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人が最期を迎えるときの姿は、その人がどんな人生を送ってきたかを物語る。生き方同様、人にはさまざまな死に様がある。そこにはそれぞれ、その人なりの美学があるようだ。
私の祖父は70代半ばで亡くなった。当時としては早いほうでもなかっただろう。彼は腹膜炎を起こして近所の診療所に担ぎ込まれたが、そこでできる治療などない。押し寄せる激しい痛みにただ耐えるしかなかった。
食いしばった歯の間から、「まるでお産のようだ」といっただけで、「助けてくれ」などとは一言もいわなかった。そして一昼夜も苦しみ抜いた挙げ句、いよいよ最期というときが来た。彼はやつれ切って、脂汗に濡れた顔をわずかに家族のほうへ向けると、声をふりしぼって「ワシはもうダメじゃ。みなの者、達者でな。サラバじゃ!」といって事切れた。それは武士の最期を見るようで、何とも見事な逝き方だった。
さすが明治の漢(おとこ)はちがう。祖父は若い時分に故郷の岐阜を離れ、頼る者すらない北海道に渡った。そこで一から事業を起こして名を成し、周囲の人間から恐れられる存在となった。そんな彼の生き方ともども、この死に様は家族に強い印象を遺したのである。
また、ある友人のお父さんの逝き方も、私には興味深いものだった。彼が病院で危篤になると、その知らせを聞いた家族がベッドのまわりに集まった。彼らは瀕死の父親に向かって、「ガンバッテ~ッ!ガンバッテ~ッ!」と、あらん限りの声で励ましつづけていた。
するとそれまで意識のなかった彼が、突然カッと目を見開いて「ウルセーッ」と怒鳴ったかと思うと、その憤怒の表情のまま亡くなった。これまた何とも男らしい旅立ちではないか。
本人にしてみれば、妙なる調べに包まれて、麗しい天女だか阿弥陀様だかのお迎えで、今まさに気持ちよ~く天に昇ろうとしているところだったのだ。それなのに、耳元で家族が大騒ぎしていては、せっかくの雰囲気が台無しである。そりゃ怒るのも当然だろう。
では私が死ぬときはどういう演出にしよう。昔の人みたいにカッコいい逝き方ができるだろうか。生き方すなわち逝き方だともいうから、これはエエカッコしぃの見せ場である。決して見苦しい姿は見せたくない。
だが現実には、死に方なんぞ思い通りにはいかない気もする。苦しみのあまり、「死にたくないっ」と泣き叫んで、周囲にあきれられるかもしれない。何かしら、日ごろの本音が無意識に口から飛び出してしまいそうなのも怖い。
それならいっそのこと、だれにも見られずにひっそりと逝きたい。子供のころ飼っていたイヌやネコは、自分の死期を悟るとだまって縁の下にもぐりこんで、いつのまにか死んでいた。人間だとそうもいかないところが悩ましい。
さて宗介さんはどうだろう。彼は激戦地で被弾して、死線をさまよった経験の持ち主だ。命からがら帰還した後も、過酷な人生を歩んできたのである。死ぬ覚悟など、とっくの昔にできているはずだ。彼なら、どんな死に方でも受け入れられるだろう。
これは宗介さんに限った話ではないが、死に方が問題なのは本人ではなく、あとに遺された家族のほうなのだ。今まで何度も、医者から「今晩が峠だ」といわれ、その度に夜通し付き添ってきた。しかし人というのは、案外アッサリとは死なないものである。次第に、付き添う家族のほうが疲れが溜まってくる。
それがいつまでもつづいていると、しまいには「まだか、まだか」と死ぬのを待ち焦がれるような気持ちになってくる。そしてやっと亡くなると、心底ホッとする。それと同時に、そんなことを思ってしまった自分に対して、どうしようもないやるせなさが湧き上がってくる。それで長い間苦しむことになるのだ。
宗介さんだって85年も生きてきたのだから、死ぬタイミングぐらいどうにでもできるだろう。どうしても死に際を見届けてほしいなら、本人がタイミングをこちらに合わせてくれるはずだ。ご家族にそんな話をして、「帰りましょう」ともう一度うながしてみた。
私の話を聞き終わると、それまで戸惑っていた彼らも納得したのか、口々に「そりゃそうだ。帰ろう、帰ろう」といって、みんなで病室を出た。病院の人たちの目には薄情に見えただろうか。だが、これが薄情かどうかは他人が判断することではない。
翌朝、宗介さんの一番のお気に入りだった娘さんが病室に入ると、それを待ち受けていたかのように彼はスッと息を引き取った。私の予想通りである。やっぱり彼は、だれよりもこの娘さんだけに見送ってほしかったのだ。私には宗介さんが「どんなもんだい?」といって、ニヤリと笑ったような気がした。(つづく)
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