小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

カテゴリ:小説『ザ・民間療法』 > 開業編

*小説『ザ・民間療法』全目次を見る 小説『ザ・民間療法』挿し絵044
私にとって仕事の予約の電話は生命線である。できるだけ受け損ねないように、寝るときだっていつも手が届くところに電話を置いている。その日も夜中にグッスリと眠り込んでいるときに、突然、枕元の電話が鳴り響いた。

深夜にかかってくる電話は、体の不調を訴える患者さんからのものが多い。ときには、「今、どこそこが痛いので、タクシーで来てほしい」といわれることもある。

そういう場合、症状が出た経緯をくわしく聞いて、緊急度を判断しなければならない。モノによっては救急病院の受診を促す必要もある。判断をまちがうと危険なので、緊張で眠気など吹っ飛んでしまう。

だが今回の電話はちがった。
「陣痛が始まったから、すぐにタクシーで〇△病院まで来て!」というのだ。

以前からの患者さんである樹森さんは、臨月なのでそろそろだとは聞いていた。しかしこれから生まれてくるのは私の子供ではない。ダンナもちゃんといる。今も立ち会っているようだ。そこへわざわざ他人の私が呼ばれたのは、初めての陣痛のあまりの激しさに耐えかねて、私にどうにかしてほしいからだった。

聖書によれば、陣痛は神から女性に課せられた苦しみなのだという。そんな原罪を私の手技でどうにもできるものではないだろう。そうは思ったが、それでも急いで身支度してタクシーで病院に向かった。

いつもは混み合っている都内の道路も、深夜だと空いていたおかげで、日ごろの半分ほどの時間で到着した。そのまま病室に入ると、樹森さんはダンナに手を握られながら、ウンウンうなって痛みに耐えている。腰が砕けるような痛みだと表現されることもあるから、本当につらそうだ。

打ち身などであれば、痛みは時間とともに徐々に引いていくものである。それが陣痛となると、周期的に激しい痛みが襲ってくる。しかもその間隔が、時間とともにどんどん短くなるのだからたまらない。

なんとかしてくれといわれても、さてどうしたものだろう。
女性の痛みといえば、激しい生理痛のときには、腰の骨がズレていることがある。そのズレをもどすと痛みが止まることも多い。それなら陣痛も似たようなものだろうか。

やるだけやってみよう。そう考えて腰のあたりを調べてみると、確かに背骨がズレていた。そこで恐る恐る背骨を正しい位置にもどしてみると、痛みがやわらいだ。

「お、これはすごい!」
だがそう思ったのも束の間で、またすぐに痛みが襲ってきた。「アレ?」と思って確認すると、また腰の骨がズレているではないか!そこで再度、ズレをもどす。するとまた痛みがやわらぐのである。そばで見ていたダンナも、「ふしぎなもんだナ~」と感心している。

こうなったら仕方がない。痛みが来る。ズレをもどす。痛みがくる。ズレをもどす。これを延々とくりかえした。

出産というのは、陣痛の周期がどんどん短くなって、子宮口がある程度まで開かなければいけない。樹森さんの周期にはまだ余裕がある。子宮口の開き方も足りないらしい。試練はそれから5時間以上もつづいて、私には永遠にも思えるほどだった。

初めての出産といえば、友人の今日子ちゃんの話を思い出す。
彼女は10代のころは地元では有名なヤンキーだったが、今では天使のような介護士さんとして知られている。

ところが初めての出産の際、分娩室に移ってからもあまりに激しい痛みが長引くのでこらえきれなくなった。そしてついお腹の子に向かって、「テメーこのヤローッ さっさと出てきやがれーッ!」とドスの効いた声で叫んでしまったのである。

その怒声のあまりの迫力に、院内のスタッフたちの彼女を見る目が変わった。そして出産後はやたらと丁寧な敬語に切り替わったままで、その状態は退院までつづいたのだった。それも今では笑い話だが、出産は外聞など気にしていられないほどたいへんだということなのだ。

