*小説『ザ・民間療法』を始めから読む
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毎月のように施術していた芳子さんが肺がんになったと聞いて、私は動揺していた。

ちょっと前までは、患者ががんだとわかると家族には伝えるが、本人にはいわないことになっていた。がんだと告知してしまうと、あまりのショックで自殺する人までいたからだという。

ある有名なお寺の大僧正は悟りを開いているから、この人になら告知してもいいだろうと思われた。そこで正直にがんだと伝えたら、半狂乱になって自殺してしまったという話を聞いたこともある。

あるとき、父の姉である伯母が胃がんになった。見つかったときにはかなり進行していたので、余命いくばくもない。それを聞いて、父はまだ学生だった私を連れて最後の見舞いに行った。

病室に入る前の父は、いつになくきびしい顔をして、「いいか、絶対にがんだと悟られないようにするんだぞ」と私にいった。だから父は伯母の前では当たり障りのない世間話をし、私も東京での学生生活の話なんかをした。

そしていよいよ病室を出る際、父は「それじゃまた来るね」というと、伯母に向かって深々とおじぎをした。父にしてみれば、これが姉の顔の見納めだとでも思ってのことだろう。だがその姿からは、これが最期のお別れだという気持ちがバレバレだった。

最近はがんも治ることがあるらしいが、あのころはまだがんは不治の病で、助かる見込みなど全くなかった。そのため、がんの告知は死の宣告に等しかったのである。

しかし私ががんなら、絶対に告知してほしい。自分の体のことを自分が知らないほうがおかしいと思う。終わりが近いとわかれば、身のまわりのモノも処分できるし、借りがあればきちんと返して、自分の人生の後始末ができる。会いたい人にも会いに行ける。

だが医学が進歩したとはいえ、芳子さんはがんのなかでも特に難しいタイプの肺がんらしい。彼女はこのまま死んでしまうのだろうか。あれこれ思い悩んでいると、以前習いに行っていた気功の先生のことを思い出した。

そうだ。あのナカバヤシ先生なら、「気」の力でがんも治せると聞いていた。そこで早速先生に会いに行って、芳子さんを治療してもらえないかと頼んでみた。すると快く応じてくださったのである。

ところが芳子さんの肺には水が溜まっていることを話すと、「そりゃダメだ」といって急に素っ気なくなってしまった。あわてて理由をたずねると、水は「気」を通してくれないから、がんを叩こうとしても、水があるうちは治療にならないというのだ。

そんなことは初めて聞いた。習いに来ていたころには、そんな話はしていなかった。そもそも人間の体は半分以上が水でできている。その水が邪魔するというのなら、気功なんて意味がないじゃないか。口には出さないが、そんな反問を頭のなかでくり返した。

すると少しの沈黙のあと、先生は「肺の水がなくなったらやりましょう」といった。肺の水がなくなる?それは肺からがんが消えたらということなのか。もう返す言葉も見つからない私は、時間をとっていただいたことにお礼をいって、先生の家をあとにした。

気功の達人として有名なナカバヤシ先生になら、芳子さんを助けてもらえると思っていたのに、希望の灯が消えてしまった。これからどうしたらいいのだろう。

抗がん剤治療が始まった途端、あれほど元気だった芳子さんから笑顔が消えた。足までパンパンにむくんで、見るからに完全な重病人の姿になり、日に日に弱っていく。そして病室を訪れた私に向かって、「先生、助けて」と泣きながら訴えるのだ。

しかし私には彼女を救う力などない。何もしてあげられないのである。私はただ芳子さんの手を握り、不用意に涙が落ちてしまわないよう、天井で白白と光る蛍光灯を見つめているしかなかった。(つづく)


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