小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

カテゴリ:小説『ザ・民間療法』 > 序章

小説表題イラスト01
20世紀末の日本において、ある一人の男Mが齢40にして美術の世界から民間療法の世界へと飛び込んだ。彼は美術家として培った能力によって、人体にある特異な現象を発見。その意味を知って震撼する。

だがこの現象の存在を訴えるMの発言は、既存の社会からはことごとく排除されていく。この現象がもたらすインパクトはあまりに巨大で、同時代の人間の多くには全容を把握することさえできなかった。そして理解できた人間は、自らの立場を守るために沈黙し、Mにも沈黙を強いるしかなかったのである。

彼はその後もさらに現象の解明に年月を費やし、ついには老いと呼ばれる年齢を迎えた。「このままでは神から託された預言が埋もれてしまう」と焦るM。彼が見つけてきたもの、成し遂げたものとは何だったのか。果たしてその真実が正しく評価される日は来るのか。

*目次

序章
005  インド人の親切は方向がちがう!
006  コウモリ、サソリ、コブラと暮らす
007  サソリより痛いスコーピオン・アントの猛毒と激痛体験
008  ベジタリアンでは体がもたない
009  巨大なマトリマンディアで瞑想に挑戦
010  インドのアフリカンダンスで撃沈
011  解脱をめざして本場インドでヨガ修行
012  お花の朝露療法で心のトラウマを癒やす
013  インド伝承医学アーユルヴェーダの秘薬
014  インドのお宝で物欲再燃、解脱から脱落
015  奇跡の輪郭 フランス人青年ミシェルとマッサージ師アドン
016  カルカッタの人混みでインド人のひざ痛を治す
017  本場インドのオイルマッサージ師と頂上対決!
018  1杯2000円のコーヒーとインドの外国人専用歯科
019  特大パワーストーンの魔除け効果とヒーリング
020  寒気と高熱で気絶したあとのイタリアン味噌汁
021  奇跡の人サイババと超能力者の使命
022  ヒンドゥー教の火渡りと御柱祭の岡本太郎
023  断食修行で死にかけて得た悟り
024  河口慧海の求道の旅とヒマラヤの聖者
025  シッキムのラマ教寺院で究極の悟りに至る

立志編
026  ホームレスと劇症型風土病
027  それぞれの旅立ちと永遠の別れ
028  池袋の怪しい整体学校と新たな人生の始まり
029  ハデな「ランバダ流」整体 VS 白衣を着た「〇〇流」整体
030  スナックの厨房バイトと唐獅子牡丹
031  極妻との一夜に輝くサファイアと円空仏
032  だれも知らない整体の歴史と気功治療への道
033  気功の達人になって相手を倒す
034  気功治療のディープな世界
035  気功で悪霊を封じ込める!?
036  漢方医学の真髄は気功と占星術にあり
037  100%絶対当たる占いで未来を知る
038  占い師プロデビューと整体学校の卒検突破

開業編
039  整体で開業したら人の体に触れるのが怖くなる
040  整体の限界から特殊美術系オリジナル手技へ
041  整体師から「おっぱい先生」へ転身
042  特殊美術の技で内臓を見抜く
043  ロックコンサートでデビューを飾る
044  出産に立ち会って背骨のズレをもどす
045  釣りに行って命がけのレスキュー
046  奇跡は起きるのか① 脳性麻痺の健太くんとの出会い
047  奇跡は起きるのか② 健太くんのトレーニングを始める
048  奇跡は起きるのか③ 突然しゃべり始めた健太くん
049  奇跡は起きるのか④ ボランティアの落とし穴
050  奇跡は起きるのか⑤ イルカと泳ぐと癒やし効果がある!?
051  奇跡は起きるのか⑥ カメラが捉えた奇跡、その後。
052  奇跡の代償
053  ヘルニアも坐骨神経痛も腰痛もみな同じ?
054 「の」の字で腎臓病を治す勉強会に潜入
055  凸凹会の腰痛治療と迷走神経刺激で得た悟り
056  民間療法の世界はゴッドハンドで花盛り
057  お坊さんと金髪さんの危ない一夜
058  四つ足の動物だって腰痛になるのヨ
059  ペット愛にも苦しみと別れがついてくる