しかしそばに付き添って、頻繁にズレる骨を一晩中もどしつづけるのだって、体力的にはきつかった。明け方になってやっと樹森さんが分娩室に運ばれたときには、私もへたり込むほど疲れ果てていた。

その後、無事に元気な女の子が生まれて安心したが、冷静になって考えてみれば、出産に男二人が立ち会っている光景は、かなり妙だったのではなかろうか。院内ではどのようにうわさされていたことだろう。それを考えると、ちょっと笑えてくるのだった(つづく)


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045
最近また釣りを始めた。始めたといっても、月に1回も行けるわけではない。それでもふとした瞬間に、「今度は何を釣ろうか」と考えるだけで楽しい。

もともと田舎育ちの私は、子供のころから近くの川で釣りをするのが好きだった。しかし大人になるにつれ、釣りに行くこともなくなった。都会暮らしになると、なおさらその機会もない。今でも余裕があるわけではないが、釣り好きの高旗さんに誘われて再開したのである。

カースタントの高旗さんには、特殊美術の仕事のころからお世話になっている。彼は仲間から「ボス」と呼ばれて尊敬される存在だ。大の釣り好きとしても有名で、しょっちゅう自分で船を出しては大物を釣り上げていた。地元の漁師さんからも一目置かれるほどだから、話を聞いているだけでもワクワクする。

私も趣味は同じだが、あいにく船酔いするタチなので船釣りは苦手だった。ところがこの日はあまりに天気がよかったので、誘われるままにボスと二人で相模湾の小さな漁港まで釣りに出かけたのである。

釣りというのは、行けば必ず釣れるわけではない。釣りをしない人には理解できないらしいが、釣り好きなら、釣れても釣れなくても楽しいものなのだ。この日もポカポカとした春の陽気のなかで、のんびりと釣り糸を垂れて久しぶりにくつろいでいた。

すると突然、後ろのほうでドカンと大きな破壊音がした。釣りをしている港の後ろには国道が走っている。音がした方角に目をやると、モウモウと白い煙が立ちのぼっていた。「あ!」と思ってボスの顔を見ると、ボスは「行ってみよう!」とだけ告げて国道に向かった。

そこには大型のタンクローリーが横倒しになっていた。自動車事故である。車の前に回ると、運転席のフロントガラスを突き破った状態で、男性がぶら下がっていた。タンクからは積み荷の液体が漏れ出して道路に広がっている。そこから白い煙があたり一面に充満しているのだ。これは何だろう。

漏れた液体が引火物なら爆発の危険がある。しかも車のエンジンがかかったままなので、ガソリンが漏れてくれば一気に爆発してしまう。これがとてつもなく危険な状況であることは私にもわかった。事故の音を聞きつけて集まった近所の人たちも、近づくわけにもいかないので遠まきに見ているだけだった。

ところがそんな状況でも、ボスはためらうことなくまっすぐに車に駆け寄った。カースタントで幾多の危険をかいくぐってきただけに、反応速度が素人とは格段にちがう。即座に積み荷の表示を確認し、「温泉の湯だ!」と叫ぶなり、横倒しになった車の下にもぐりこんだ。

道路に漏れ広がっているのはお湯でも、エンジンがかかったままではいつガソリンに引火して爆発するかわからない。運転手を助けるには、まずはエンジンの停止しかないと判断したのだ。

すかさず私も運転席によじ登り、窓からぶら下がったままの男性を助け出そうとした。彼はフロントガラスを突き破った際に、頭の皮が半分ほどはがれていた。あたりは血だらけだ。声をかけても全く反応はない。首に指を当てると、かすかに脈があった。なんとしても助けたい。

ところが力いっぱい引っ張っても、押しつぶされた運転席に脚がはさまっているようで、彼の体はビクともしなかった。

そのタイミングでボスがエンジンを止めた。おかげで爆発の危険はなくなったので、近くの人に脚立をもってきてもらう。それを足がかりにして運転席にもぐりこみ、ボスと二人で悪戦苦闘した。あまり手荒なこともできないので途方に暮れかけたころ、ようやく消防のレスキューが到着した。

