしか、展示会と呼ばれることが増えている。

だが展覧会を展示会というのは、私には非常に違和感がある。

展示会といえば、着物や宝石の販売が目的の会ではなかったのか。

辞書などで調べてみても、展覧会は美術品を並べて見せる催し、展示会は企業の製品や商品を公開し販売もする会と書いてある。

展覧では天覧とまぎらわしいとか、絵の販売もするのだから展示会でいいだろうということなのか。


しかし、展覧会を展示会というのが当たり前になったのなら、ムソルグスキーの代表曲「展覧会の絵」も「展示会の絵」というのだろうか。



それでは優雅な美術のイメージから遠のいて、グッと商売っ気がにじむ気がする。

これは私の感覚が古いだけかもしれない。

言葉は生き物だから、時代によって変わるのは仕方がないことだろう。


そういえば、茶道のことをNHKラジオでは「チャドウ」というのも気になっていた。

調べてみたら、こちらは「サドウ」のほうが新しい言い方であって、本来は「チャドウ」というものだそうだ。

それなら、古い人間は率先して「チャドウ」というべきか。

今後は寅さんに倣って、喫茶店のことだって「キッチャ店」というようにしなくてはなるまい。(花山水清)

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