小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

カテゴリ:小説『ザ・民間療法』 > 立志編

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小説『ザ・民間療法』挿し絵026


久々の日本は真夏だった。
ところが連日40度を超すインドの気候に慣れた身には、30度台では暑くない。むしろ寒い。栄養失調でガリガリに痩せた体ならなおさらだ。

こんなときは家でゆっくりと温かいフロにでも浸かって、長旅の疲れをいやしたい。

だが、私には帰る家がない。日本を出るとき、家どころか生活道具から住民票にいたるまで、一切合切を捨ててインドに渡ったのだから、今の私はホームレスなのである。

どうしよう。
国籍だけはあるから、何とかなるか。しかし現実はそれほど甘くはない気もしてきて、成田空港の到着ロビーでしばし考え込む。

そういえば出国のとき、友人たちは「帰ってきたら寄りなさい」といってくれたはずだ。それを思い出して、胸のなかにポッと灯りがともる。

イヤ待て。
転居通知のハガキに「お近くにお立ち寄りの節は」と書かれていたって、文面通りに新居に押しかける人などいないではないか。

迷惑かな。そりゃメイワクだよな。
ところがどっこい、私はインド帰りである。彼の地では、ダメモトで何でもいうだけはいってみるものなのだ。

怖じ気づいている場合ではない。とりあえず手帳にメモしてある友人にかたっぱしから電話して、「泊めてくれ」と頼んでみた。すると予想外に、だれも断らない。みな快く受け入れてくれたのである。

ありがたい。これで当面の居場所は確保できた。
まずは、銀行通帳と印鑑を預けてあるマリちゃんちに行こう。この通帳と印鑑だけが、日本での私の持ち物の全てだから、受け取るついでに泊めてもらうことにした。

つかの間の安心感に包まれた私を乗せて、リムジンバスが静かに走り出す。車窓を流れていく風景を眺めていると、ふと私の周りに異空間が広がり始めた。

何かがちがう。
インドでは都会はもちろん田舎だって、どこへ行っても混沌とした喧騒がやさしく私を包んでいた。

ところが日本では、これだけ大勢の人がいても叫ぶ人など一人もいない。こんなに車があるのに、けたたましいクラクションの音も聞こえてこない。

バスが走っても土ぼこりも立たない。デコボコ道で揺れて、バスの天井に頭を打ちつけることもない。高速道路には牛もラクダもいない。

大きく息を吸い込んでみても、あの濃厚な花の香りもスパイスの匂いもしない。まして、シートの下にコブラやサソリも隠れていない。こんな「ないない尽くし」の日本では、周囲の人間から身を守る必要すら「ない」のだ。

だがこの雰囲気は、あまりにも安全過ぎて身の置きどころがない。安全と安心はちがうというが、戦地から帰還した兵士もこんな感覚なのだろうか。いや、インドを戦地と比べてはインドにも兵隊さんにも失礼だ。

そういえばインドから帰国した人間の一部は、ある風土病に感染しているらしい。一度この病気にかかると、せっかく母国に帰っても一向に環境になじめないのだという。

「かぶれ」と呼ばれるこの風土病は、インド型のほかにアメリカやヨーロッパなどの西洋型もあるようだ。語尾に「ざんす」がつく「おフランス型」、何かと肩をすくめてみせる「アメリカ型」などの症状は有名だが、「インド型」にかかった人は、他人に会うとつい両手を合わせて「ナマステ」と口走る。

症状はファッション感覚にまで及び、色褪せたTシャツに冬でも素足に革サンダルを好むようになってしまう。こうなると外から見ただけでも診断がつく。私のなかに立ちのぼってくる周囲への違和感からすると、私もすでに感染しているのかもしれない。

