014 小説『ザ・民間療法』挿し絵

*小説『ザ・民間療法』全目次を見る

インドには宝石の産地が多い。だから宝石を扱う店もたくさんある。日本人の観光客は、それを目当てに買いにきている。しかしガイドに連れていかれた店で、お土産用のバカ高い宝石を安いと思って買って帰る。あまりにも相場を知らないと、どこの国でもいいカモになってしまうのだ。


たしかにインドでの買い物は日本人には特にむずかしいだろう。ここでは定価通りに買うことなどありえない。値段を交渉して、お互いが納得してから売り買いするのがふつうである。最初から適正な値段がついていると思う時点で、日本人はカモられやすくなる。

通常インドでは、お目当ての品があれば半分ぐらいの値段から交渉に入る。「半値で売ってくれ」といってみて、売り手の反応を見るのである。即座に半値で売りそうな気配なら、そこで買ってはいけない。すぐ、同じものを売っている他の店へ移って、ここでは半値よりも低い値段から交渉する。そこまでやってみて半値が安いとわかったら、改めて最初の店に戻って買えばいいのである。

しかし宝石の場合は、高い安い以前に、本物かニセモノかを見分ける目も必要になってくる。実はインドの宝石商にとって、本物かどうかなど大した問題ではない。彼らにとって仕入れた値段が高ければ、たとえそれがニセモノであっても高く売る。逆に仕入れ値が安ければ、本物でもそれなりに安く売る。おかげでインドでは、宝石の鑑定さえできれば、思わぬ掘り出し物に出会うこともあるのだ。

私はオーロビルで、イタリア人のマルコから宝石の鑑定ノウハウを教わった。彼は古くから、インド中のアンティーク・ジュエリーを探し回って買いつけ、それをイタリアに持っていって売っている。インドでも、宝石はもちろんのことゴールドの持ち出しは制限されている。しかし飛行機の搭乗の際に、身につけているものはその限りではない。

そこでマルコと奥さんは、全身を宝石やゴールドで、覆い尽くす勢いで身にまとって出国するのである。あるときなど、ごつい金のインゴットを首からぶら下げて出国したら、首の筋を傷めたといって笑っていた。

そんなツワモノの彼に、宝石鑑定のイロハから相場まで細かく教えてもらったのだから、私は幸運だった。宝石の最もかんたんな鑑定法は、石を自分の歯にコンコンと当ててみることだという。そうすると即座に、石かガラスかプラスチックかが判別できるのである。

なるほど実際にやってみると、目で見るよりもちがいがよくわかる。歯の感覚がこれほど鋭いとは思ってもみなかった。たしかに、入れ歯にすると食事がまずくなるという話もよく聞くし、食べもののなかに小さな異物が入っていると、噛んだ瞬間に違和感があるものだ。

私が携わっていた特殊美術の世界では、指先の感覚がもっとも重要だった。場合によってはミリ単位どころか、ミクロンのレベルまで精度が要求されることもあった。あれは形のちがいを指先で判断する方法だったが、歯を使うと質感のちがいがわかるのである。

歯に当てるといっても、その音を耳で聞くわけではない。歯から伝わる骨伝導によって聞き分けるようなものだろう。この新しい感覚の習得以来、私は宝石の鑑定にはまってしまった。

そんなあるとき、インド人の宝石商が私のコミュニティまで宝石を売りに来た。住人たちは興味深そうに眺めていたが、だれもがニセモノだろうと思っていた。私もいっしょになって見ていたら、イエローサファイアとアクアマリンに目が止まる。イエローサファイアは色が少々薄いが、カットもよく、8カラットほどの大きさだ。アクアマリンのほうは色も濃く、6カラットほどでカットが非常に美しい。

私の鑑定では両方とも本物である。値段を聞くと、日本円にして2つで7万円だった。それなら問屋値段にしてもかなり安い。ここでふつうの日本人なら、安いからニセモノだと判断するか、そのまま購入するかのどちらかだろう。

ところが私はインドに慣れていた。まずは、「私はこの2つとも買いたいと思っているが、手元には200ドルしかない。それでどうだ」と聞いてみたのである。するとその宝石商は、「話にならない」という顔をして拒否した。200ドルでは言い値の半分どころか、3分の1にも満たないのだから当然の反応だ。

しかしインドでは、高額の買い物にはドル紙幣が強力な武器になることを私は知っていた。そこでおもむろに財布から100ドル紙幣を2枚取り出し、彼の目の前に差し出す。
すると、それまでかたくなだった彼の目のなかに、明らかに迷いが生じたのが見えた。

「ヨシ!いけるかもしれない」
今度はインド紙幣を300ルピーばかり出して、ドル紙幣の上に重ねる。こちらは日本円では1000円ほどでしかない。だがここで、「これが全財産だ。これでどうだ」と、ぐっと目を見据えて詰め寄ると、彼はしぶしぶ売ることに決めた。まさに、「ドル強し!」といったところだろう。

私は意気揚々と、師匠のマルコのところに買った石を見せに行った。本当に全財産を投げ売ったわけではないが、200ドルと300ルピーが私にとって大金であることはまちがいない。ドキドキしながらマルコの判定を待つ。「お宝鑑定」の瞬間だ。

すると宝石を手に取った彼は、「まさかこの2つを200ドルやそこらで買ったとは!」と弟子の行動に絶句した。それはインドの相場からみても、超がつくほどの破格値だったのだ。この結果で私が得意にならないはずがない。美しいものが手に入った喜びよりも、勝負に勝った喜びのほうが強かった。

私は日本を出るとき、持ち物をすべて処分し、住民登録だけでなく名前まで捨てて来たというのに、これは一体どうしたことだろう。この一件以来、私の物欲に猛烈に火がついた。おかげで解脱への道は、さらに遠のいてしまったのだった。(つづく)