小説『ザ・民間療法』花山水清
人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!
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パラレルワールドでは生き残れない

私は西岸良平さんのマンガが好きだ。
彼のマンガには、パラレルワールドをテーマにした作品がよく登場する。
パラレルワールドとは、ある時点で分岐し、並行して存在する別の世界のことである。
人生でいえば、今の自分の人生とは全く違った人生が並行して展開していることになる。
西岸作品では、別の道を歩んだパラレルワールドの自分の姿を見て、今の人生がいかに幸せであるかに気づく設定になっている。
そこには現在の自分の人生に対するあきらめとも満足ともとれるふしぎな風景がある。
私もふとした瞬間に過去を振り返ることがある。
あのとき思い切ってああしていればどうなっただろう、と夢想する。
そこにはもう一人の自分がいて、全く違う人生を歩んでいる。
そうやって、人は幾度も過去の自分を修正しようと試みる。
しかし修正した先の人生をだれも知ることはない。
実はパラレルワールドには絶対的な決まりがある。
人生の岐路に立ったとき、どちらの道を選択するか。
二者択一なら、どちらか一方の自分しか生き残ることはできないのだ。
パラレルワールドは実在するが、その世界のどこにも自分は存在しない。
他の道を選択した自分は、みなとうに死んでしまっている。
今の自分がここにこうして生きているのは、過去の人生において全て正しい選択をした結果なのである。(花山水清)
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日本人はみそ臭いのか

海外のホテルでは、日本人の団体客が泊まったフロアはみその匂いがするらしい。
海外旅行にインスタントみそ汁を持参する人は多いから、みなホテルで一斉にみそ汁を作っているのだろうか。
阿川佐和子さんだったかのエッセイにも、ヨーロッパでヘビーな食事に胃が耐えられなくなったとき、1杯のみそ汁で救われたという話があったそうだ。
みそ汁信仰はこうして受け継がれていくのか。
私はインドで暮らしていたころ、高熱で意識のない状態が2日ほど続いた。
やっと立ち上げれるようになったら、それを聞きつけた友人(イタリア人)が、「日本人ならこれだろう」といって、みそスープを作ってきてくれた。
だが、それはどう見てもみそ汁ではなかった。
気持ちはありがたかったが、得体のしれないみそスープは病み上がりの体にはきつかった。
あれは一体何だったのだろう。
それでネパールで入った日本料理店のことを思い出した。
私は奮発して、メニューに載っていたかつ丼とすき焼きを注文したのだ。
したはずだった。
ところが出てきたのは、どちらがかつ丼かすき焼きかわからない。
そればかりか、何の料理かもわからない。
使われているのが何の肉かも判然としないので、ひたすら不気味だった。
料金は払ったが、食べられたかどうかの記憶はない。
この経験のおかげで食にさらに保守的になった私は、海外に行くと無難なパンだけを食べる。
そしてみごとにやせ細って帰国するのだった。(花山水清)
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マムシが出た!!