現象発見編
060  突然おそいかかった肺がん
061  水は気を通さないから気功でがん治療はできません 
062  手のなかに残された記憶と挫折
063  再出発と左の腰のこぶ
064  突然やってきた激痛と左腰のしこりの変化
065  人体の未知の現象との格闘と再生
066  バトル再開から病気のシステムに迫る
067  医学への疑問だらけで新たな壁にぶち当たる
068  子宮頸がんの患者の背中にあったのは…
069  初めて知ったがんの感触
070  これは体に現れる「がんの前兆」なのか
071  無料奉仕でがんに挑む
072  自然治癒力でがんは治るのか
073  大量の健康食品で生活苦
074  がんがあるとリンパが硬いイクラになる!?
075  がんが消えた!
076  悪い予感が的中する
077  がん患者との間でゆらぐ信頼関係
078  日常に潜むサスペンスドラマ
079  農薬を頭からかぶって危うくオダブツ
080  がんの手術は成功! しかしそこにあったのは!?
081  新たな試練が舞い込む
082  たったこれだけで「がんの痛み」が消えたの?
083  世紀の大発見! 背骨は左にしかズレない
084  左の起立筋は手ごわい
085  これは大事件かもしれない!
086  追い詰められてもうどこにも逃げ場がない
087  エエかっこしいはツライよ
088  もしも私のがんが治ったら…
089  家で死ぬのってたいへんなんだ

090  背骨がズレて咳が止まらない
091  散り際の美学
092  親戚が集まると、ろくなことがない
093  冠婚葬祭もつづくが同じ症状の患者もつづく
094  初めて看護師さんに施術法を伝授する
095  それは本当にがんなのか
096  よろいを着込んだがん患者たち
097  この病院からすぐ逃げなさい!
098  教授の執刀は怖い
099  病院から逃げた瀬尾さんの運命と頚椎矯正の苦闘
100  腕を引っ張られると激痛になる

101  冬が近づいている
102  友人が立て続けに去っていく
103  歯槽膿漏から歯肉がんの宣告
104  ベタベタタイプの患者になっちゃイケない
105  セカンドオピニオンと複雑な心のしくみ
106  カリエスってミステリアス
107  エッ!くも膜下出血!?
108  両手の脈をみると動脈瘤がわかる
109  過労死してでも締め切りだけは守れ
110  クラゲの怨念はつづく
111  南国リゾートでのダイビングと窒素酔い

普及編
112  整体の学校で新しい技を披露する
113  がん患者の知覚異常に立ち向かう神経刺激

◆花山水清のノンフィクション大作 好評発売中!
『モナ・リザの左目』ハガキ

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小説『ザ・民間療法』挿し絵001-2
*小説『ザ・民間療法』全目次を見る

あれは私が川釣りを覚え、黒曜石拾いに熱中していた中学生のころのことだった。学校から帰った私が、いつものように近くの河原に行く準備をしていると、それまで平静だった母が、「うっ」と胸を押さえてうずくまった。

突然のできごとというのは、状況を把握するにもしばらく時間がかかる。一瞬、私のなかで時が止まった。今なら即座に119番するところだろう。だが昭和40年代の田舎町には、救急車など来ない。呼んだとしても、運ばれる先はどうせ近所の山本医院なのだ。

「そうだ。先生を呼ぼう」
震える手で受話器をつかんだ私は、必死の思いで山本先生に往診を頼んだ。すぐに快諾してくれてホッとしたものの、先生を待つ間、何をしたらいいかわからない。しかたないので、私はその辺にあった毛布を母にかけておいた。

