*小説『ザ・民間療法』を始めから読む
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今から20年も前になるだろうか。私は小沢昭一や永六輔が大好きで、彼らのラジオ番組をよく聞いていた。その巧みな話芸は、そんじょそこらの芸人では決してマネのできないレベルだった。おかげでどれだけ笑わせてもらったかわからない。

あるとき小沢昭一の番組で、「昔は地震・雷・火事・オヤジといいまして、お父さんは怖いものの代表だったのです。ところが最近じゃ、士農工商・イヌ・ネコ・お父さんと申しまして、家庭内での地位もたいへん低くなりまして~」と話していて、これまた大いに笑った。

お父さんはどうだか知らないが、イヌやネコの家庭での地位は、あれからもずっと上がり続けている。ペットが死ぬと、代わりにお父さんだったらよかったのに、などという不届きな家族の話まで聞くようになった。

私が子供のころは、イヌは番犬、ネコはネズミ捕りのためで、使役動物としての役割が当たり前だった。ところが今では家族の一員で、愛玩の対象としての役割しか担っていない。

そもそもイヌやネコは、もらうか拾うかしてくるもので、買ってくるものではなかった。エサだって人間の残り物を与えていた。今みたいにペットショップだのペットフードだのなんぞない。

まして獣医にしても、私の田舎ではウシやウマのための存在で、イヌ・ネコをお金を払って診てもらうようなことはなかった。だが時代は大きく変わったのである。

先日も、例のダックスフンドのアカの腰痛を治してあげたら、家族からは大感激された。多分、お父さんの腰痛を治してあげたって、あそこまで喜んではもらえなかっただろう。

そんなアカが、また調子が悪くなって、何も食べなくなったという連絡があった。日ごろからアカは大食いで、何でもガツガツと食べてツチノコのような体形になっていた。そのアカが食事をしないのだから、家族は心配して動物病院に連れて行ったのだ。しかし検査でも原因はわからなかった。

そこで私が呼ばれたのである。アカを見ると、よっぽど調子が悪いのだろう。いつもなら顔をなめにすっとんでくるのに、今日はグッタリと横たわったまま横目で私を見ている。

いくらイヌが苦手な私でも、この変わりようは胸に応える。アカの背中をさわってみると、前回の腰痛だったときのような背骨のズレはない。次におなかをさわると、妙に張っている。その張ったおなかを丹念に探っていくと、奇妙な形のかたまりが指に触れた。その部分に触れると、アカは少し眉間にシワを寄せる。

そうか。ここをさわられると痛いのだな。そのイビツな形からすると、何か異物を飲み込んでいるようである。そこで腸が詰まって、おなかが固くなっているのだろう。これはいわゆる腸閉塞という状態に思えた。

そこで再度、動物病院に行って相談してもらうことにした。ところが病院では、「そんなことはない」と否定されてしまったのである。仕方なく家に連れて帰ってはきたものの、アカはどんどん弱っていく。

その姿を見かねた家族がまた病院に連れて行くと、今度は、一度開腹手術をして、おなかの中を調べることになった。そして開けてみると、やはりアカのおなかの中からは、割り箸の破片やビニールなどがかたまりになって出てきたのである。

しかしせっかく異物を取り除いたときには、アカはもう衰弱しきっていて、長くはもたなかった。ペットとはいえ、愛する家族として暮らし、人間とちがってかわいいだけの存在を失うのは、悲しみもいっそう深い。家族の喪失感は、はたで見ていても胸が痛いほどだった。

私の大好きな昭和歌謡(※)に、「愛した時から苦しみがはじまる。愛された時からわかれが待っている」という歌詞があった。愛がなければ人生はむなしいが、愛することはつくづく悲しいものなのだ。(つづく)

※川内康範 作詞「誰よりも君を愛す」より


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