5月も終わりのある日、近所の道路にマムシが出た。
カラスに追われてピョンピョン跳ねているのを、近くの家の奥さんが見つけて旦那さんが捕虫網で獲った。
連絡が来たので見に行ってみれば、20cmぐらいで赤茶色。
色といい太さといい、ミミズをちょっと大きくしたぐらいである。
手を近づければカッと口を開けて威嚇してくるが、かわいいものだ。
ところが駆除にやってきた人の話では、このサイズでも牙がちょっと指先をかすめただけで、肩まで腫れ上がるそうだ。
マムシの毒の強さはハブの3倍というから、アブナイアブナイ・・・。
実は私はヘビには慣れている。
インドにいたころは、切れたロープを見かけたらそれは必ず動くと決まっていた。
部屋のドアノブに手をかけたら、手の上にドサッとヘビが落ちてくる。
池をのぞき込んでいたら、池の底からヘビが湧き上がってくる。
草むらを歩けば、ザザザーッと音を立ててコブラが私の横を滑り抜けていく。
そんな日常だった。
インドで暮らした1年ほどの間に、私が見たヘビは20種類は超えていたはずだ。
そのうちどれが毒ヘビなのかもわからない。
地元の人は、顔に向かって毒を吹き付けるヤツがいるから気をつけろといっていたが、そもそもヘビと顔を合わせるようなシチュエーションは避けたい。
ヘビが多いから、家の周りにはクジャクやマングースがたくさんいた。
彼らはヘビをつかまえて食べてくれる。
夜、月明かりしかない草むらを友人と散歩するときには、必ずイヌを連れて行った。
イヌなら私たちよりも先にヘビやサソリを見つけてくれるのだ。
私の住んでいたエリアではみな裸足だったから、私もめったに靴を履くことはなかった。
たまに靴を履こうとしても、ヘビやサソリやムカデが入っていることがあるから、用心しないといけない。
今でも、ひっくり返してターンと叩きつけてみてからでないと靴が履けない。
椅子に座るときだって、足を地べたには降ろさない。
みな座面に足を上げて座るものだった。
行儀よりも身の安全優先だ。
この癖もどうも抜けていない気がする。
もちろん寝るときのベッドメイキングも重要である。
あの天蓋付きのベッドというのはダテではない。
蚊帳のすそをしっかりとベッドの下にたくしこんでおかないと、ヘビが夜這いにやってくる。
それなのに、冷房もない部屋ではあまりに暑くて、いつしか床に転がって寝ていた。
夜にはコウモリが飛び交い、ふと目をやると、ネコほどもある大ネズミがトカゲやゴキブリを食べている。
部屋のなかで、だ。
今考えればすさまじい生活だが、結局いちどもヘビには咬まれずにすんだ。
ただし、スコーピオン・アントというアリにはよく咬まれた。
サソリ蟻というぐらいだから、こいつに咬まれるとかなり痛い。
だがもっと痛いのはそれからだった。
あるとき、スコーピオン・アントに咬まれた脚が化膿した。
パンパンに腫れ上がってしまったので、消毒してもらおうと思って近くの村の診療所に行った。
ところが医者は何の説明もなく、いきなりその腫れた部分にメスを突き立てた。
そして大きくえぐった。
麻酔もしていないのだから、激痛だ。
しかもそのえぐり取ったドカ穴に、消毒ガーゼをグイグイ突っ込むのである。
意識が遠のくほどのこの痛みは、わが人生2番目にランクする激痛体験だった。
さらに患部が治るまでは、毎日ガーゼを取り替えなければいけないから、激痛体験も日々記録更新だ。
あれから20年以上経つというのに、私のむこうずねには、今もその思い出が深々と刻まれている。
全くもってヘビーな体験なのだった。(花山水清)
写楽とピーター・パンと逆遠近法

現在、遠近法といえば線遠近法のことを指す。
ところが、線遠近法が絵画の表現方法として確立したのは、ルネサンス期以降のわずか500年程度のことである。
人類最古の芸術作品といわれるアルタミラやラスコーの洞窟壁画が描かれたのが、およそ3万年も前であることに比べると、500年前などごく最近のことなのだ。
そもそも、人間の視点というのは線遠近法ではない。
それは子供の描いた絵を見ればよくわかる。
子供に画材を与えておけば、描き方など教えなくても好き勝手に絵を描き出す。
お絵かきに熱中している彼らの視点は、画面のなかの世界に没入し、自由自在に飛び回る。
そのときの子供たちは、おしなべてみな天才だ。
大人など到底まねのできない画才を発揮して、決して倦むことがない。
そんな彼らの絵を見続けた結果、私は自分で絵を描くことを断念したのである。
ところが、その天才たちにも、成長とともに才能が枯渇するときがやってくる。
「うまく描こう」「うまいといわれたい」と思うようになったら終わりだ。
一度、他人の目を意識しだすと、もう二度と元の世界には戻れない。
他人の目を意識したときを境に、子供の視点から大人の視点へと180度変わってしまう。
そこで生み出される絵画も、子供の絵から大人の絵へと変貌する。
子供の自由な視点というのは、ピーター・パンが空を飛べなくなるのにも似て、失われたらもう取り戻すことができないのである。
実は日本の絵画は元々は逆遠近法で表現されていた。
源氏物語絵巻などは、逆遠近法によって独自の世界観を展開している。
ところが、江戸時代になると、徐々に西洋絵画の影響が出始める。
そのため、浮世絵にまで線遠近法を取り入れた作品が登場する。
一方、東洲斎写楽の役者絵、特に大首絵と呼ばれる作品は、顔が大きく極端に手が小さい逆遠近法で描かれている。
もし彼の役者絵がありきたりな線遠近法で描かれていたなら、歴史に名を残すことはなかっただろう。
また、ヨーロッパの印象派の画家たちも、浮世絵に興味を示すことはなかったはずだ。
当時の印象派の画家たちは、浮世絵のなかにかつての子供のころの視点を見出して、そこに鮮烈な衝撃を受けたに違いないのである。(花山水清)