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ある日のこと、いつものように健太くんの家に行くと、お母さんがいいづらそうに「実は…」と話を切り出した。
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ある日のこと、いつものように健太くんの家に行くと、お母さんがいいづらそうに「実は…」と話を切り出した。
隣町に、健太くんと同じ脳性麻痺の子供を抱えるお母さんがいて、健太くんが急にしゃべれるようになったことを、つい話してしまったというのだ。するとその方から、「ぜひとも自分の娘も私にトレーニングしてもらえないか」と頼まれたのである。
これが有償の仕事ならともかく、ボランティアで通ってきている私には頼みにくかったのだろう。ところがそのときの私は、一人見るのも二人見るのも大してちがわないと思った。だから「いいですよ」と気軽に引き受けてしまった。
紹介されたミヨコちゃんの家は、駅にすると健太くんの家の最寄駅よりも2つ手前になる。早速、翌週にうかがってみると、健太くんのお母さんと同年代の女性が、わずかに緊張した面持ちで出迎えてくれた。
玄関から上がると、そのまま奥の部屋に通される。そこにはふとんに仰向けで寝ているミヨコちゃんがいた。お母さんの話では、ミヨコちゃんは今年から中学校に通うはずの年齢だが、発達障害のせいで「しゃべれない」「知能が発達しない」「歩けない」状態のまま、体だけが年齢相応に成長しているそうだ。
同じ脳性麻痺でも、健太くんとはだいぶ印象がちがう。ミヨコちゃんはすでに病院で脚の靭帯(じんたい)を切断されている。その点も健太くんとはちがっていた。
脳性麻痺の子は、ちょっとしたことですぐに両脚を固く交差させる。何かで緊張すると、体が勝手に動いてそうなってしまうのだ。
脚が交差すると、オムツの世話などの介護が大変になる。そのため病院では、脳性麻痺の子が成長しきる前に、脚の付け根の靭帯を切る手術を勧める。靭帯を切ってしまえば、脚を固く交差できなくなって、格段に介護しやすくなるからだ。
しかしこの手術を受けると、自分の脚で歩けるようになる可能性はなくなる。もちろん手術をしなくたって歩くことはできないのだが、将来の可能性がゼロになるのは親としてはつらい。脳性麻痺の子をもつ親御さんたちは、みなその大変な決断を迫られるのである。
実は健太くんの両親も、そのことでひどく悩んでいるところだった。病院の医師からは、早く手術したほうがいいとせかされている。健太くんは男の子だから、成長とともに脚を交差する力も強くなる。そうなれば、介護の負担が増すのは目に見えていた。
けれども、手術すれば奇跡が起こる余地は消える。それが現実的な判断だとしても、その結果、希望を失うことになるのなら、かんたんに答えが出せるものではない。
それにしても、この状態のミヨコちゃんに私は何ができるだろうか。すでに靭帯を切断されているから、脚のトレーニングはやっても意味がない。背中をさすってあげるとしても、思春期の女の子にどう接すればいいのかわからない。
とまどっている私とは対照的に、ミヨコちゃんは大歓迎で笑顔を向けてくれている。体の状態を見てみると、健太くんと同じでいたって健康そうだ。ところがみぞおちのあたりに目をやると、やはり肋骨の形が健太くんと同じように大きく広がっている。
この形は脳性麻痺の子の特徴のようだが、手技でどうこうすべき対象ではない。それは十分わかっている。やはりできることといえば、背中をさするぐらいしかないようだから、お母さんにやり方だけでも伝えておこうと思う。
相手が女の子なので、私はできるだけ手を触れるべきではないだろう。そう考えて、まずはお母さんの手でミヨコちゃんの体勢を変えてもらう。お母さんは慣れた手つきで、仰向けの状態のミヨコちゃんをうつ伏せにしてくれた。そこで私は軽く背中をなでてみせた。
私の手が触れたのは一瞬のことだった。それなのに、ミヨコちゃんははしゃいで失禁してしまった。これにはビックリしたが、さすがにお母さんは慣れているようだ。眉一つ動かすことなく、ため息にも似た小さな声で「おや、まあ」とだけつぶやいて、すばやく始末をする。私は同じ室内にいるのも気まずいので、トイレを借りるふりをして部屋を出た。
やはり相手が男の子ならともかく、障害のある女の子となると、私が対応するにはハードルが高すぎたのだ。もっとよく考えてから、お受けするかどうかを決めるべきだった。頼まれたとはいえ、私には何もできないのだから、自分の軽率な判断が悔やまれる。希望をもたせてしまったことすら申し訳なくて、うかがうのは今回だけにさせてもらった。
ボランティアとはむずかしいものだ。無償の行為であるせいで、安易に自分だけがイイ気分になって、責任にまで気が回らなくなってしまう。今回の訪問は、このシビアな現実を思い知る苦い経験となったのだった。(つづく)
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