そんなことを考えているうちにリムジンバスは終点に着いた。そこでは出国前と変わらぬ笑顔でマリちゃん夫妻が出迎えてくれた。

その懐かしい顔を見てホッとしたが、バスを降りた私を見た二人は、口々に「痩せたね~!」「焼けたね~!」といって目を見張る。

インドなら、どれだけ痩せていようが日焼けしていようが全く目立たないが、彼らの目にはいかにもインド帰りに見えたことだろう。

そんな久々の再会を祝って、マリちゃんの夫のコタくんが、「まあ、1本」といってタバコをすすめてくれる。

「お、紙巻きだ」

インドでは、乾燥させたタバコの葉を丸めただけのビリが一般的だから、紙巻きは高級なのである。ありがたくおしいただいてから、火を着けて一息つく。

すると今度は「どうだ、軽くなっただろう?」とコタくんが同意を求めてくる。

「ホウ?」
私が手のなかでタバコの重さを確かめていると、二人が顔を見合わせる。その表情から察するに、どうやら私はかなり妙になっているようだ。

「タバコが軽い」といえばニコチンやタールの話だし、日本では紙巻き以外のタバコのほうが珍しい。そんなことはすっかり忘れていた。

そういえばインドでは、日本語を使う機会がほとんどなかった。コミュニティのメンバーとの夕食の際、それぞれの国でネコのことを何というかが話題になったことがある。

スペイン、フランス、ドイツと回ってきて、いざ私の番になったら、ネコという言葉が出てこない。「あれ? キャットはキャットだろう」という言葉だけが頭のなかで繰り返されていた。

自分でも脳血管障害かと疑ったほどだから、私の「かぶれ」は帰国よりずっと以前に発症していたのかもしれない。

その場を何となくごまかして、やっとたどりついたマリちゃんの家でも、食事のときに私は両足を床に降ろすことができなかった。

それからしばらくたっても、靴のなかに何もいないか確かめてからでないと靴が履けないし、ペットボトルの飲料を買ったら、キャップが開いていないかも入念にチェックする。サンダルを買うときには、左右のサイズが同じかどうかを確かめている自分にも気がついた。

まちがいない。劇症のインド型だ。もちろん治療薬などないから、ただひたすら自然治癒を待つしかない。

こじらせてさらに重症化するようなら、日本での暮らしに支障が出る。そうなるともうインドへもどるしかないが、それは私の体力ではムリなのだ。

そうだ。私は体力を回復するのが先決だ。
マリちゃんちに2晩泊めてもらってから、次の友だちの家に向かう電車のなかで、そう心に決めた。体力さえもどれば何とかなる。あとのことはそれから考えればいいだろう。(ナマステ)(つづく)


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インドから帰国してしばらくたつというのに、私にはまだ住む家がない。あいかわらず友人たちの家を転々とする暮らしが続いていた。今どき、いそうろうなんてメイワクだろうと思うが、どこの家でもごちそうを用意してもてなしてくれる。

学生時代に、地方出身の友人の実家を泊まり歩いていたころを思い出す。われながら、ずうずうしいとはこういうヤツのことだと思う。しかしそんな心づくしのごちそうのおかげで、少しずつ食欲が回復し、インド暮らしで失った体重とともに、本来の体力ももどってきた。

そこでささやかではあるが、お礼として今までの治療法に加えて、インドで覚えたオイルマッサージを披露してみた。するとみなたいそう喜んで、口々に「プロになったらいいのに」といってくれるのだ。

半分お世辞なのはわかっている。それでも内心では、これを生業にできたらいいなと思い始めていた。もちろんお金をもらうとなると、ちゃんとそれなりの勉強をしなければいけないはずだ。そんなことを考えていると、インドで別れた友人たちのことが頭をよぎった。

みんなどうしているだろう。あのときのメンバーのうち二人は、一旦帰国したあと日本での生活をすべて捨てて、ネパールに移住してしまったらしい。その話を人づてに聞いて、あれがきっかけだなと思える出来事を思い出した。

インドに行くとき、私たちは最初にネパールに飛んでからインドに入った。その際、メンバーの一人に連れられて、ネパールの首都であるカトマンズから、車で1時間ほどのところにある孤児院を訪問したのである。

かわいそうな子供たちのために、学用品の一つでも贈りたいと思って出かけたのだ。だがいざ着いてみると、私たちが目にしたのは、身なりこそみすぼらしいが、まばゆいばかりの笑顔に包まれた子供たちの姿だった。その輝きは、徳の高い聖人の一団にでも会ったような衝撃だった。

もともと子供が苦手な私でさえ、子供たちの笑顔に引き込まれ、夢中になって彼らといっしょに遊んだ。友人たちもその世界に完全に魅了されていた。まちがいない。あの体験が彼らをネパール移住へといざなったのである。

そうして彼らは日本での仕事を捨て、ボランティア活動に入っていった。私だって、あの後オーロビルに行っていなければ、彼らと行動を共にしていたかもしれない。

ふと気になって、仲間の一人だったヒロコさんにも連絡してみた。だが、なんだか電話口の声が変である。私より一回り上の50代だが、はじけるように快活な姿が印象的な女性だったのだ。それなのに、電話口から聞こえてくる声は、あまりにも弱々しいのである。

