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新年早々、また寺田さんから電話がかかってきた。「ヨウ、この前はお疲れさん!」と相変わらずごキゲンである。この様子では、彼はまだ山中さんのがんのことは知らないようだ。つづけて彼は、「佐々木さんのことなんだけどナ」と切り出した。
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新年早々、また寺田さんから電話がかかってきた。「ヨウ、この前はお疲れさん!」と相変わらずごキゲンである。この様子では、彼はまだ山中さんのがんのことは知らないようだ。つづけて彼は、「佐々木さんのことなんだけどナ」と切り出した。
「佐々木さんて、あの◯△テレビの佐々木さん?」と聞き返すと、「そうヨ、あの佐々木さんが、急に首が太くなったっていっててナ」と、深刻そうなことを明るく話し始める。どうやら(いつも通り)酒が入っているらしい。
「病院に行ってもはっきりしないらしくてナ。昼からうちの事務所に来るから、チョット診てやってくれないかな~」というのだ。今回も、なかなかハードなお誘いである。
私と佐々木さんとは、寺田さんを介して10年来のつきあいになる。寺田さんのまわりは大酒飲みが多い分、ルーズであまり身なりにもかまわない人ばかりである。そんななかでは珍しく、佐々木さんは性格が律儀で、いつもスーツでパリッと決めていた。毎年、寺田さんの忘年会で顔を合わせていたのに、この前は見かけなかったから、少し気になっていたのだ。
首か。厄介なことになってなければいいのだけど、これは早く見せてもらわなくてはいけない。私はあわてて今日の仕事の予約を調整し、宮益坂にある寺田さんの事務所に向かった。約束の時間に到着すると、やっぱり佐々木さんはもう先に来て待っていた。
それにしても、相変わらずこの事務所は汚い。新しい年を迎えた新鮮さなど微塵もない。床には酒瓶がゴロゴロしているし、それを片づける人もここにはいない。長年積もりに積もったホコリが層になって、灰色の敷物みたいに見える。そんなところにスーツ姿の紳士は似合わないが、今日は仕方ないだろう。
新年の挨拶もそこそこにして、佐々木さんの首を見せてもらった。確かに太い。いきなり首が太くなる病気といえば、ふつうは甲状腺疾患である。しかし彼の首は、見るからに甲状腺のせいではなさそうだ。ちょっとイヤな感じである。
本人の説明では、ここ1か月ほどの間に、日に日に首が太くなってきたのだという。病院で検査を受けたが、まだはっきりとしたことはわかっていない。来週あたりには、くわしい検査の結果がわかるらしい。今のところ痛くもかゆくもないから、差し当たって生活に支障もないそうだ。
だが彼の説明を聞くまでもなかった。甲状腺ではないとわかった瞬間から、私の頭のなかには「悪性リンパ腫」という病名が点滅していた。悪性リンパ腫は血液のがんの一つで、首のリンパ節に好発するのである。
試しに彼の首に触れてみると、異様に硬くなっている。首のなかにピンポン玉を閉じ込めて固めたようにボコボコしている。これはますますイヤな感じだ。そうなると、首以外のリンパ節も確かめてみる必要がある。
スーツが汚れそうで申し訳ないが、佐々木さんにそばのソファーに横になってもらう。服の上からおなかに触ってみると、そこには首のリンパと同じ感触のモノがあった。鼠径部や脇のリンパも一通りチェックしたけれど、どれも極めて好ましくない状態だ。
その様子を見ていた寺田さんが、心配そうに「どうだ?」と聞いてくる。佐々木さん本人の前で、この状況をそのまま伝えるわけにはいかない。私は表情を変えないように注意しながら、「何だろうね~。まあ検査の結果が出てから考えましょう」とあいまいに答えてごまかした。
だが空気が重くなっているのを察した寺田さんは、「飲むか?」とそばにあった一升瓶を握りしめる。さすがに酒飲みらしい切り返しである。しかし佐々木さんはソファーから身を起こすと、「これからちょっと仕事が」といって腕時計を確かめた。
それを受けて寺田さんも、「そうか。それじゃ今度ゆっくりナ」といいながら、彼を出口まで見送った。佐々木さんが帰り際にチラリと私のほうを見たとき、その目のなかには、今の状況に気づいている気配があった。
彼が立ち去ったあと、寺田さんが「オウ、どうだった?」と改めて聞いてくる。「本当のところはどうなんだ」という意味だ。酒飲みながら勘が鋭い。
そこで、「医者じゃないから確かなことはいえないけど」と前置きしてから、私の印象では悪性リンパ腫の可能性が高いこと、しかもかなり進行しているから、タイムリミットが近そうだということを正直に伝えた。彼も真剣な表情でうなずいている。
それから一週間ほどして、検査の結果が出た。やはり私の予想通り、佐々木さんは悪性リンパ腫だったらしい。そのまま治療のために入院したが、直後に病態が急変して集中治療室へ送られたのだという。悪性リンパ腫はタチがよくないから、私も覚悟はしていたが、それはあまりにも急なことだった。(つづく)
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