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私は気が弱いほうではないと思う。しかしどちらかというと、エエかっこしいの部類ではある。この性格のせいで、これまで何度、後悔するはめになったことだろう。
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私は気が弱いほうではないと思う。しかしどちらかというと、エエかっこしいの部類ではある。この性格のせいで、これまで何度、後悔するはめになったことだろう。
大腸がんの下田さんのときだって、初めにはっきりと断っていれば、何か月もあんなたいへんな思いをしなくてすんだのだ。だからあれからは、病院で治療を受けていないがんの患者さんには施術しないと心に決めていた。
ところが子宮頸がんの田口さんの場合は、病院での治療はやり尽くしていた。医師からも、「もう何もできることはない」と見放されている。この時点で、すでに私の条件を満たしてしまっていた。
そうはいっても、私が彼女のがんを治してあげられるわけではない。おそらく彼女の体力では、埼玉から世田谷の山田先生のお宅まで通うのも、負担が大きすぎるだろう。私は心のなかで、九分九厘お断りしようと思っていた。
しかし、場の雰囲気というのはとてつもない力を持っている。私に絶対に断らせまいとして、みんなで圧力をかけてくるのである。それが善意であればあるほど、その力は強大だ。
私はこれに負けた。そしてつい、「では、何回かだけ試しに・・・」という言葉がスルリと口から出てしまった。自分の言葉に自分で驚いて、カッと頭に血が上る。
それなのにさらにつづけて、「田口さんがここまで来るのは体力的にムリでしょうから、私が埼玉のご自宅までうかがいます」とまでいってしまったのである。なんということだ!何をエエかっこしているのだ!
だがこれを聞いた一同は、「それでいいのよ」という表情で、満足気にうなずいている。それでも一応、田口さんのご主人だけは、「それじゃ申し訳ない」といいかけたが、すぐに「ありがとうございます」とつづけて口をつぐんだ。
万事休すである。「車で迎えに来ます」とでもいってくれたら助かるのだけど、そこまでは気が回らないらしい。彼の表情からすると、「これでもう自分の手は離れた」と安心している節もあった。
それにしてもたいへんなことになった。容体がたいへんなのはいうまでもないが、私のアパートから埼玉のはずれにある田口さんの家までは、電車でたっぷり2時間はかかる。しかもおそろしく乗り継ぎが悪いのだ。
今までなら、どんなに遠くても1時間を超えることはなかった。距離だけでなく乗り換えが多いとなると、当然ながら電車賃も高くつく。生活に余裕のない私は、心のなかで「せめて交通費だけでも~」と思ったが、がん患者は無料で診ると決めていた以上、それを口にすることはなかった。
紹介者にあたる京子さんも、自分が子宮頸がんのときには全く無料で施術してくれたのだから、それが当たり前だと思っているらしかった。
初めて田口さんのお宅にうかがう日、電車に揺られながら窓からの景色を見るともなしに見ていると、乗り換えのたびに家がまばらになっていく。そのさみしげな風景につられたのか。これって「安物買いの銭失い」ならぬ「安請け合いの銭失い」というヤツじゃないか、と自虐的な気分になってきた。まして、彼女のがんを治してあげられるわけでもないので、どうしても足取りも重くなる。
慣れない乗り継ぎで右往左往しながらも、何とか最寄り駅に到着した。ホッとしたものの、そこからもしばらく歩いたので、道のりは2時間どころではなかった。やっとのことでたどりつくと、都内の戸建てと変わらないこぢんまりとした家が建っている。ここまで郊外なら、きっと大きな家だろうとイメージしていたのでちょっと意外だ。
田口さんは、会社勤めのご主人と高校生と中学生の娘さん、そしてご主人のお母さんとの5人暮らしである。そのため今日のような平日の日中は、義母さんと二人だけの生活だ。彼女はもう家事などできる状態ではないので、日常のことはすべてこの義母さんがやっているらしい。
玄関先で出迎えてくれた義母さんは、「ヨメがあんなだから、私が全部やらなきゃいけないのよ」といって顔をしかめると、初対面の私に向かってあれこれと愚痴をこぼし始める。返事のしようもないので、私は突っ立ったままだまって聞いていた。
しばらくの間、義母さんのよく動く口のあたりを眺めていると、「まぁそういうことで」といって、玄関の脇にある10畳ほどのリビングに案内してくれた。
部屋の戸口に立った義母さんが、「ホラ」と部屋のすみにあごを向ける。その先の暗がりに目をやると、雑然とした部屋のすみに敷かれたふとんには、あの田口さんがひっそりと横になっていた。
前回お会いしたときからまだ数日だというのに、何だか一回り小さくなっているようだ。物音で私の来訪に気づいた彼女は、あわてて体を起こそうとする。それを制してそのまま寝ていてもらうと、そのやり取りの間に義母さんはどこかに消えて、二度と顔を出すことはなかった。
私は仕事柄、これまでにかなりの数のお宅におじゃましてきた。そのせいか、家族の力関係を察知するのが早い。家庭での田口さんの立場はあまりよくないのだろう。それが即座に伝わってきて、さらに気分が沈む。
私には、どうもこの家の雰囲気が暗いのも気にかかる。これは決して病人がいるからではなさそうだ。しかし肩身の狭い思いをして寝ている彼女に、そんなそぶりを見せて余計な気づかいをさせてはいけない。せめて私がいる時間だけでも、何かの足しになったらと願うしかない。
田口さんは、いかにも申し訳なさそうな表情で私を見上げている。私は彼女の枕元に座ると、精一杯の笑顔を向けながら、さてこれからどうしたものか、と考えていた。(つづく)
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