聞けば、帰国後に胃がんが見つかって手術までしたが、すでに末期だからダメらしい。治療としてはもう打つ手もないので、家で療養しているのだという。

あわてて彼女の家に向かう。京王線の駅を降りてしばらく歩くと、落ち着いた感じの住宅街にヒロコさんの家があった。ドアの前で深く息を吐いてから呼び鈴を押す。しばらくしてドアを開けてくれたのは、いっしょに暮らしているご主人だった。

案内された部屋に入ると、そこにはやつれ果てて、肩でやっと息をしている彼女の姿があった。そんな状態でも、私の姿を見るとなんとか笑顔を見せようとしてくれる。そのしぐささえ、体に負担が大きいようで痛々しい。

こんなときにどんな言葉をかけたらいいんだろう。この場にふさわしい言葉など何も浮かんでこない。浮かぶ言葉のすべてが空疎に感じられる。どうにかして励ましてあげたい。言葉にならないこの気持ちを、手でも握って伝えたい。しかし年が一回りも離れているとはいえ、ご主人が見ている前ではそれもはばかられた。

行き場のない手のひらを、そのまま彼女の手術したお腹にそっと当ててみる。するとヒロコさんは一言、「あったかい」とつぶやいた。そして消え入りそうな声で、「私、なんだか死なない気がする」といった。

それが今の心境なのだろう。もともと彼女は、あの世があることに確信をもっていると話していた。魂は永遠なのだから、死の恐怖ももっていないようだ。

だけど私は、そうかんたんにあの世になど行ってほしくない。それが正直な気持ちだったが、それを伝えることも酷な気がした。長居しても負担になるだろう。何もできない強いもどかしさを抱えたまま、「それじゃ、また…」といって私は部屋を後にした。

それから2日が過ぎたころ、ご家族から「逝っちゃった」と連絡があった。あのヒロコさんが死んだのだ。その現実を受け止め切れないまま、私はまた京王線に乗って葬儀場へと向かった。棺のなかに横たわる彼女の安らかな顔を目にしても、私には実感がない。

「人って本当に死ぬんだな」

そんなまぬけな思いしか浮かんでこない。そして足元に落ち続ける自分の涙を、ただぼんやりと見ていた。(つづく)

モナ・リザの左目 〔非対称化する人類〕

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*小説『ザ・民間療法』全目次を見る 028

ヒロコさんが旅立ってしまってからも、彼女が遺した「あったかい」という言葉は、私の耳に響き続けていた。

あのときお腹に軽く手を当てただけで、死にゆく人に向けて言葉にならない気持ちを伝えることができた。言葉ではなく、触れることでしか伝えられない思いもあるのだろう。これは私にとって大きな気づきだった。

美術の世界にいたころは、私が触れる対象は単なる「物」でしかなかった。その対象が物から人の体へと変わり、触れることが治療として役立つようにもなっていた。そればかりか、触れるという行為は、言葉を超えた感情を伝える役割まで果たせるのだ。

それほどの大役であっても、触れるための特別な技術など要らない。これまでの私は、美術作品を作り上げるためだの、病気を治すためだのといって、一生懸命に技術ばかりを高めようとしていた。

しかしそんな大それたことなど考えなくともいい。触れるという行為そのものに大切な意味があったのだ。この気づきによって、急に肩の荷が降りた。

「何も治せなくたっていい。ただ、この道を進んでみよう」

やっとそう決心できた。

「それでいいのよ」

ヒロコさんも、そういってくれているような気がする。

もちろん「治せなくてもいい」とはいえ、やっぱり治せる人にはなりたい。だが、それを本業にするとなると、医大に行くか、何か国家資格を取るための専門学校に行かなければならないだろう。それは今の私にはどちらもハードルが高すぎる。何年も学校に通えるほどのお金のゆとりもない。

しかし民間療法なら、国家資格がなくても開業できるものもあるらしい。そのための学校もあると聞いたので、早速電話ボックスに置かれた電話帳を開いてみる。そこで池袋の整体学校を見つけた。電話で見学を申し込むと快く受け入れてくれた。

思い立ったが吉日だ。そのまま山手線に揺られて池袋まで出かけた。駅の雑踏を抜けてしばらく歩いていくと、学校があるはずの住所まで来た。ところがそこに立っているのは、いかにも場末な雰囲気を漂わせる雑居ビルである。

一瞬たじろいだが、ビルの暗い階段を上ってドアを開けると、そこには白衣を着た先生たちが、5~6人の生徒を相手に指導していた。とりあえず学校としての実体はあるようで、少しホッとする。

だがなかに入ると、室内がやたらと煙い。治療台の横に立っている灰皿にはタバコの吸い殻が山と積まれ、床にまでこぼれ落ちている。先生も生徒もおじさんばかりで、むさくるしい。これはどこかで見た光景だ。