ここでホッとしたが、5~6人のレスキューの手でもなかなか脚は抜けてくれない。それから何分たっただろうか。脚をはさんでいた部分を機械で押し広げ、やっとのことで体を引き出した。しかし担架に乗せたときには、もう彼の脈は消えてしまっていた。

彼が救急車で運ばれるのを見送ったところで、自分の手が血だらけなのに気がついた。その手をタンクローリーから漏れ続けている温泉のお湯で洗いながら、彼の家族のことを思った。

まだだれも彼が事故に遭ったことなど知らずにいる。夕方になれば、仕事を終えた彼がいつものように帰ってくると思っているだろう。しかし事故の知らせが届いたら、一瞬でそんな日常など吹き飛んでしまう。これはだれにとっても、決して他人事ではない。

釣り場にもどっても、ボスも私も釣りを続ける気にはなれなかった。おしだまったまま道具を片づけ、帰路につく。重たい空気に包まれた車内で、運転席のボスが、「君のそんな真剣な顔は初めてみたナ」とつぶやいた。

確かに、私は自分の人生にそんなに真剣に立ち向かってこなかった。いい加減に生きているように見えたかもしれない。そんな私でも、赤の他人とはいえ、人の死に立ち会うことは大きな衝撃だったのだ。

整体の仕事を通して人の生死にかかわるようになると、いやでも真剣にならざるを得ない。ただこれまでの私は、そのことをまだ知らなかったのである。(つづく)

モナ・リザの左目 〔非対称化する人類〕

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小説『ザ・民間療法』挿し絵046

開業して半年も過ぎると、だんだんと整体の仕事にも慣れてきた。もちろんまだまだ知らないことばかりで、毎日が勉強に次ぐ勉強だ。それでも学生のころとちがって勉強が全く苦にならない。知識はすぐ実践に反映されるので、そこに充実感もあった。

そんなある日、助産師の酒井さんから「診てもらいたい男の子がいる」と電話があった。酒井さんはベテランの「オッパイ先生」で、お母さんたちからの信頼が厚い。私も酒井さんをプロとして尊敬していたので、彼女の頼みならなんとしてでも診てあげたい。ところが私にはためらいがあった。

実は私は妊娠初期の人や、子供への施術は極力お断りするようにしていた。ヘタに体を刺激して、何か不都合が生じても責任が取れないからだ。しかし酒井さんはそれを承知で、「何もしなくていい。体をチェックするだけでいいから」といって重ねて頼んでくる。

酒井さんがそこまでいうのには理由があった。聞けばその健太くんは、出産時のトラブルで脳性麻痺になって、今やっと4歳になるところらしい。彼のお母さんに会ったとき、酒井さんがつい私の話題を口にした。すると「ぜひとも診てもらいたい」という話になって、承諾してしまったのだった。

健太くんの家には酒井さんもついて来てくれるという。そこまでいわれてはさすがに断れないので、とりあえず一度だけうかがってみることにした。

健太くんがご両親と住んでいる家は、私のアパートからは少し遠いところにある。電車を乗り継いだ先にある地下鉄の終点で、酒井さんと落ち合った。そこからしばらく歩いて、こぢんまりとした2階建ての家の前まで来ると、酒井さんは「田中」と書かれた表札の横に手を伸ばし、慣れた手つきで呼び鈴を押した。

呼び鈴の音が鳴ったかと思うと、勢いよくドアが開いた。なかからは40代の田中さんご夫妻と、歩行器に乗った健太くんが出迎えてくれた。その後ろからは、妹のミクちゃんまで顔をのぞかせている。家族総出でのお出迎えである。

酒井さんの姿を見た健太くんは、これ以上ないほどの笑顔を見せていた。その表情からは、彼が酒井さんのことが大好きなのが伝わってくる。そこで酒井さんが健太くんと遊んでくれている間に、私はご両親から、出産時のいきさつや今の状況などをうかがうことにした。

