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やっとの思いで出したメールマガジンの第一号は、意外にも大好評だった。
「医者も知らないがんの前兆」と銘打っただけに、かなり否定的な反響も予想していたので、ちょっと拍子抜けした。それならそれでいい。この調子でどんどん原稿を書いて、編集の杉本さんにわたしていこう。
私はレポート用紙に向かいながら、これまでの施術で起きたさまざまなできごとを思い出していた。早いもので、患者さんの家に出張で施術を始めてから、もう6年になる。だがこんな生活にも終わりが近づいていた。
「そろそろ出張ではなく、治療院を構えてみてはどうでしょう」
杉本さんから、こんな提案を受けていたのである。彼女としては、今後メルマガの配信や本の出版をしていくにあたって、ベースとなる場所が必要だと感じているようだった。固定の店舗を構えることは、社会的な信用という意味合いもあるらしい。
たしかに、店舗をもたない商売というのは信用に欠けるだろう。昔の訪問販売みたいで印象がよろしくない。しかし信用を得たいと願っても、私にはその前の段階でムリだった。
インドから帰ってきて、友だちの家を転々として暮らすホームレスだったころの私は、安アパートを借りるのでさえ苦労した。今は住所こそあれど、しがない自営業者の私には、店舗を借りて信用を得るための、その社会的信用がないのだ。
そんな私のグチめいた話を聞き流すように、杉本さんは、「私の会社で何とかします」とだけいった。彼女は自分の会社をもっているから、もともとそのつもりだったようだ。「それなら」と私は全てをお任せすることにした。
実は杉本さんにいわれるまでもなかった。40も半ばを過ぎた私には、出張ばかりの日々が体力的にきつくなってきていたのだ。
出張の予約は患者さん次第なので、どうしても夜にかけての仕事になる。出張先が遠ければ、帰宅の時刻も遅くなる。深夜にSOSの電話が来て、あわててタクシーで出かけることもあった。こんな暮らしが、この先何年もつづけられるものではない。今がちょうど潮時なのかもしれなかった。
ところがいざ店舗を借りるにしても、これまでの患者さんたちに来てもらおうと思えば、不便な場所ではダメだろう。そうなると、候補に上がるのは家賃の高い都心に限られる。
そんな場所で、毎月家賃を払っていけるだろうか。不安な気持ちが広がり始めたころ、杉本さんからやっと電話が来た。
予算と立地がマッチしないだけでなく、整体と聞いただけで風俗扱いされて審査に落ちることもあった。そのせいで、もう3か月以上も部屋探しが難航していたのである。
だが今日の電話の声は、ふだんよりもさらに早口だ。これはきっといい話にちがいない。電話をギュッと強く耳に押し当てると、「渋谷駅のそばのビルにいい部屋があったから、見に来てください」といっている。
そこは、以前から彼女が懇意にしている不動産屋さんの紹介らしい。内見のとき部屋に入るなり、「ここはいいゼ~」といって彼が太鼓判を押してくれたそうだ。
電話をもらったその日のうちに、渋谷駅の向かいにあるビックカメラの前で杉本さんと待ち合わせた。彼女の案内でビルへ向かうと、1分も歩かないうちに「着きました」といわれた。私はここを何度も通ったはずなのに、こんな細いビルがあったとは気づいていなかった。
建物は古いが、エントランスの通路付近は清掃が行き届いている。エレベーターで4階に上がって、2つ並んだドアの右手の部屋である。なかは20平米ほどのワンルームになっていた。治療台と机を置くだけだから問題ないだろう。
部屋の窓からは、宮下公園の木々が見下ろせる。葉が茂るころになったら、それこそ「ここはいいゼ~」なのだと思う。この公園の向こうは山手線の渋谷駅だ。ホームに立っている人と目が合うほど近い。これだけ駅から近ければ患者さんも通いやすい。
この条件で破格の家賃なら、ひょっとして事故物件というヤツだろうか。イヤ、安ければ何でもイイ。即座に私はOKした。あとは杉本さんの会社で法人契約してもらう。私は彼女の会社の従業員という形になるらしいので、置屋の女将と芸妓の関係に似ていなくもない。
翌月の3月3日のおひなさまに開店と決めて、すぐに準備に入る。オープンまで間がなかったのでバタついたが、営業は思いのほか順調なすべり出しだった。ところがしばらくたつと、妙な霊こそ出ないものの、少々気になることが起こり始めた。
ここはいろいろな会社が入った、いわゆる雑居ビルである。どの会社の人も私と顔を合わせると、向こうから気軽にあいさつしてくれる。しかしどこもカタギの会社ではなさそうなのがわかってきたのだ。
うちの隣は、ヤミ金と呼ばれる貸金業者だった。そこからは頻繁に「金返せ~ッ、いつまで待たせるんじゃオラ~ッ」と怒鳴り声が聞こえてくる。会えば腰が低い人なのに、これがあの人の声なのかと思うほどのド迫力だ。薄い壁1枚へだてただけなので、患者さんがいるときだったらたまらない。
またお向かいの会社は、キャッチセールス専門らしい。その部屋には、駅前で声をかけられた人たちが、次から次へと吸い込まれていく。それはもう見事な腕前だった。下の階の自称「モデル事務所」にしても、カモにされる人の年齢がちょっと若いだけで同じことである。
こんなビルで営業していて、果たして社会的信用になるのだろうか。そんな疑問がよぎり始めたある日、私がエレベーターを降りると、ビルの入口の前に各局のテレビカメラがズラリと並んでいるではないか。
以前から、上のほうの階に霊感商法の会社があるのはうわさで聞いていた。それがとうとう摘発されたのだろう。そこまでは一瞬で察しがついたが、あまりの人数なので、私は反射的にカメラの列から顔をそむけてしまった。
するとそれを合図に、カメラが一斉にオンになって、顔を隠そうとした私に向けられた。レポーターたちも色めき立っている。彼らの握ったマイクが、束になって私の顔めがけて突き出された。これはイカン!
「ちがうちがう、ちがいますッ、私は霊感商法なんかじゃありません!」
そう心のなかで叫びながら必死にカメラの群れをかき分けると、追いすがるレポーターを振り切って、私は渋谷の雑踏のなかへと逃げこんだのだった。(つづく)
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