「よし、今日は肉野菜炒めにしよう」
そう決めて、私はいつもの定食屋へ向かった。
ふだんの私は自炊派である。好きなものを好きなだけ食べられるからだ。もちろん経済的な理由も大きい。とはいっても外出の予定が立て込んでいると、家まで食べに帰る余裕がない。そんなときに寄るのが、これから行く店だ。
L字型のカウンターに8席、テーブル席が3つなので20人で満員だが、そんなに客が入っているのは見たことがない。いつ行っても空いている。
カウンターの向こうでは、ごま塩頭のオヤジさんが油まみれになって調理している。配膳係は奥さんだろうか。二人してみごとに愛想がない。それが私には妙に落ち着く。
「ニク野菜炒め、お願いネ~ッ」
今日はいちばん安い野菜炒めじゃない。なぜだか気分は肉野菜炒めなのである。「ニク」に力を入れて注文すると、私はいつもの席に座った。ここからはテレビがよく見える。
お、ニモさんだ。ちょうど、人気司会者ニモさんのワイドショーが始まったところだった。私は昔、他局でこの人の番組に関わったことがある。
当時の彼は大酒呑みで、毎回スタジオ中に酒くさい息をまき散らしていた。そんなニオイなんかテレビからは伝わらないから、視聴者には関係ない。あのニモさんが、今や健康情報の伝道師になっているのは皮肉な気もする。
「〇〇を食べれば、△□病に効くッ!」
彼が一言そういうだけで、たちまちその商品がスーパーの店頭から消えてしまうのだ。ニモさんの番組は、社会現象を巻き起こす存在にまでなっていた。
以前なら、テレビの健康情報といえば、白衣を着たお医者さんがまじめな顔をして説明するだけだった。しかし今では、健康の話題はグルメや旅と同列の扱いだ。それをニモさんが、さらに立派なエンターテイメントに仕上げたのである。
こういう傾向ってどうなんだろう。疑問に思わないでもない。でも今どきの視聴者は、健康の話は買い物情報とセットになってないとダメらしい。何かを買うことで健康になると信じているなら、私がなげいたって始まらない。
実はこの番組に、私の患者さんである耳鼻科の五木先生も出演したことがあった。鼻炎だか何かの話を、専門家として説明することになったらしい。
五木先生は耳鼻科の学会では立場のある人だ。その一方、気さくで少々目立ちたがり屋でもあったから、これまで何度もテレビに出演していた。
ところが今回は、いつものようにディレクターと打ち合わせしていると、「先生、〇〇を食べればかんたんに鼻炎が治るといってもらえませんか」と頼まれた。
先生としては、「そんなもんで治ってたら、オレら医者なんか要らんでしょう」といって、いったんは断ったらしい。
しかしテレビにはふしぎな魔力がある。ディレクターから、何度も何度も頼まれているうちに、さすがの先生も、まぁ〇〇なら体に悪いモノでもないし、と思い始めた。そうして結局、本番ではディレクターの指示通りのセリフを吐いてしまった。
あとはニモさんが、「奥さ~ん、聞きました~?」といって魔法の言葉をパパッとふりかけるだけで、身近な食品があっという間に鼻炎の特効薬に早変わりだ。やっぱりその日も、番組を見た人はわれ先にとスーパーに押し寄せたのだった。
定食屋でそんなことを思い出していたら、ふとひらめいた。そうだ!肉野菜炒めなんか食べている場合じゃない。ニモさんのこの手を使わなければッ。
私は再三、杉本さんからメールマガジンの文章がカタすぎるといわれていたのだ。そういわれても、医学情報を正確に伝えようとすると、どうしてもかたくなってしまう。
ましてテーマが「がんの前兆」なのだから、あまりふざけたことも書けないと思っていた。だが「がんの前兆」を伝えることで、読者の未来を明るくすることだってできるはずじゃないか。そこを強調してみよう。
早速、定食屋のテーブルにレポート用紙を広げると、これまで書いてきたメルマガの原稿を、ニモさん風のトーンに変えてみた。これならイケそうだ。
何度か書き直して清書してから、意気揚々と杉本さんに見せる。すると彼女も、「これなら」と大きくうなずいてくれた。
肉野菜炒めのおかげで、イヤ、ニモさんのおかげでメルマガの方向性が決まった。これでようやく創刊号の準備も完了だ。私はホッと胸をなでおろして、まだ見ぬ読者からの反響に期待するのだった。(つづく)
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