医者からは、「この子は生涯、しゃべることも歩くこともできない。ふつうの子のようには知能も発達しない」と診断されていた。だから両親としても、決して脳性麻痺が治ることなど期待していない。ただ、せめて「パパ、ママ」とだけでも呼んでもらいたい。そんな願いを抱いているというのだ。

子供のいない私でも、ご両親の切ない気持ちはわかる。そうはいっても、私ごときが願いを叶えてあげられるはずもない。しかし大歓迎を受け、お茶やお菓子まで出していただいて、話だけ聞いて帰るわけにもいかないから、健太くんの体を見るだけは見せていただこう。

そもそも私は子供の扱いが非常に苦手である。まわりに子供がいないので、どのように接していいかがわからない。子供の体はきゃしゃだから、壊れてしまいそうで触るのがこわいのだ。しかしそんな私の心配をよそに、健太くんは最大限にウェルカムな笑顔で私の緊張をほぐしてくれた。

下半身の麻痺なら、テレビ局のスタッフだった男性や、インドで会ったミシェルの体で知ってはいた。彼らは背骨の一部が万力で上下から圧縮したようになっていて、まわりの筋肉もコチコチに固まっていた。あの二人の体のことを思えば、あれが正常な状態にもどせるとはとうてい考えられない。

ところが実際に健太くんの背中を見ると、体の状態は彼らとは全くちがっていた。麻痺に特有のあの変化が見られないのだ。これは予想外のことだった。

「ハテ、これでどうして下半身が麻痺しているのだろう?」

これが私の第一印象なのだった。(つづく)

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小説『ザ・民間療法』挿し絵047
助産師の酒井さんに連れられて、脳性麻痺の健太くんの家に行った私は、なぜ彼の背骨には、脊髄損傷の人のような緊張が現れていないのか、それを不思議に思った。これは全く予想外だったのである。

そもそも脳性麻痺と脊髄損傷による麻痺とでは発症のしくみがちがう。だから、こういうものなのかもしれない。しかしそれを確認しただけで、「ハイ、サヨナラ」といって帰るわけにもいかなかった。健太くんの表情からは、私をお友達の一人に加えてくれているのがわかるので、なおさらだ。

インドで出会ったミシェルは脊髄損傷で歩けなかったが、彼のもとに通っていたフランス人マッサージ師のアドンは、ミシェルがいつか歩けるようになったときのためだといって、脚の関節が固まらないようにストレッチをやっていた。

あのときのアドンの手技を思い出しながら、私も健太くんの脚に手を添えて、ゆっくりとストレッチをやってみた。すると彼は大喜びである。

歩いたわけではないが、生まれて初めて脚を動かしているのがおもしろいのだろうか。どうやらこの運動は、彼の体には負担になっていないようだ。それなら続けてみてもいいだろう。そこでこの手技を、お母さんの手でも毎日やってもらうことにした。

もちろん、これで健太くんが歩けるようになるわけではない。お母さんも私もそれはわかっていた。それでも健太くんの年齢なら、まだ新しい神経回路ができるかもしれない。そのときのためにも、訓練を続けてみましょうと話した。

ありもしない希望をもたせるのは無責任である。だが全く希望がないのも酷な気がするから、私にはこの提案が精一杯だった。

とはいっても、このまま「あとはよろしく」といって帰るのはしのびない。酒井さんの顔も立てなければいけないだろう。そこで少し考えた末、仕事としてではなく、ボランティアという形で週に1度、健太くんに会いにくることにした。

無償にしたのは私が良い人だからではない。仕事として請け負うにはあまりにも重すぎて、私には責任を負えないからだった。正直にいえば、脳性麻痺という病気そのものにも興味が湧いた。これも事実である。

なぜ脚が麻痺しているのか。健太くんの体の状態は、決して病人のものではない。触った感触はいたって健康なのだ。しかし体の形がちがうところが1か所だけあった。

健常者なら、みぞおちの部分は肋骨の形がAの文字のようになっている。ところが健太くんは、Aの裾が広がってカタカナのハの字のように開いているのである。

この形は何を意味しているのだろう。この疑問が解けるまで、私は健太くんのもとに通うことになるのだろうか。いったい私に何ができるのか。そんなことをあれこれ考えてはみたが、とりあえず今回はこれで引き上げることにした。

