*小説『ザ・民間療法』全目次を見る
小説『ザ・民間療法』挿し絵098
今から何年前のことになるだろう。まだ私が子供だったころ、山崎豊子の『白い巨塔』という小説が話題になっていた。あとで何度も映画やドラマにもなった人気作品である。

私が観たテレビドラマでは、主役の財前教授の役を、二枚目で名高い田宮二郎が演じて好評だった。それ以来、医学部の教授と聞けば、みな白衣を着た田宮二郎のりりしい姿を想像したものである。

その『白い巨塔』で描かれていたのは、大学病院で繰り広げられる、教授たちの熾烈な権力闘争の話だった。今でも医学の世界では医学部の教授が絶対的な権力を持っており、その弊害がたびたび社会問題にもなっている。

私の患者さんにも、手の指の陥入爪(かんにゅうそう=巻き爪)を、ある大学病院の教授の執刀で手術した女性がいた。

手術後の教授の話では、手術はうまくいったはずだった。それなのに1か月近くたっても、腫れや痛みが引かないのである。診察のときに教授に症状を訴えると、「時間がたてばすぐ引いていきますよ」といって軽くあしらわれた。

しかしいくら時間がたっても、彼女の症状は引いていくどころか、ますます激しくなるばかりだった。心配になって相談したくても、あれ以来、教授は診察室に全く姿を見せなくなってしまった。

仕方がないので他の病院にも行ってみたが、執刀医の教授の名前を出した途端、どの医師も気まずそうにして、何も積極的なことはしてくれない。いよいよ不安になった彼女は、あれこれと友人のつてをたどって、とうとう私のところまでやってきたのである。

実は、手術の後遺症だと思っていた痛みが、単に背骨のズレによる症状だったということはよくある。彼女の痛みも、多分ズレのせいだろうと私は簡単に考えていた。

指に症状が出ている場合、頚椎(首の骨)がズレていることが多いので、まずは首の骨から調べてみた。ところが彼女の首には、指先に痛みを出すようなズレがない。

そうなると、これは指先そのものに原因があるのかもしれない。改めて指を見ると、手術した指先はみごとに赤く腫れ上がっていて、かなり痛そうだ。しかしたとえ手術の不手際があったとしても、こんなに痛みが長引くのはおかしい。

次に考えられるのは血栓だ。ひょっとすると、手術によってその部分に血栓ができたのかもしれない。前に読んだ本に、糖尿病患者は血栓ができやすいと書いてあった。彼女の体型を見ると明らかに血糖値が高そうなので、血栓である確率はさらに上がった。

もし血栓がこの症状の原因だとしたら、私には何もできない。下手に刺激して血栓が飛んでしまったら、それこそ命取りになる危険性もある。だから彼女には、今度は整形外科ではなく循環器科で検査を受けるようにすすめた。

しばらくたってから彼女から連絡がきた。やはり私の予想通り、痛みの原因は血栓だったのである。しかしその病院で処置してもらったので、だいぶ指先の症状がよくなってきたようだ。それを聞いて私も安心した。

だれだって、教授は手術の腕が一番いいと思っている。ところがある医師が書いた本によると、教授になるには手術件数や診断力などではなく、何よりも論文の数こそが物をいうそうだ。

また教授が執刀するとなると、患者はそれなりの金額を包んで、謝礼として教授に渡すのが慣例になっているらしい。大腸がんを手術した須藤さんも、手術の前にはちゃんと執刀担当の教授に謝礼を渡していた。あとで私が金額をたずねると、彼女は片手をパーッと広げて見せた。5万円だろうか。いや、命を預ける相手に渡すのだから、もう一桁上だったかもしれない。

手術の前夜に病院から逃げ出した瀬尾さんも、教授が執刀することになっていた。しかし彼は、手術の前に教授にお金を手渡す慣例があることなど知らなかった。そのおかげで実害がなかったのだ。

それにしても、もしも彼を脱走させたのが助教授だったと知れたら、大変なことになっただろう。小説のなかでも、「一人が動いても、微動だにしない非情な世界」と表現されていたほどである。もちろん彼は大学病院に残れないばかりか、医学界の掟破りとして、生涯、出世の見込みは絶たれたはずだ。

それがわかっていながら瀬尾さんを逃がそうとしてくれたのは、これ以上T教授の犠牲者が増えるのを、黙って見ていられなくなったのかもしれない。そのタイミングから見ても、やはり瀬尾さんはラッキーだったといえるだろう。(つづく)

*小説『ザ・民間療法』全目次を見る
*応援クリックもよろしくお願いいたします!
にほんブログ村 小説ブログ 実験小説へ
にほんブログ村

長編小説ランキング

FC2ブログランキング