どれぐらいの時間が経っただろう。山本医院は、うちから歩いて10分ほどである。だからきっと10分やそこらのわずかな時間だったはずだ。しかし先生が到着するころには、母の発作はすっかり治まってケロッとしていた。

それはそれでよかったのだが、現代なら症状は治まっていても病院で心電図ぐらいは撮るはずだ。後日、しっかり検査することにもなるだろう。ところがあのときは「このまま様子を見ましょう」で終わった。

山本先生が帰ったあと、それまでしおらしく寝ていた母は、自分にかけてある毛布の存在に気がついた。途端に「奥にキレイなのがあるのに、なんでこんな汚いのをかけたのっ。恥ずかしいじゃないの!」と、なぜか傍らにいた父を怒鳴りつけた。毛布をかけたのは私なのに、父もとんだとばっちりだ。それはいつもの光景ではあったが、それでも母の完全復活は喜ばしいことだった。

その後も、母には同じような症状が何度も続いた。しかしその都度、自然に治ってしまう。もともと母は、自分の体のことには大げさなタチである。そんなことを繰り返しているうちに、家族のだれもが、大した病気ではないと思うようになっていた。

そんなある日、私の目の前でまた母の発作が始まった。私は母の体を支えようとして、何気なく背中に手を回した。すると私の指先に、何やら小さなしこりのようなものが触れた。背中といっても、それはちょうど心臓の真裏あたりの位置である。

「ひょっとしてこれが原因か」
ふとそんな考えがひらめいた。そこでそのしこりに指を当て、ゆっくりと押し続けてみたらスッと消えた。それと同時に母の症状も、何事もなかったかのように消えてしまったのだ。

「やっぱりこのしこりが犯人だったのか」
私としては、動かなくなった電化製品をいじっているうちに、偶然直せたようで痛快だった。もちろん母はそんなことには気づいていない。いつものように、発作は自然に治まったと思っているようだった。

それから何日かして、また私の目の前であの発作が現れた。すかさず私は母の背に手を回し、例のしこりがないかを確かめた。あった。やはり同じところに同じ感触のしこりがある。それなら、と慣れた手つきで私はゆっくりとしこりを押す。たちどころに母の発作は治まった。

「どんなもんだ」と声には出さないが密かに喜んだ。だがそのとき以来、あれだけしつこく繰り返していた発作が、ピタリと現れなくなった。おかげでせっかくの技術も、それきり出番がなくなってしまったのである。

これはもう半世紀も前の経験だが、今考えてみても、やはり母の発作はあのしこりが原因だった。それを私の指で治したのだ。私には確信がある。しかし当の本人である母は、自分の体で起きていたことなど全く理解していない。尊敬する医者の山本先生ですら何もできなかったのだから、まさか中学生の息子が治したなどとは考えてもみない。

病気というのは、病院でお医者様が注射や薬で治してくださるものだと思っている。まして(自分のように)大変な病気であれば、命がけの大手術でもしなければ治らないと信じ切っている。指先で押されたぐらいで、治ったなどとは絶対に認めたくない。自然に治ったことにしたほうがましだ。そうやって無意識のうちに、母は事実のほうを修正して記憶したようだった。

病気に対してこのような複雑な心理が働くのは、母に限った話ではない。そのことを、後になって私はいやというほど思い知らされることになる。ただし当時の私の記憶には、母の背中のしこりの感触と、人体のからくりを垣間見たような、ワクワクとした感覚だけが残ったのだった。(つづく)

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小説『ザ・民間療法』挿し絵002-2
中学の時点で人体のからくりに触れたとはいえ、その後の私の興味は、絵を描くことに向かっていた。地元の進学校に入学した私は、その興味のまま、何となく美術クラブに入った。特に強い思い入れがあったわけではない。もともと絵を描くのも苦手だった。ところが入部後に初めて描いた油絵は違った。

