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田舎の母から電話がかかってきた。ずっと入院していた父方の祖母がとうとう亡くなったのだ。もう103歳だったから、立派な大往生である。本人も満足だろう。
私が受話器をもったまま黙っていると、つづけて「葬式に出られるか」ときいてきた。母には逆らえないので、「うん、まあ」とだけ返事して電話を切る。葬儀は3日後だから、仕事の予約をやりくりして久しぶりに田舎に帰ることにした。
この祖母は、「サラバじゃ」といって果てたあの祖父の妻だった人である。明治・大正・昭和・平成を生き通し、戦争を挟んで8人の子を育て上げ、夫に負けず劣らず逸話の多い人だった。
子どもだった私が覚えているのは、昔っから偏食だったという話である。なかでも牛乳が特に嫌いで、「牛乳なんぞ一口も飲んだことはない」というのがお決まりのセリフだった。
たしかに牛乳は癖の強い飲み物なので、世代的にも無理もない気がする。それでも一度も骨折したことはないし、ひびが入ったことすらない。祖母は見るからに頑丈そうな骨をしていたので、「牛乳を飲むと骨が丈夫になる」という説は疑わしいナと思ったものだった。
ところがその祖母が100歳を超えたころ、牛乳は体にイイから長生きできるという話を聞きつけた。そこで、「私も(老後のために)飲んでみようかしら」といい出したのである。連れ合いが先立って30年も経つというのに、さすがに明治の女は意気込み(≒しぶとさ)がちがう。「見上げたもんだ」といって家族で笑い合ったのを思い出す。
そんな祖母の葬式だから、参列者には微塵も暗さがない。みな和やかな雰囲気で「ヤ~ヤ~」と声をかけ合っては、あれこれ昔話に花を咲かせている。そうこうするうちに、型通りのセレモニーが終わった。そそくさとお坊さんを送り出したかと思ったら、酒が回ってきて宴会が始まった。
「親戚が集まると、ろくなことがない」
これは母の口癖だ。それでも、祖母にはこれといった財産もないから、今更もめることもないだろう。私も旅の疲れが出たのか、ただボンヤリと親戚たちのざわめきに浸っていた。ところがそんな私を見つけた叔父が、かなりの大声で「オウおまえ、東京でナニやってんだ?」とからんできたのである。
この叔父は、私が何をやっているのかよく知っている。あえてこの話を振ってきたのは、「どうせ今の仕事も長続きしないだろう」とでもいいたいのだ。あれっぽっちの酒で、もう出来上がっているのか。からみ酒にはかかわらないに限る。
私が「いやまぁ」とかいいながら席を立とうとすると、今度はその話題に乗っかるようにして、別の叔父がこちらににじり寄ってきた。そして「イヤ~お経の間、座りっぱなしだったから、腰が痛くなっちまったヨ。オウ、ちょっともんでくれや」といって、無造作に背中を向けた。
私がやっているのがマッサージか何かとかんちがいしているのだろうが、本来なら飲酒した状態では、施術してもされてもいけない。しかし親戚相手に、酒の席でまともに答えるのも面倒だ。黙って腰の骨のズレをサッともどして、「終わったヨ」と声をかけた。ほんの十秒ほどのことである。
私の素っ気ない態度に彼はご不満な様子で、「もっとしっかりもんでくれヨ~」といいながら立ち上がりかけた。そこでやっと矯正の効果に気づいたのか、これまた大きな声で、「オヤ、オイ痛くないゾ!」と叫んだのである。
その声に反応してほかの親戚たちまでが、「オイオイ、ホントかよ~」といいながら、どんどんこちらに集まってくる。母に目をやると、叔父に向かって「それ見たことか」とばかりに胸を張っている。息子の腕を自慢したくて仕方がないのだ。
ズレをもどしたら、治るのは当たり前なのだが、これはこれでマズイ状況だ。案の定、「それならオレもアタシも」と集まってきて、みんなで私を取り囲んで一斉に背中を向けた。これではとんだ「かごめかごめ」の鬼さん状態だ。
先述の通り、私の父は8人兄弟である。母ときたら、なんと10人姉妹なのである。自慢じゃないが、彼らの配偶者を合わせると、私には有に30人を超すオジとオバがいることになる。
さらに今日は、そのオジ・オバの子どもである従兄弟たちまで来ている。いくら片っ端から治しても、いつまで経っても背中の人垣が絶えない。これにはまいった。全くもって「後ろの正面だ~れだ」どころではない。
これが他人相手なら、真っ当な説明で辞退もできる。しかし親戚の集まりでは、逃げようがない。今日はここに泊まるので、家に帰ることもできない。あきらめて一人ずつやっていくしかないのだ。そう腹をくくって淡々と背中だけに集中していたら、私と馬が合う仲良しの叔父の番が回ってきた。
やっと一息つける。そう思って喜んでいると、彼は「いや~最近、胃の調子が悪くてナ。今度、病院で検査しようと思ってるんだ」とこっそり打ち明けた。
この叔父はまだ70歳を過ぎたばかりのはずだ。胃がんだとイヤだな。そう思いながら、軽く胃のところをなでてみる。特に異常らしきものはなくて、少しホッとする。だがふと胸のあたりを見ると、肋骨がへこんでいる部分がある。
友人の父親の宗介さんも、肺炎のときには同じように胸にへこみがあった。それを思い出す。症状はないみたいだけど、これは肺炎だろうか。試しにそのへこみの部分に軽く触れてみると、肋骨の間に微妙なザラつきが感じられた。
自分の顔からサッと血の気が引くのがわかる。このザラつきは、例のがん特有の感触だ。ひょっとして肺にがんでもあるのだろうか。もちろん確信はないし、こんな状況で、いきなりそんなことをいうわけにもいかない。本人には、胃と合わせて、肺の検査も勧めておいた。
翌日、東京にもどって忙しくしているうちに、2週間ほどが過ぎた。私が「大丈夫だったのかな」と思い始めたころ、その叔父から連絡があった。やはり胃はきれいで、何も問題はなかったらしい。
ところが私が勧めた通り、肺の検査を受けてみたら、がんらしきものが見つかった。これから治療するのだという。本人としては、入院して本格的に治療すれば助かると思っているのだろう。明るい声で「見つけてくれてありがとう」といって電話が切れた。
私の気持ちは沈んだ。肺がんとなると、治療さえすればよくなるものではない。早く見つかったからといって、いい結果になるわけでもない。それがわかっているだけに、やるせない気持ちでいっぱいになった。やっぱり母のいう通りだ。「親戚が集まると、ろくなことがない」のである。(つづく)
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