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小説『ザ・民間療法』挿し絵046

開業して半年も過ぎると、だんだんと整体の仕事にも慣れてきた。もちろんまだまだ知らないことばかりで、毎日が勉強に次ぐ勉強だ。それでも学生のころとちがって勉強が全く苦にならない。知識はすぐ実践に反映されるので、そこに充実感もあった。

そんなある日、助産師の酒井さんから「診てもらいたい男の子がいる」と電話があった。酒井さんはベテランの「オッパイ先生」で、お母さんたちからの信頼が厚い。私も酒井さんをプロとして尊敬していたので、彼女の頼みならなんとしてでも診てあげたい。ところが私にはためらいがあった。

実は私は妊娠初期の人や、子供への施術は極力お断りするようにしていた。ヘタに体を刺激して、何か不都合が生じても責任が取れないからだ。しかし酒井さんはそれを承知で、「何もしなくていい。体をチェックするだけでいいから」といって重ねて頼んでくる。

酒井さんがそこまでいうのには理由があった。聞けばその健太くんは、出産時のトラブルで脳性麻痺になって、今やっと4歳になるところらしい。彼のお母さんに会ったとき、酒井さんがつい私の話題を口にした。すると「ぜひとも診てもらいたい」という話になって、承諾してしまったのだった。

健太くんの家には酒井さんもついて来てくれるという。そこまでいわれてはさすがに断れないので、とりあえず一度だけうかがってみることにした。

健太くんがご両親と住んでいる家は、私のアパートからは少し遠いところにある。電車を乗り継いだ先にある地下鉄の終点で、酒井さんと落ち合った。そこからしばらく歩いて、こぢんまりとした2階建ての家の前まで来ると、酒井さんは「田中」と書かれた表札の横に手を伸ばし、慣れた手つきで呼び鈴を押した。

呼び鈴の音が鳴ったかと思うと、勢いよくドアが開いた。なかからは40代の田中さんご夫妻と、歩行器に乗った健太くんが出迎えてくれた。その後ろからは、妹のミクちゃんまで顔をのぞかせている。家族総出でのお出迎えである。

酒井さんの姿を見た健太くんは、これ以上ないほどの笑顔を見せていた。その表情からは、彼が酒井さんのことが大好きなのが伝わってくる。そこで酒井さんが健太くんと遊んでくれている間に、私はご両親から、出産時のいきさつや今の状況などをうかがうことにした。

医者からは、「この子は生涯、しゃべることも歩くこともできない。ふつうの子のようには知能も発達しない」と診断されていた。だから両親としても、決して脳性麻痺が治ることなど期待していない。ただ、せめて「パパ、ママ」とだけでも呼んでもらいたい。そんな願いを抱いているというのだ。

子供のいない私でも、ご両親の切ない気持ちはわかる。そうはいっても、私ごときが願いを叶えてあげられるはずもない。しかし大歓迎を受け、お茶やお菓子まで出していただいて、話だけ聞いて帰るわけにもいかないから、健太くんの体を見るだけは見せていただこう。

そもそも私は子供の扱いが非常に苦手である。まわりに子供がいないので、どのように接していいかがわからない。子供の体はきゃしゃだから、壊れてしまいそうで触るのがこわいのだ。しかしそんな私の心配をよそに、健太くんは最大限にウェルカムな笑顔で私の緊張をほぐしてくれた。

下半身の麻痺なら、テレビ局のスタッフだった男性や、インドで会ったミシェルの体で知ってはいた。彼らは背骨の一部が万力で上下から圧縮したようになっていて、まわりの筋肉もコチコチに固まっていた。あの二人の体のことを思えば、あれが正常な状態にもどせるとはとうてい考えられない。

ところが実際に健太くんの背中を見ると、体の状態は彼らとは全くちがっていた。麻痺に特有のあの変化が見られないのだ。これは予想外のことだった。

「ハテ、これでどうして下半身が麻痺しているのだろう?」

これが私の第一印象なのだった。(つづく)

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