「天才の作品とは、このようにして生まれるものか」

そんな大それた錯覚が生まれるほど、自分の実力をはるかに超越した作品が勝手にでき上がっていたのだ。描いた私はもちろんのこと、周囲にいた先輩や先生も「あっ」と声を挙げるほどの出来栄えだった。そしてこの作品は、地方の美術展でいきなり最高賞を獲得したのである。

ところがそこからあとが続かない。いくら同じように描いても、私の筆先からは本来の実力通りのものしか出てこないのだ。それでも、あの最初の作品に取り組んでいるときの高揚感は、忘れようとしても忘れられるものではなかった。

あれはランナーズ・ハイのようなものだったのか。ゾーンに入った状態とでもいうのかもしれない。もう一度、あの感覚を再現したい。そう考えた私は、ひとまず美大への進学を目標にすえた。

受験とは単なるテクニックである。そのテクニックを駆使して、何とか東京にある武蔵野美術大学に合格した。その知らせを聞いて、母の往診をしてくれた例の山本院長が、「祝いだ」といって酒に誘ってくれた。いくら子供のころからの顔なじみでも、それまでは医者と患者の関係でしかなかった。だからそれが、私にとっては白衣を脱いだ医者との初めての対面だった。

私には2つ年上の兄がいる。彼が医大に進学していたので、先生は私も医大志望だと思っていたようだ。それなのに美大に進学すると聞いて、私は脱落したのだと考えたらしい。酔いが回るに連れ、やがて先生の口からは徐々に本音がこぼれ始めた。

「私ら医者は、人の命を救う大事な仕事をしている。それに比べて絵描きなんぞが、人の命を救うようなことはない」
そういって、医者の仕事は美術より崇高だということを、私に向かって長々と説き続けた。

「そうだろうか。それなら、どうしてうちのバアさんの命を助けられなかったんだ」
そんなことを腹のなかでつぶやきながら、それをあえて口には出さない分別は私にもあった。彼の論理など、家で奥さんに向かって「オレは外で金を稼いでいるのに、オマエは家にいて云々」といっているようなものだ。その姿は、高校を出たての私の目にも、ひどく幼く見えた。

しかし、彼の言い分は核心を突いていた。果たして美術には、医学と肩を並べられるほど明確な目的があるだろうか。それは私が何を描くか以前の問題だ。この美術の存在意義に対する疑問は、いつまでも消化できずに私のなかに残り続けた。そして大学での4年間を費やしても、結局その解答は得られなかったのである。

最初の絵に向かっていたときの高揚感も、その後の私の作品に再び現れることはなかった。やはり山本先生がいった通り、美術は医学を超えることなどできないのだろうか。(つづく)

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小説『ザ・民間療法』挿し絵003-01
せっかく進学した美術大学で油絵科に籍を置いたものの、いつしか私のなかでは絵を描く情熱は消え失せていた。最低限の課題には取り組んでいたが、あとは可能な限り旅に出た。旅といっても1970年代といえば、ディスカバー・ジャパンの時代である。行き先はまだすべて国内だ。

私の大学へは、あちこちの地方から学生が集まっていた。その同級生たちの実家に泊まらせてもらいながら、夜行列車を乗り継いで貧乏旅行を繰り返す。興味の赴くままに寺社仏閣や仏像を見て回っているうち、とうとう卒業の時期を迎えてしまった。

卒業したらどうしよう。これといってやりたいことはない。企業に就職する気もないから、就職活動も全くしていない。それでも在学中に教員免許だけは取得していたので、高校で美術教員をやってみた。

教員生活では、生徒たちとの交流にはそれなりのおもしろさを感じられた。だが、このまま教員として一生を終えてよいものか。その選択は私のなかではしっくりこなかった。学校という閉鎖社会にも、いいようのない居心地の悪さを感じていた。そこで思い切って東京に戻り、大学時代の友人と二人で、美術で起業することにしたのである。