そうだ、雀荘だ。そう思えば親しみも湧く。しかしここは整体の学校だったはずだ。それなのに、あまり人様の健康を預かる雰囲気ではない。これが普通の人なら「ここはちょっと…」と躊躇する場面だろう。

ところがなぜか今の私には、しっくりとなじめそうな気がした。しかもそこにいる先生も生徒も、みんななんだかえらく楽しそうなのだ。

「よし、ここに通おう」

そう決めた私は受講を申し込んだ。そして手渡されたかんたんな申し込み用紙を見て、初めて大事なことに気がついた。住所を書き込もうにも、今の私には住所がない。私はホームレスだったのだ。

そうなると学校の申し込みどころではない。住民票が先である。そこにいた先生には「また来ます」とだけ告げて、急いでアパートを探しに出かけた。

しかしアパートを探すといっても、インド帰りの無職で住民票もない人間に、部屋を貸してくれるところなどない。そうでなくても、アパートを借りるには保証人だの収入証明だのと厄介なのだ。

何より、私の風体そのものが怪しいときている。私が不動産屋の立場でも、絶対にこんなヤツに物件なんか紹介しない。それはわかっていた。ところが何軒も断られ続けて途方に暮れかけたころ、やっと部屋を貸してくれるところが見つかった。六畳一間ながら、歩いて15分ほどで渋谷駅まで出られるのだから文句はない。

これで住所が決まった。整体の学校の入学手続きもできた。こうしてやっとこさ、いそうろう生活にも終止符を打ち、私の新たな人生が始まったのだった。(つづく)
モナ・リザの左目 〔非対称化する人類〕

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029
やっと住むところも決まったことだし、私は意気揚々と池袋の整体の学校に通い始めた。

40になったばかりの私など、かなり若い部類である。生徒の大半は中高年で、退職や定年を機に新たな技術を身につけ、人生の再出発を目指している人が多い。その分、みな真剣に技術を学びとろうとしている。なかには地方からわざわざ習いに来ている人までいた。

教室の壁には、第1期からの修了者たちの集合写真が貼ってある。毎期5~10人ほどで、トータルでは千人近くの修了者がいるようだから、なかなか歴史があるのだろう。

学校の創始者である小嵐会長は70そこそこのはずだが、「ワシは回天の生き残りじゃ」が口癖だった。回天といえば太平洋戦争の特攻艇の名称だから、どうも世代がちがう。整体を全国に広めた功労者だと聞いていたので、その信憑性すら薄らぐ気もする。でも、そのうさん臭いところがまたおもしろい。


ここでは決められた手技を、生徒同士が練習台となって行う。手技を一通り全部やると20分ほどかかる。それが終わると攻守交替して練習を続けるのである。

一口に整体といっても、押しや揉みだけでなく、ストレッチ的なもの、さらに関節に勢いよくひねりを加えて、音を鳴らすアジャストと呼ばれる技もある。


そういえばオーロビルには、韓国系デンマーク人の女性治療家がいた。栄養失調でやせこけている私から見たら彼女はかなり立派な体格で、流暢な英語を話していたので、こちらでの暮らしも長いようだった。

彼女は治療のとき、妙な節回しの歌を口ずさみながら、ランバダダンスのように腰をくねくねさせて踊る。そして歌が終わると同時に、うつ伏せに寝ている患者の上にまたがって、両手で勢いよく背中をグイッと押す。するとバキバキバキッとすごい音が室内に鳴り響くのだ。

私はこわくて受けたことはないが、この一連のパフォーマンスを彼女はピッチピチの衣装を着てやるので、オーロビルの男性たちにはファンが多かった。


今思えば、あのとき彼女が使っていたのも整体技の一種だったのかもしれない。日本のバラエティ番組でも、オーバーアクションで人気の治療家が大勢出演していた時期があったから、ああいうのがウケるのだろう。

しかしここでは、そんなハデな手技はほとんどない。いたって地味な作業の連続である。整体師というのは、白衣を着た土方だという人がいるのも納得できる。確かにこれは治療というより肉体労働に近い。練習しているだけでも、かなり体力が必要なのだ。


それでも整体を一日中受けていれば、体の調子が良くなると思うかもしれない。ところがその手技をやっているのは素人なのである。力の加減も不安定だから、突然強い力が加わらないか心配で、体は常に緊張を強いられる。