酒井さんと二人で帰途についた私は、次々と浮かんでくる疑問で頭がいっぱいだった。だまりこむ私を尻目に、酒井さんはいかにも満足気である。彼女は、きっと私が引き受けるだろうと確信していたようだった。どうやら私は、彼女にうまく乗せられたのかもしれない。(つづく)


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小説『ザ・民間療法』挿し絵048
毎週日曜日に、脳性麻痺の健太くんの家に通うことに決めた。健太くんのトレーニングのためである。トレーニングといってもごく軽い動作なので、健太くんは遊びだと思っていることだろう。

子供の扱いが苦手なはずの私が、なぜこんなことを引き受けてしまったのだろうか。自分でもふしぎな気持ちのまま、友人たちとネパールの孤児院を訪れたときのことを思い出していた。

訪問の名目はボランティアだったが、私たちが大して役に立つとも思えない。それなのに、子供たちは輝くような笑顔で歓迎してくれた。身なりこそみすぼらしかったが、彼らは清らかな光に包まれているようで、言葉のちがいなど全く問題にはならなかった。それは尊い体験として、私の心に深く刻まれている。

健太くんも最大限の笑顔で私を受け入れてくれていた。人と向き合って、これほど深く肯定されている感覚は、なかなか得られるものではない。健太くんは話すことはできないが、孤児院にいた彼らと同じで、そこには会話の必要性など全く感じられなかった。

それでも、いつかは話せるようになり、歩けるようにもなるためのトレーニングは続けた。脚の関節が固まらないように、私が手を添えて脚を動かしたり、背中を軽くさすってあげたりするのだ。

脚を動かしてあげると、まるで自分で歩いているような感覚になるのだろう。大きく見開いた目が輝いて、健太くんは心底楽しそうだ。この運動で関節が温まったところで、今度は「走るよ!」と声をかけ、勢いよく脚を動かしてあげる。すると私も、健太くんといっしょに走っている気分になる。それが楽しくて、二人でよく声を上げて笑った。

健太くんは背骨がズレるようなことはなかったが、背中を軽くなでているだけでもそれなりに体がほぐれてくる。こんなことも少しはプラスにはなっているだろう。

週に1回の私だけでなく、お母さんも健太くんの脚のトレーニングを続けていた。それが日課になって2か月ほどすぎたある日、健太くんが突然しゃべり出したのである。

4歳のお誕生日がすぎても、健太くんは脳性麻痺による言語障害のため、一言も話せないままだった。医師からも「一生話せない」と診断されていた。それはわかっていても、ご両親としては健太くんの口から「パパ、ママ」とだけでもいってもらいたいと願っていた。それが今になっていきなりしゃべり始めたのである。

しゃべるといってもいくつか単語を並べる程度だが、それはもう「パパ、ママ」のレベルではない。微妙にイントネーションはちがっても、ちゃんと会話らしいことまでできるようになってきた。これには両親も大喜びだ。

もちろん脚のトレーニングや背中をさする程度のことで、脳性麻痺の言語障害が回復したわけではない。健太くんは他の子に比べて、発達のスピードが遅かっただけなのだろう。

その後、健太くんはテレビゲームでふつうに遊べるようにもなった。脳もしっかり発育しているようだ。つまり最初の医師が宣告した「生涯、話せない、脳も発育しない」という診断がまちがっていたことになる。誤診なら誤診でいい。これはうれしい誤診なのだった。

ところが人間は、一つ願いが叶うと次々と欲が出てくるものらしい。言葉と知能の回復が叶ったら、残るは歩行機能だけである。さすがにそこまでの誤診はないはずだが、ご両親としては期待するようになっていた。

私だって健太くんが歩けるようになってほしい。ご両親の期待にも応えたい。何かいい方法はないだろうか。そんなことが頭をかけめぐるようになっていた。だが当の健太くんはいつもの通り、脚を使うことのない歩行器に、ただ座ったままだった。(つづく)


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