私たちが選んだのは特殊美術の業界だった。特殊美術とは、テレビ番組やCMで使う造り物や、タレントの被り物を制作する、いわゆる「美術さん」だ。これは立体の制作がメインなので、絵画とはちがって、目で見ることよりも、手で触れて形を確かめる作業のほうが多い。そこで重要なのは、何よりも鋭敏な触覚なのである。

しかも立体には、絵画のような平面よりもリアリティが求められる。その点が私にとっては魅力だった。「これは芸術だ」「アートなのだ」と息巻かなくてもよかったし、ちゃんと世の中から必要とされる物を作れば、それだけで確かな喜びが得られた。

もちろんお金に困ることもない。私が起業した当時は、日本中がバブル景気を謳歌していたので、テレビ番組の予算だって今よりもずっと潤沢だった。

ある番組のディレクターと昼食に行ったら、「1人5万以上使ってくれないと領収書が下りない」といわれたことがある。たかがランチでこの金額である。CMの企画でも、私が思い切って高めにつけた見積りが、「これじゃ安すぎてクライアントが納得しない」といって突き返されたりもした。特殊美術とは、そういう意味でも少々特殊な業界だったのだ。

                    *

そんなあるとき、日々の立体制作で培われた技術が、本業以外の場面で役に立つ事件が起きた。いつものように私は番組収録のため、テレビ局の控室でスタンバイしていた。そこへスタッフの1人が腰を「く」の字に曲げ、額には脂汗をにじませながら入ってきたのである。聞けば、腰痛がひどくて病院に寄ってきたけど、全然痛みが取れないのだという。

ひまを持て余していた私は、彼の姿を見てちょっと好奇心が湧いた。彼の腰に触れてみると、「ここが痛い」という部分は背骨がクランク状に曲がっている。しかも曲がったところが腫れて、明らかに熱をもっていた。立体制作で鍛えた指先の感覚が、私にそのことをはっきりと告げていた。

対象がモノであろうとヒトであろうと、指先の感覚を通して、形を確かめることに変わりはない。形の確認だけでなく、思い通りの形に修正するのも私の仕事である。彼の体の形はおかしいのだから、これは修正が必要なのだ。

そう感じた私は、クランク状になっている彼の背骨を、ゆっくりと正しい位置まで押してみた。すると曲がった線を描いていた背骨が動いて、徐々にまっすぐになっていく。それと同時に、熱をもっていた腫れがスーッと消えていく。それが私の指先でわかる。

私が背骨を押していると、彼は「あれ? あれ! あれ~っ!」と声のトーンを上げながら驚いていた。そして「痛くない、あれ、痛くない!」といいながら、腰を曲げたり伸ばしたりして体の向きを変えながら、さきほどまでの痛みを探している。

しかしいくらポーズを変えても痛みがない。彼だけでなく、まわりで一部始終を見ていたスタッフたちも、声も出ないほど驚いていた。さくらを仕込んだ大道芸のような光景だ。時代劇なら、ガマの油が飛ぶように売れるところである。

だが私にしてみたら、さして珍しくもない。中学のころから体験していたことだから、当たり前の結果である。ところがそれからは、テレビ局のみんなの、私を見る目が変わった。ただの「美術さん」だった人が、「治療をする人」に昇格した。ただし単なる治療家ではない。霊能力者か超能力者のような、「奇跡を起こす人」といった扱いになってしまったのだ。

なぜそうなったのかはわかる。実は私が彼の腰痛を治したとき、いわゆる民間療法家が見せるようなオーバーアクションはしていない。手が触れるか触れないかぐらいにしか見えなかったはずだ。手が動いていなければ、念力か何かで治したと思うだろう。だから奇跡に見えたのだ。

この一件が私のその後の人生を大きく変えた。私のもとへは、病気だけでなく人生相談まで舞い込むようになった。人から頼まれてのこととはいえ、何の知識もなく人の体に触れていたのだから、今思えば冷や汗が出る。しかし、おかげで頭を下げて仕事の営業をする必要がなくなって、会社はますます順調に成長していった。(つづく)

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