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干ししいたけの軸をかんだら、ポロッと差し歯が落ちた。あわてて鏡を見ると、そこには前歯が一本抜け落ちて、ギャグ漫画にでも出てきそうな情けない顔が映っていた。これでは人に会えない。あわてて山田先生に連絡して、歯をつけてもらうことにした。
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干ししいたけの軸をかんだら、ポロッと差し歯が落ちた。あわてて鏡を見ると、そこには前歯が一本抜け落ちて、ギャグ漫画にでも出てきそうな情けない顔が映っていた。これでは人に会えない。あわてて山田先生に連絡して、歯をつけてもらうことにした。
山田先生は、子宮頸がんで亡くなった田口さんを紹介してくれた歯医者さんである。あれ以来、先生にも定期的に施術しているが、私も先生から歯の治療を受けていた。
そもそも私は歯が丈夫ではないので、子どものころから歯医者とは縁が切れない。ところが歯医者選びには、いつもたいへん難儀していたのである。
以前は、高校の友人のSくんがやっている、実家近くのクリニックに通っていた。彼ならいつもタダ同然で診てくれるけれど、なぜだか時間がかかりすぎる。そのうえ、やたらとレントゲンを撮りたがるのも難点だった。
レントゲンを撮れば被曝する。わずかとはいえ発がんのリスクがあるから、できればあまり歯医者には行きたくない。その点、山田先生は、私が頼めばレントゲンを撮らないで何とかしてくれる。
彼女は私にだけ親切なわけではない。日ごろから、貧しい外国人労働者たちの歯を、無料で治療してあげているのだ。今時、こんな尊敬できる人はめったにいないと思う。
そんな山田先生から、「診てもらいたい人がいるの」という電話がきた。また、がんの人だろうか。私はちょっとひるんだが、この前もお世話になったばかりだし、ちょうど時間も空いていたので、先生のクリニックまで出かけた。
恐る恐る診察室をのぞくと、元気そうな男性が診察台にチョコンと座っている。一目見て、がんではなさそうなのがわかってホッとする。ファッション関係の仕事をしているという瀬尾さんは、焼けた肌にフワリと流した髪がいかにもおしゃれだ。30代ぐらいだろうと思ったら、実際には45歳になったところらしい。
話を聞くと、数か月前から急に左の腕が痛みだして、日ごとに痛みが増しているそうだ。もちろんすぐに近所の整形外科を受診したら、頚椎(首の骨)のヘルニアだと診断されたのだという。
しかしあまりにも症状がひどいので、大学病院を紹介され、そこのT教授の執刀で頚椎のヘルニア部分を切除することになった。
ところが手術の前日、瀬尾さんが覚悟を決めて病室で横になっていると、突然、助教授の先生が現れた。顔だけは知っていたが、瀬尾さんの主治医ではない。どうしたのかと思っていると、彼は周囲を気にしながら近寄ってきた。そして緊張した面持ちで瀬尾さんの耳に口を寄せると、「このまま逃げなさい」とささやいたのである。
いきなりそんなことをいわれた瀬尾さんは面食らった。しかし先生の真剣な表情に、ただならぬものを感じた。助教授の立場で、わざわざ「逃げろ」といいに来てくれるからには、よほどのことだろう。絶対にT教授の手術を受けてはいけないという意味だとわかって、彼は急いで荷物をまとめて病院を出た。
とはいえ、腕の痛みは相変わらずなのである。その病院を紹介してくれたのは近所の医師なので、もうまわりに相談できそうな医療関係者もいない。彼はほとほと困り果てていた。
そこで思い出したのが、いつも歯の治療をしてもらっている山田先生の存在だ。彼から相談を受けた山田先生は、「それなら!」と即座に私に連絡してきたというわけである。
早速、瀬尾さんの体を見せてもらう。サーフィンが一番の趣味だという話の通り、いかにもスポーツマンらしい体つきをしている。腕の痛みはさらに悪化して、今では痛くて横になって眠ることもできないので、半分体を起こした状態で寝ているそうだ。
病院の診断では、7個ある頚椎の一番下の椎間板が飛び出して、ヘルニアになっているのが腕の痛みの原因だといわれていた。そのヘルニアの部分を手術で切り取る予定だったのだ。
頚椎ヘルニアの人は、原因のある場所が腫れているのが普通である。その腫れた部分に軽く触れると、腕の症状が出ているあたりに、ビッと鋭い痛みが走るのがパターンだ。
確かに、瀬尾さんの左腕の部分には腫れも何もない。やはり頚椎からくる症状なのだろう。ところがヘルニアがあると診断された1番下の頚椎の部分を見ても、そこには全く腫れがない。試しにそのあたりに手で触れてみても、少しも痛くないらしい。
おかしいなと思いながらふと見ると、首の真ん中あたりにある4番目の頚椎が左に大きくズレていた。そこがしっかりと腫れている。その部分に触れてみると、瀬尾さんは「ウッ」とうなって顔をしかめた。私の指先がわずかに触れただけで、彼の左腕に激痛が走ったのだ。これだ。明らかにこいつが犯人だ。
これは椎間板のせいではない。4番目の頚椎そのものがズレることで、腕に痛みを出していたのである。一緒に見ていた山田先生にも確認してもらうと、彼女も「まちがいないわね」と大きくうなずいた。
これなら確かに、あのままT教授の執刀で手術を受けても、瀬尾さんの腕の痛みは消えなかっただろう。診断はどうあれ、結果として助教授の判断は正しかったのだ。瀬尾さん本人も「助かった~」といって笑っている。
しかし原因がわかったからといって、彼の腕の痛みはそのままだ。これはかなりの重症なので、私もそう簡単に手を出せない。サア、これからどうしたものだろう。(つづく)
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