須藤さんは55歳になったばかりの女性経営者である。彼女はあちこち手を広げて仕事をしているせいで、スケジュールはいつもいっぱいだ。サラリーマンのように休みなど取っていられないから、いつも疲れが取れないといっている。そこで毎月のように私が会社に出向いて、仕事の合間に施術していたのである。
施術といっても、彼女はさしあたってどこかが痛いわけではないので、いつもリラクゼーションがメインだった。痛みを取るのが目的ではない分、私としても気楽といえば気楽だったのだ。
ところが子宮頸がんの京子さんのことがあって以来、妙に須藤さんの体が気にかかるようになっていた。そういえば、しばらく顔を見ていない気がする。次回の予約も入っていたが、その日まで待ち切れないので、こちらから電話して、最近、体調に変化がないか聞いてみた。
すると「特に何もないけど・・・」といったあと、彼女は少し間をおいて、「痔でちょっと血が出るのよね」と口にした。「血が」といったときの声に、わずかに彼女の不安が感じ取れる。それは気になるので、次の予約の日程を早めてもらって、体を調べに行くことにした。
約束の日、いつものようにひととおり体をチェックする。ふだんとちがう私の真剣な表情を見て、彼女も「何事か?」と少し緊張しているのがわかる。
まずうつ伏せに寝てもらうと、大きく盛り上がっている左の起立筋が目に飛び込んできた。やはりそうだったか。これまで何度も施術してきたはずなのに、何でこの形が気にならなかったのだ。おのれの不明を恥じる気持ちが湧き上がってきて、お腹の底が熱くなる。
しかし新しい経験で視点が変わったからこそ、今まで見えていなかったものが見えるようになったのだ。ここで後悔しても仕方がない。いずれにしても、これが明らかに異常な形なのはまちがいない。
その盛り上がった部分を軽く押してみると、案の定、私の指を強くはじき返してくる。とても女性の筋肉とは思えない強さである。須藤さんは女性的なタイプで、どちらかというと痩せ型だから、この意外な弾力に私は改めてたじろいだ。
今度はおなかに触れてみる。おなかの表面には、京子さんのようなザラつきはない。ところがおなかの左下の奥のほう、ちょうど大腸のあたりまで来ると、そこには妙なザラつきがあった。
表面をサラッとなでた程度なら、見落としてしまっただろう。だがこれは、明らかにあの京子さんのおなかにあったザラつきと同じで、ゾッとする感触なのだ。
「がんかもしれない」
いきなりそんなことをいったら、驚かせてしまうだろう。いくらソフトに伝えたとしても、それでは衝撃が大きすぎる。そこで、まずは大腸の検査をしたことはあるかと聞いてみた。すると一度もないというので、唐突ではあるが、病院に行って大腸の検査を受けてみるようにすすめてみた。
彼女は「急にそんなことをいわれても」とつぶやきながらも、いつになく私が真剣なのを知って、頭のなかで仕事の段取りを整理しているようだった。
そうしてなんとか仕事のやりくりをし、翌週には彼女は大腸の検査を受けた。結果が出たのは、それから半月後のことである。
残念ながら、須藤さんの出血の正体は痔ではなかった。大腸にあるがんから出血していたのだ。しかも彼女のがんは、大腸のなかで10cmほど離れた場所に2つもあった。それを告げた医師の指示で、1か月後に切除手術を受けることも決まった。
幸いがんは肛門から若干離れたところにあったので、人工肛門にはならずにすむらしい。もし人工肛門になったら、手術後の生活レベルが激しく低下してしまう。そうならなかっただけでもラッキーだった。
しかし私の予感が的中してしまったことは喜べない。やっぱりあの硬い小粒のイクラのようなザラつきは、がんに特有のものなのだろう。そして左起立筋の盛り上がりが、それと連動しているのだ。
それにしても、2つもがんが見つかったということは、かなりがんが広がっているのだろうか。そんな人にこれからも施術していいものか、私はしばらく迷っていた。
ところが当の須藤さんは、京子さんのがんが消えた話を聞いていたので、当然のように、自分にも同じ施術をしてもらえると期待しているようなのだった。(つづく)
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