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小説『ザ・民間療法』挿し絵048
毎週日曜日に、脳性麻痺の健太くんの家に通うことに決めた。健太くんのトレーニングのためである。トレーニングといってもごく軽い動作なので、健太くんは遊びだと思っていることだろう。

子供の扱いが苦手なはずの私が、なぜこんなことを引き受けてしまったのだろうか。自分でもふしぎな気持ちのまま、友人たちとネパールの孤児院を訪れたときのことを思い出していた。

訪問の名目はボランティアだったが、私たちが大して役に立つとも思えない。それなのに、子供たちは輝くような笑顔で歓迎してくれた。身なりこそみすぼらしかったが、彼らは清らかな光に包まれているようで、言葉のちがいなど全く問題にはならなかった。それは尊い体験として、私の心に深く刻まれている。

健太くんも最大限の笑顔で私を受け入れてくれていた。人と向き合って、これほど深く肯定されている感覚は、なかなか得られるものではない。健太くんは話すことはできないが、孤児院にいた彼らと同じで、そこには会話の必要性など全く感じられなかった。

それでも、いつかは話せるようになり、歩けるようにもなるためのトレーニングは続けた。脚の関節が固まらないように、私が手を添えて脚を動かしたり、背中を軽くさすってあげたりするのだ。

脚を動かしてあげると、まるで自分で歩いているような感覚になるのだろう。大きく見開いた目が輝いて、健太くんは心底楽しそうだ。この運動で関節が温まったところで、今度は「走るよ!」と声をかけ、勢いよく脚を動かしてあげる。すると私も、健太くんといっしょに走っている気分になる。それが楽しくて、二人でよく声を上げて笑った。

健太くんは背骨がズレるようなことはなかったが、背中を軽くなでているだけでもそれなりに体がほぐれてくる。こんなことも少しはプラスにはなっているだろう。

週に1回の私だけでなく、お母さんも健太くんの脚のトレーニングを続けていた。それが日課になって2か月ほどすぎたある日、健太くんが突然しゃべり出したのである。

4歳のお誕生日がすぎても、健太くんは脳性麻痺による言語障害のため、一言も話せないままだった。医師からも「一生話せない」と診断されていた。それはわかっていても、ご両親としては健太くんの口から「パパ、ママ」とだけでもいってもらいたいと願っていた。それが今になっていきなりしゃべり始めたのである。

しゃべるといってもいくつか単語を並べる程度だが、それはもう「パパ、ママ」のレベルではない。微妙にイントネーションはちがっても、ちゃんと会話らしいことまでできるようになってきた。これには両親も大喜びだ。

もちろん脚のトレーニングや背中をさする程度のことで、脳性麻痺の言語障害が回復したわけではない。健太くんは他の子に比べて、発達のスピードが遅かっただけなのだろう。

その後、健太くんはテレビゲームでふつうに遊べるようにもなった。脳もしっかり発育しているようだ。つまり最初の医師が宣告した「生涯、話せない、脳も発育しない」という診断がまちがっていたことになる。誤診なら誤診でいい。これはうれしい誤診なのだった。

ところが人間は、一つ願いが叶うと次々と欲が出てくるものらしい。言葉と知能の回復が叶ったら、残るは歩行機能だけである。さすがにそこまでの誤診はないはずだが、ご両親としては期待するようになっていた。

私だって健太くんが歩けるようになってほしい。ご両親の期待にも応えたい。何かいい方法はないだろうか。そんなことが頭をかけめぐるようになっていた。だが当の健太くんはいつもの通り、脚を使うことのない歩行器に、ただ座ったままだった。(つづく)


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