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田口さんの家にうかがうのは、これで4回目になる。初めてお目にかかってから、3週間が過ぎていた。私が行ったからといって、終末期のがんで余命幾ばくもない人に、何かできるわけではない。それでも、もう1回、もう1回と思いながら通っていた。

彼女の体には、いくつもの手術の傷痕がある。子宮頸がんなのに、どうしてこんなに体中あちこち切られているのか釈然としない。その傷の多さのせいで、私が触れられるところも非常に限られていて、せいぜい背中と脚ぐらいしかなかった。

しかも彼女はほぼ寝たきりなので、脚には血栓ができているかもしれない。何もできないから軽くマッサージでもしようか、などと安易に考えるのも危ない。脚をもんだりしようものなら、血栓が飛ぶ可能性もあって、それこそ命取りである。

かといって、これまでのがん患者のように、背中を刺激してみるわけにもいかない。刺激の結果、仮に良い反応が出たとしても、今の彼女にはその変化を受け止めるだけの体力がないだろう。

そうなると私にできることは、ただそばにいて、やさしく手を添えるぐらいしかない。それすら、いつ病態が急変するかわからないので、何か起きれば責任を問われることは目に見えていた。

私がそんな恐怖を抱きながら接していることなど、当人は思いも寄らない。だから私が背中にそっと手を当てていると、それだけで安心して寝息を立て始める。

ところが何かの拍子に、ふと呼吸が止まることがある。私がおののいていると、一瞬の間をおいてまた呼吸が再開する。それを見てホッとする。この繰り返しのおかげで、私は毎回、薄氷を踏む思いだった。

終末期のがん患者たちに接していると、いつも思うことがある。彼らに残された時間はごくわずかかもしれないのに、私みたいな赤の他人といてよいものだろうか。もっと本当に大切な人と、その大切な時間を過ごすべきではないのか。

患者本人が強く望んだこととはいえ、私は彼らの貴重な時間を奪っているのではないか。そう思うと、常に罪の意識が私を苦しめた。もちろん、私ががんを完治させることができるものなら、そんな意識など芽生えなかっただろう。

実際、今の彼女の体にとって、私の存在は何のプラスにもなっていない。それがわかっているから、なおさら苦しい。それならせめて、心の支えの一つにでもなれたらと願うしかなかった。

肺がんで亡くなった芳子さんのときも、何一つしてあげられなかったけれど、何度も病室に顔だけは出していた。そうすることで、今までと何も変わっていないと感じてほしかった。先への不安から、少しでも目をそらさせてあげたいとも思っていた。

短い時間ではあったが、田口さんともいろいろな話をした。死を間近にしていると、今さら他人への気取りがなくなるのだろう。その分だけ、彼女とは旧知の間柄のように親しく接することができていた。

その日も、田口さんのふとんの脇に座って話を聞いていると、彼女がスッと息を整えた。そして弱々しいが、それでもしっかりとした口調で、「もしも私のがんが治ったら、ワ・タ・シ、がんの人たちのお世話をする仕事がしたい」といったのだ。

そこでまた一つ息を吐くと、一層澄んだ目を私に向けて、「だって私、がんの人の気持ちがよくわかるから」といって目を閉じた。彼女のまばらになったまつ毛のはしから、涙が一粒だけ流れていって枕に落ちた。

田口さんにも、自分はもう治る見込みなどないことはわかっている。しかしその日は、どこか晴れ晴れとした表情で私を見送ってくれた。

彼女が亡くなったのは、それから3日後のことである。お別れが近いのはわかっていたはずなのに、知らせを受けた私はショックで全身から力が抜けた。

告別式の朝、また電車を乗り継いで会場へと向かう。もう二度とこの駅で降りることもないだろうナ。そんなことを考えているうちに、殺風景な印象の建物に着いた。少し早かったかと思いながら、大きな扉を押す。そこでは、元気だったころの田口さんが遺影のなかで笑っていた。

そうか。彼女はあんな顔で笑うのか。そう思ったとたん、怒りにも似た激しい悲しみが突き上げて、嗚咽とともにあふれ出す。涙がとめどなく流れては落ちて、私にはどうしようもなかった。

「もしも私のがんが治ったら…」。

たしかに彼女はそういったのだ。あのときの声が耳から離れない。たった5回しか会うことはなかったけれど、田口さんの存在は、だれよりも深く深く私のなかに刻みこまれたのだった。(つづく)