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荒井さんの施術のために、新宿のクリニックに通い始めて早くも半年が過ぎようとしていた。最初のころは、女性にしてはあまりにも筋肉が硬くこわばっていた。それが今ではすっかりやわらかくなって、ポーンと張っていたおなかもペシャンコにへこんだ。
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荒井さんの施術のために、新宿のクリニックに通い始めて早くも半年が過ぎようとしていた。最初のころは、女性にしてはあまりにも筋肉が硬くこわばっていた。それが今ではすっかりやわらかくなって、ポーンと張っていたおなかもペシャンコにへこんだ。
本人も、回を重ねるごとに体調がメキメキとよくなっているというし、以前の激しい疲れやすさがすっかりなくなって、足取りも軽い。
その影響で精神的にも安定しているのだろう。表情がグッと明るくなった。声の張りも全くちがう。半年間、荒井さんにつきそってきた娘さんも、その変化を十分に感じ取っていた。
二人して新宿まで来るのも、楽しくて仕方がない様子だ。施術の帰りに、パフェを食べに行こうとか、今度はあっちの店にも寄ってみようと話している。その微笑ましい姿は、見ているこちらまでうれしくなるほどだった。これでがんさえ消えてくれれば文句がない。
そういえば荒井さんは、私が施術を始めてから一度も検査を受けていないらしい。体調もよくなったことだし、試しに一度病院に行って、検査を受けてみたらどうかとすすめてみた。
体調がいいから検査しろというのも妙な話だが、施術している私としては、彼女のがんが今どの程度なのかを知っておきたかったのだ。もし他に転移でもしていたら、触れられないところが増えてしまうのも気にかかる。
しかし病院と聞くと、それまで明るかった荒井さんの表情が、一瞬にしてくもった。今はせっかく元気で気分もいいのに、もし検査の結果、がんがひどくなっていると聞かされたら、希望を失ってしまう。彼女が尻込みする気持ちは、私にも痛いほどよくわかる。
ところがそんな不安など笑い飛ばすように、娘さんが明るい声で「大丈夫よ~」とすすめてくれた。その娘さんの声援に支えられて、荒井さんは意を決して病院で検査を受けることにした。
半年前に、「もうできることはない」といわれたあの病院である。半年も音沙汰がなかったので、荒井さんはとうに亡くなっていると思っていたのだろう。主治医は元気になっている彼女の来院に、わずかに驚きの表情を見せた。だが、手慣れた様子で再検査の指示を出した。
翌々週、ドキドキしながら迎えた結果発表の日。主治医の予想に反して、残っていたはずのがんは大きくなっているどころか、影も形も見つからなかったのである。彼はこの結果に首をかしげ、釈然としない顔つきのまま、「これからも検査は欠かさないように」とだけ告げて診察は終わった。
医師が不審に思うのも無理はない。彼女の子宮頸がんは、確かに骨盤底にまで広がっていたのだ。初期でもないあれほどのがんが、そう簡単に消えるわけがない。検査と治療をくり返していたのだから、あれががんでなかったはずもないだろう。そうなると、本当にこの半年の間にがんが消えてしまったのだ。
荒井さんは、この結果を真っ先に私に知らせてくれた。電話の声が、いつもより何オクターブも高くなっている。今にも泣き出しそうな勢いで、最後のほうの言葉はよく聞き取れなかった。半年前は、もう助からないと思っていたので、よほどうれしかったのだろう。私もどんなに安心したかわからない。
喜びというのは、その場で爆発するタイプと、あとからジワジワくる人に分かれる。今回の荒井さんは爆発タイプだが、私は後者なのだろう。電話を切ってからしばらくの間、頭のなかが白くなっていた。ゆっくりと湧き上がってくる喜びをかみしめながらも、なぜ荒井さんのがんが治ったのかを冷静に考えてみた。
ふつうに考えたら、最後に受けた放射線治療の効果だったことになる。そうすると、私が半年前に施術を始めたときには、すでにがんが消えていたのだろうか。しかし放射線の効果がなかったから、医師からは「もう手の施しようがない」と宣告されたのだ。
あのころの彼女の体を思い出してみても、とてもがんのない健康な体だったとは考えられない。これまで診てきたがんの患者たちと、非常によく似た体をしていたのである。それに比べて今の荒井さんは、全く別人になっている。
がん患者の体というと、いつも私の頭には隔靴掻痒(かっかそうよう)という言葉が浮かぶ。足のかゆいところを靴の上からかいても、かゆみに届かないことから、物事の核心に触れられないもどかしさの例えとして使われる言葉である。
以前の荒井さんの体は、まさにそんな状態だった。彼女は靴どころか、全身に硬いよろいをまとっていたから、どんなにかいても薬を塗ってもかゆみには効果がない。かゆみを消すには、まずそのよろいを脱いでもらう必要があった。この半年もの間、私がやってきた施術はそのためのものだったのだ。
やはり荒井さんのがんが消えたのは、放射線治療のせいだったとは考えにくい。もし放射線で完全にがんが消えていたのなら、半年前にはすでによろいを着ていなかったはずである。
だからといって、私の施術でがんが消えたと考えるのは早計かもしれない。しかしこの結果を見れば、あの硬いよろいとがんとは、何らかの関係があることだけはまちがいなかった。
仮にそうなら、何も私ごときが一人で悪戦苦闘しなくてもすむ。よろいを脱がせる薬をだれかが開発してくれさえすれば、それががんの特効薬になる。そうなったら、世界中の人が救われるじゃないか。
ところが世の中には、これだけ大勢の人がよろいを着て暮らしているのに、まだだれもそのことに気づいていない。あちこちでてんでんばらばらにがんの研究をして、ときには華々しい治療法が発表されては消えていく。だがそんな方法では、それこそ隔靴掻痒だ。
この状況を何とか打破できないものだろうか。あれこれと思いを巡らすうち、強い焦りとともに、また私のなかに新たな妄想が広がってくるのだった。(つづく)
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