*小説『ザ・民間療法』を始めから読む
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整体の学校を卒業した私は、いよいよプロの整体師として開業することにした。とはいっても、ちゃんと場所を構えて看板を上げるようなゆとりなどない。

不動産バブルは崩壊していたが、それでも東京都内の路面店となれば、べらぼうに家賃が高いのである。ここで店舗を借りようと思えば、礼金や保証金、前家賃だけで家賃の半年分以上は必要だ。最低限の安アパートを借りるだけで四苦八苦していた私に、それほどの大金を捻出できるはずもなかった。

しかも自営の整体での開業では、経営が安定するのは相当先になるだろう。そうでなくても1990年代の整体といえば、性風俗の隠れ蓑的な怪しいイメージが強かった。そんな商売に部屋を貸すとなると、大家さんとしては不安になる。不動産屋だってあまり斡旋したがらないから、審査も通りにくい。そういう時代だった。

仮にそれらの障害を乗り越えて店舗を借りられたとしても、客商売なら設備だってそれなりに揃えなくてはならない。するとますます出費がかさむ。そればかりか、どんな一等地に立派な店舗を構えたって、そこに肝心のお客さんが来てくれるかどうかは、全く別問題なのである。

どんな商売でも予想外のことが起きるものだ。開業時には半年分ぐらいの運転資金がなければ、あっという間に立ち行かなくなってしまう。開店早々、経営に行き詰まり、借金を背負って閉店する可能性も大きい。

そこで考えた。
やっぱりいきなり店を構えるのはやめよう。まずは出張専門でやってみるのだ。出張で相手の家まで行って施術するだけなら、店舗を借りなくてもいい。設備を揃える必要もない。携帯電話さえあれば開業できるじゃないか。そう決めたら、問題が一つクリアできた。

次の問題は、お客さんをどうやって集めるかだ。
昔ならチラシでも配るのだろうか。だが店舗がない以上、配布エリアが絞れない。すると範囲が広くなって、その分費用も格段に大きくなる。もちろんそのチラシの反響があるかもわからない。そんなことでは心もとないから、チラシもダメだ。

ここでふとひらめいた。それなら紹介制にしよう。
最初は知り合いに施術してまわり、その人たちから新規のお客さんを紹介していただくのだ。これがうまくいけば、路面店につきものだといわれる、タチの悪いお客を相手にすることもないし、「みかじめ料を出せ」などと脅されることもない。

逆にお客さんの立場でも、いきなり路面店に飛び込んで施術を受けるよりも、知り合いの紹介のほうが安心だろう。私のウデが悪ければ紹介されることもないから、よりフェアな関係になれる。これでまた一つ不安が減った。

あとは施術料金をいくらにするか。これも悩みどころである。
これまでは、練習台になってもらう名目で無料で施術してきた。次からはお金をいただくとなると、少しばかり気まずい。だが有料でなければプロではない。気まずいからといってあまり安くしては続けられないし、高すぎてもいけない。

出張整体の相場なんかあるのだろうか。考えてみてもわからないので、よほど遠方でなければ、交通費込みで8000円に決めた。

そうと決まったら、残るのは宣伝だ。
紹介制なのだから、知り合いに名刺を配ればいいだろう。名前と携帯電話の番号と「1回8千円」と入れて、奮発して3千枚も印刷した。これが開業のときの唯一の投資となった。

まずは挨拶がてら、一通り名刺を配って歩く。30枚も配り終えたあたりから、少しずつ予約が入り出した。最初の予約は開業へのご祝儀みたいなものだろう。全くもってありがたいことである。

そうやって知り合いからの予約が一巡するころには、今度は見ず知らずの人からも紹介で予約が入るようになった。保険の営業と同じで、営業先が身内だけでは先細りになるのは目に見えているから、これはまずまずの滑り出しだ。

ところが順調に私の手帳が予約で埋まり出したら、なぜだか「あっちが痛い」「こっちが痛い」「実は〇〇病で」という人からの予約が増えてきた。整体でリラックスしてもらえたらイイかな、くらいに軽く考えていた私には、ちょっと意外だった。

そもそも整体をはじめとする民間療法では、「治療」という言葉は使えない。「治療する」とか「治す」という表現は、医師法で守られた医師だけが使えるものなのだ。

まして何か具体的な症状を「治します」なんて、絶対にいえない立場なのに、効果を期待されても困る。整体の学校でもそこまでは教わっていない。

たしかに病院で治らない病気は山ほどあるようだし、民間療法に期待する人が多いのもわかる。それを逆手にとって、難しい病気を「治す」と評判のカリスマ治療家がいることも知っている。

彼らはテレビに出演し、それぞれの得意技をオーバーアクションでやってみせる。なかには患者の関節からバキバキッとすごい音を鳴らして、観客の度肝を抜く人もたくさんいた。

そういうスゴイことをやった分だけ、効果も大きいと思う人も多いようだが、私にはあんなことは恐ろしくてできないし、やりたくもない。

実は整体のような民間療法のプロなら、必ず傷害保険に加入している。施術によって患者の体に何か不具合が生じたら、それを保険で補償するのである。

ところが私が加入している保険では、あの関節をバキバキいわせるアジャストと呼ばれる手技には保険が下りない。アジャストは血管を傷つけたり、骨が欠けることもよくある危険な行為なので、やれば事故が起きて当たり前。そんな手技は最初から補償の対象外なのだ。

そもそもアジャストで何かが治るわけでもないので、かっこよく見えても手を出すべきではない。人体には、できるだけ大きな力や衝撃を与えないようにするのが安全だ。

私も素人のときには思いもしなかったが、プロになって経験と知識が増えてくると、人の体に触れること自体が怖くなってきた。安全第一という思いは、日を重ねるごとにさらに強くなっていく。

今では名医と評判の外科医も、初めての執刀前夜には、自分の不手際で患者が死ぬかもしれないと考えると、不安で寝つけなかったらしい。そこで思わず、「ナムアミダブツ」と手を合わせて祈ったのだという。

信仰心などなくても、自分が人の生死の鍵を握っているとなれば、そういう心境になって当然だ。そしていつしか私も、神に祈るような気持ちで、人の体に立ち向かっていくことになるのだった。(つづく)


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