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出張整体で開業して早2年が過ぎた。少しずつ患者さんも増えてきている。施術の予約はスポットで入ることもあるが、定期的に訪問する人も多いので、経営的には安定していた。
そんな定期の患者さんの一人に、84歳になる田中芳子さんがいた。芳子さんは世田谷の高級住宅街で、家族といっしょに暮らしている。家族のなかでは芳子さんがいちばん私のことを気に入っていて、施術が終わるといつも、「あ~楽になった」といってたいそう喜んでくださる。毎回その言葉を聞くのが励みにもなっていた。
芳子さんのご家庭はゆとりのある暮らしのようだが、本人はいつも頭にヘアネットをかぶり、服装はかなり地味目がお好みらしかった。あるとき、施術のあとでお茶をいただいて一服していると、彼女が机の上の古いアルバムを開いて、コホンと一つ咳払いをした。
「昔の写真ですか」とのぞき込むと、「これが70年前のアタクシよ」と一枚の写真を指さして、少しアゴを上げた。芳子さんの指の先には、こちらを見て微笑んでいるセーラー服姿の美少女が立っていた。
今では全く耳にしなくなったが、昔の日本には「清純」という言葉があった。吉永小百合さんなどは清純派女優の代表で、サユリストと呼ばれる熱烈なファンも多かった。
セピア色をした白黒写真のなかの芳子さんは、その「清純」のイメージそのもので、小百合さんもかすむほどである。今ならスカウトまちがいなしだ。
しかし時の流れは無情である。飾りっ気のない今の芳子さんにその面影はない。本人も、「もうこんなになっちゃったけどネ」といいながらカラカラ笑う。そんな気さくでチャーミングな人なのだ。
その芳子さんに、病院の検査で肺がんが見つかった。別に体調が悪かったわけでもなく、たまたま受けた検査で肺に影が写っていたのである。すぐ受けた精密検査の結果でもやはりがんだったので、入院して治療することになった。
確かに彼女はタバコを吸っていたし、家族にも喫煙者が多かった。それでもとてもお元気で、さしあたって体に痛みなどの症状は何もなかったのだ。それなのになんで肺がんなのか。私にとっても、この事態は青天の霹靂(へきれき)だった。
私にがんという病気の専門的な知識などないに等しいから、がんになったら助からない死病だという一般的なイメージしかない。だが肺がんなら、何年もかけて少しずつ進行していたはずなのに、なぜこれまでの施術の際に気づかなかったのだろう。
がんになった体がどのように変わるのかを知らなくても、ふつうの人とはちがう、ちょっとした変化ぐらいあったはずだ。私がその変化に気づいてさえいれば、もっと早く肺がんを見つけられたのではないか。
もし彼女がこのまま肺がんで亡くなるようなことがあれば、私にも責任がある。そう思うと、身がよじれるほどつらかった。いや。私のつらさなどどうでもいい。気を取り直して、すぐに芳子さんの入院先へと向かった。
どんな顔で病室の芳子さんに会ったらいいのだろう。会わせる顔などないではないか。胃の底に重たいものを感じながら、勇気を振り絞って病室に入ると、娘さんとお孫さんが来ていた。芳子さんの腕には点滴のチューブが刺さっている。その姿が痛々しい。
ところが彼女は、拍子抜けするほど元気そうで、いつものように私を見るなりうれしそうに微笑んでくれた。彼女は肺がん治療のために入院しているのに、まだこの先に何が起きるのかがイメージできていないようだ。家族にしても、医者にいわれた通り治療すれば、以前のように回復するものだと思っている。
しかし私にはなまじ知識があるせいで、最悪のケースしか頭に浮かんでこない。インドでご一緒して、帰国後に胃がんで亡くなったヒロコさんを思い出してしまう。そして彼女の最期の姿ばかりがくり返し思い出されて、また胸が苦しくなるのだった。(つづく)
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