ある日のこと、近所のユルグがサイババのところまで行ってもらってきた、ビブーティなるものを見せてくれた。ちょっと見はお焼香の灰みたいで、あまりありがたくない。「どうせならもっとイイものをもらってくればよかったのに」そういうと、彼もそのつもりだったから残念だといっていた。
「ところで、サイババに会って何か劇的な変化はあったの?」「ビブーティもらってご利益は?」立て続けにそんなミーハーな質問を投げかけてみた。しかしみんなが期待するような変化は一切なかったらしい。
サイババは、聴衆の前で空中の何もないところから、ビブーティと呼ばれる灰や、指輪やちょっとした小物を取り出して見せることで有名だった。日本のテレビ番組でも、彼のこの物質化現象の様子がたびたび放映されていたから、サイババの存在を知らない人はいないほどだった。
私がインドに行くといったときも、「サイババに会いに行くのか」と必ず聞かれた。実際、日本のサイババ・ツアーのグループに同行してインドまで来たのだが、私は彼のところに行くつもりなどなかった。
サイババの名声は日本だけでなく世界中に広がっていた。彼に会うために大勢の人が集まるから、バンガロールにあるサイババのアシュラムは、一つの街のようになっていた。だがせっかくそこまで行っても、サイババ本人に会えるのはごく一部の人だけである。だから、直接会えたユルグはラッキーなほうだったのだ。
ところが同じインドでも、オーロビルあたりではサイババの評判はあまり良くない。どちらかというとサギ師の扱いだった。
インドはやたらと信心深い人が多いところだから、家だけでなく車のなかにまで、ヒンドゥーの神様であるガネーシャの像が飾られている。その脇には必ず、ご贔屓の聖人の写真も並べてあるのだ。
しかしオーロビル周辺の村やポンディチェリあたりで、サイババの写真を飾っているのは見たことがない。やはり圧倒的に多いのは、オーロビルの開祖であるオーロビンドの写真だった。
私がサイババに関心がなかったのも、彼は物質化現象は見せても、病気治療はしないからだ。これがもし治療の奇跡を見せるのなら、興味もわいただろう。
そういえば1970年代あたりには、フィリピンの心霊治療が話題になっていた。これまた日本のテレビ局が取り上げたので、旅行会社には「フィリピン心霊治療ツアー」という企画まであった。私の知り合いにもツアーに参加した人がいたが、彼はなぜかその半年後に亡くなってしまった。
フィリピンの心霊治療では、術者が患者の腹部などに直に指を突っ込んで、血の塊や釘などを取り出す。それでも治療後は、体に傷一つ残っていないのが見せ場だった。この手品じみたところは、全くサイババの物質化現象と似ている。
もちろんサイババにしろ心霊治療にしろ、どちらも真っ赤なニセモノだったようだ。しかしサイキックで一世を風靡したユリ・ゲラー同様、彼らは日本人にはずいぶんと稼がせてもらったことだろう。
しかし私は、本当に不思議な力をもつ人にも会ったことがある。人の持ち物に触れるだけで、その人の将来が見える人もいれば、私を霊視して、もう亡くなっている親戚の話をくわしく教えてくれた人もいた。
サイババたちとちがって彼らは本物だったから、世の中には科学では説明できない能力を持つ人が、意外とたくさんいるのだろう。逆の見方をすると、科学そのものがまだそれほど進歩していないだけかもしれない。
ではその力を何のために使うか。それが他人の幸せのためであれば聖人だといえる。単なる見世物として金儲けに走るようでは精神性が高いとはいえない。超能力でなくても、人より秀でた能力は、それを他人の幸せのために使ってこそ価値がある。結局、聖人かどうかなど聖人にしかわからないものかもしれない。(つづく)
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