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「ネェ、腱鞘炎ってサ、手術して治った人、見たことないんだけど!」

今日の大久保先生はちょっと興奮気味だ。ドアを開けるなり、靴を脱ぐのももどかしそうにして、いきなり本題に入るのが先生のクセだ。いつものことなので私は慣れている。今日のテーマは「腱鞘炎(けんしょうえん)」なのだナ、と思って聞いていた。

先生は、都内の大病院の内科に勤めている女医さんだ。特に体調に問題がないときでも、定期的に来院されて、そのたびに勤務先でのできごとを教えてくれる。そのほとんどが、同僚の医師たちにも話せないこと、つまり医者の本音なのである。

先生は、患者さんの話をいつも親身になって聞いてあげる。そのため、他の科での治療への不満を耳にすることも多い。大きな病院ではあまり横のつながりがない分、他の科の様子はもっぱら患者さんから聞くことになるそうだ。

今回は、内科を受診した患者さんのなかに、外科で腱鞘炎の手術を受けてきた人がいたようだ。その人から話を聞いているうちに、先生は手術への疑問がつのってきたらしい。

たしかに彼女のいう通り、腱鞘炎が手術でよくなるとは思えない。私も今まで、病院で腱鞘炎の手術を受けた人を何人も診てきたが、うちにまでそういう患者さんが来るのは、その手術では治らなかったからなのだ。

この場合、私は患部である手首に触れることはない。腱鞘炎と診断されている人は首の骨がズレているので、そのズレた骨を定位置にもどすだけだ。そうすれば手首の痛みが消えて、腫れも引いていくのである。

「えっ!原因は首なの?」

私の説明を聞いて、おどろいたように先生は声を上げた。そこで私は、机の上にある解剖学の本を開いて、解剖図を見せながら説明をつづけた。

「ホラ、手首に向かう神経は、みんな首から出ていますよね」

医学の専門家相手に、医者でもない私が説明するのも恐縮だが、私は何も突飛なことをいっているわけではない。解剖図の通り施術しているだけなのだ。

「でも、手首そのものが腫れてるのに?」

先生はまだ納得がいかなくて聞き返す。

「実は」と、私は得意になって話をつづける。

「腱鞘炎だけじゃないんです。首の骨がズレるとネ、手首の他に指やひじ、肩なんかの関節にだって、痛みや腫れが出ることがあるんです」

ここまで聞いても、先生はまだ腑に落ちないようだ。彼女の医学知識とはあまりにもちがっているから、受け入れがたいと感じるのは当然だろう。

もちろん、首の骨に問題があって、腕全体が痛くなったり、しびれたりすることなら、医学上もよく知られている。しかし先生は、首の骨のせいで関節に症状が出るなんて、これまで聞いたことがなかったのだ。

「私もその辺のメカニズムはわからないんですけど、首の骨がズレると、腕全体に症状が出るパターンと、関節だけに出るパターンの2つがあるんです」

これは、私が発見した事実なのである。

「このパターンは腕だけじゃなくって、足も同じなんですヨ。ホラ、足の神経は腰から出ていますよね」

ここでまた私は、解剖図の該当ページを開いて説明する。

「たとえば腰痛の症状で、おしりから足先まで痛みやしびれが出ることがあると思うんです」

「それは坐骨神経痛のことね」

先生は「それなら知っている」という顔でうなずいている。

「そうです。その坐骨神経痛が出たときって、病院では必ず腰の骨のレントゲンを撮りますよね。でも同じ神経上なのに、ひざや足首なんかの関節に症状があるときは、症状のある関節部分だけしかレントゲンを撮らないんです。それって変じゃないですか?」

「あ、そういわれればそうね」

「実際、ひざや足首などの関節の症状でも、腰の骨のズレをもどせば痛みが消えます。ひざに溜まっていた水も引いていきます。これは珍しいことじゃないんです。

つまり、腕や足に現れる関節炎というのは、単なる実行犯のしわざで、その向こうに隠れている黒幕は、首や腰の骨のズレなんですよ」

ここまで聞いて、先生はハッとした。

「そうそう!前に、がんが腰椎に転移して、ひざに痛みが出た患者さんがいたんだけど、最初に受診した整形外科ではひざしか調べてなくて、がんの転移を見落としたって問題になってたわ」

そういうと先生は、「そうだったのね~なるほどね~」と何度もうなずきながら、これまでの話との整合性に気がついて、やっと納得してくれた。

「これはみんなにも教えてあげなくちゃ!」

先生は、同僚の医師たちに、私の発見を伝えようという使命感に目覚めたのか、ほほを紅潮させながら帰っていった。自分の体のことなんかそっちのけで、私の話に興味をもってくださるのがありがたい。先生は、私にはとても頼もしい存在だ。

ところが翌月、来院した大久保先生は、めずらしくションボリしている。この前の帰りぎわに宣言した通り、関節炎のメカニズムについて、知り合いの医師たちに伝えて回ったようだ。しかし結局だれ一人として、話に興味をもってくれる人がいなかったのである。

先生はひどく落胆している。だがこれまで、けっこうな数の医師たちに伝えてきた私にしたら、これは予想通りの結果だった。新発見が同時代の人に理解されにくいのは、歴史を見るまでもないが、医師から医師に伝えても、やっぱりむずかしいことなのだ。

しかしどうやったら、私の発見した内容を、必要な人のところへ届けることができるだろう。壁を突破する画期的な方法はないものか。背骨のズレの原因解明のほかにも、私の課題は山積みなのだった。(つづく)

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