逆に力が弱くても、指先に迷いがあると、体のあちこちをモゾモゾと動くだけで、痴漢にでもあっているようだった。なかには手のひらにやたらと汗をかく人もいる。体質だから仕方ないのだが、そんな人の練習台になると、着ている服が汗でじっとり湿るので、これまた気持ちが悪い。

これが先生方となるとさすがに力加減が絶妙で、技を受けていて全く不快感がない。それどころか、教わっているのを忘れてついリラックスしてしまう。これはイイ。そこで私も早速、習った技を友人たちに披露してみるのだが、あまり評判がよろしくない。受けた感触としては、悪くもないが良くもないといったところらしい。

技そのものは単純なのに何がちがうのだろう。私にはそのちがいがよくわからない。これでは整体でプロを名乗るのは、まだまだ先のことになりそうだ。(つづく)


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030
平日は朝から晩まで整体の学校で練習に励んでいる。実践も兼ねて、友達の家で整体をやってあげたりしていると、それだけで1週間のスケジュールはいっぱいだ。

そんなとき友達から、知り合いのスナックで厨房のバイトを探していると聞かされた。私は昔、喫茶店をやっていたこともあるので、飲食の仕事ならだいたいのことはできる。

整体学校の学費だけにとどまらず、新生活ではあれこれとお金が出ていくペースが早い。ここはぜひともバイトぐらいはしたいところだ。しかもその店は、私のアパートから歩いて通える距離らしい。そこで「ぜひとも」とお願いすると、その夜から働くことになった。

そこは山手線の駅にほど近い、飲食店街の片隅にある小さなスナックだった。10席ほどのカウンター形式のお店を、40代のママが一人で切り盛りしている。だから私の仕事は、開店前の掃除とかんたんなお通し作りである。

手順を確認して準備を整え、いざ開店。すると外で待ってでもいたのか、いきなり数人の客がなだれ込んできた。すばやくお通しを出すと、まだ次から次へと客が入ってくる様子で、店のなかがやけににぎやかだ。一通りお通しを出し終えたところで、ママが私を厨房から呼び出した。

顔を出してみると、店のなかは超満員で立っている客も大勢いる。どうやらみんなこの店の常連らしい。そこでママから「今度、入ったMちゃんヨ~。今、整体の学校に通っているの。ヨロシクね~」と紹介された。この店では、私はMちゃんと呼ばれることになったらしい。

そうやって私の紹介が終わると、今度はそこに居並ぶ常連客たちを、カウンターの端の席から順に紹介し始めた。

「まず、こちらはどこそこのシマをもつ◯◯組の組長さん、そしてこちらは△□地区を仕切っておられる△△会の会長さん・・・」

ここまで聞いて、やっと理解できた。ここはヤクザ御用達で、親分衆が集う店だったのだ。そして狭い店内で後ろにひしめき合って立っているのは、それぞれの組の若い衆たちなのである。

彼らは親分がカラオケで「からじしぼ~た~ぅ~~ん♪」と唄うと、周りで盛大にバシバシ拍手して盛り上げる。その姿は見事に統率が取れていて、清々しいほどだった。

いや、そんなことに感心している場合ではない。この店のママことアケミ姐さんは、その世界では知られた極妻なのである。なんということだ。だがそれを知ったからといって、初日から「辞めさせてもらいます」というわけにもいかない。

さらに困ったことに、私は昔からカタギの衆よりもヤクザモノには妙に受けがイイのである。今回も、なんだかたいそう気に入られてしまって、親分衆が気前よくチップをはずんでくれた。しかも、整体の学校を卒業して開店するときには、みんなで応援に行くとまでいってくれる。

「ヤクザさん御用達の整体院か…」

治療台の横に若い衆が立っていたら、さぞかしやりづらいだろうな。店の前に「いかにも」な黒塗りの車が停まっていたら、一般の人も入りづらいだろうし…。そんな情景が次々と頭に浮かんで、冷や汗が出る。それでもなんとかバイト初日の閉店時刻になった。

「やれやれ」と思いながら帰り支度をしていると、「Mちゃんちょっと一軒つきあって~」とママに呼び止められた。見ると、さっきまで店にいた若い衆が、店の前に黒くて立派な車を停めて、ママを迎えに来ていた。

この状況では断ることもできない。ママと一緒に車の後部座席へと乗り込むと、運転席の若い衆はニコリともせずに「親分がお待ちです」とだけ告げて、いきなりアクセルを踏み込んだ。

一体どこに行くんだろう。何も粗相はしてないはずだけど、今日は無事に帰れるだろうか。窓の外を猛スピードで流れていくネオンのなかに、バイトを紹介してくれた友達の顔が浮かぶ。

「たすけて~」

(つづく)


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