*小説『ザ・民間療法』を始めから読む

小説『ザ・民間療法』挿し絵004-1
世には「釣りバカ」と呼ばれる人種がいる。初めて竿を出したあたりで、いきなり大物を釣り上げてしまった人の成れの果てだ。最初に大物が釣れたのは、いわゆるビギナーズ・ラックである。たまたま運が良かっただけなのだ。だが、その感触が忘れられずにのめり込んでいく。

私の場合は、母親の発作に続いて、スタッフの腰痛まで治せてしまった。2度目の成功体験である。これで体を治す魅力に取りつかれないわけがない。それがだれも釣り上げたことがない魚だったとなれば、感激もひとしおだ。

ところが治療も釣りと同じで、いつでも大物が釣れるわけではない。逆にめったに釣れないからこそ、「今度こそは」と深みにはまっていく。釣りバカのバカたるゆえんは、そのうち大事な仕事まで放り出して、釣りに没頭するようになるからだ。

例に漏れず、いつしか私も特殊美術の仕事にはエキサイトできなくなった。腰痛を治したときの、あの興奮を再現したくて、とうとう仕事までやめてしまった。だからといって、治療を仕事にしようとも思わなかった。釣りバカが転じて、漁師になる人などまずいないのと同じである。

そこで私も、しばらくは「これからどうしたものか…」と、うつうつとしながら貯金を食いつぶして暮らしていた。そんなあるとき、友人がインドの聖者・サイババに会いに行くという。あのころは世界中でサイババ・ブームだった。彼のもとを訪れる「サイババ詣で」と称するツアーが、日本でも大人気だったのだ。

だが私は彼に興味はなかった。ただ何か変化するきっかけが欲しかった。物理的にも心理的にもインドは遠かったが、それがいい気がした。そこでツアーのグループに同行して、とりあえずインドまで渡ってみることにしたのである。

どうせ行くなら、短期の観光旅行ではつまらない。いっそのこと1年ぐらいインドに滞在して、あとは世界中を放浪してみよう。そう決めたら話は早い。まず、身の回りのものを全て処分した。インドに行くためのわずかな手荷物と現金以外は、家財道具から何から一切合切、部屋中で育てていた大量の観葉植物まで友だちに譲った。これでもう思い残すことはない。

旅立ちの朝、何もなくなってガランとした部屋を見回す。そこには俗世を離れて、このまま悟りの境地に到達できそうな静寂があった。あの澄み切った感覚は格別だった。断捨離が流行するのもわかる。しかしいくら断捨離がはやっても、私のように「転出先インド」とだけ記して、住民登録まで処分した人はいないだろう。

「インドに立つ、しかも帰るのはいつだかわからない」
そんな話をうわさで聞いた人は、私がついにインドまで修行に行くのだと思っていたようだ。もちろん本人にはそんな気は毛頭ない。私は知らなかったが、「インドの山奥で修行して~♪」という歌が浸透していたのである。90年代の前半は、まだある意味ではそんなノンビリした時代だったのだ。(つづく)

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