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私は日ごろからよく歩く。

美術の仕事をしていたときは、荷物も多かったので、車での移動ばかりだった。だがインドに移住する前に、家財道具といっしょに車も手放した。だから今は歩くしかない。

必要があれば電車には乗るけれど、時間があるときはどこまでも歩く。渋谷から上野や高円寺あたりまで歩いていくこともある。歩くのが好きなわけではないが、街を見て回るのは好きだ。しっかり歩いた日はよく眠れるので体調もいい。

デメリットといえば靴の底が減るくらいだ。あとはメリットだらけである。しかも歩くことは、医学的に腰痛に対する治療効果が認められている、唯一の運動なのだ。だからこそ、腰痛で来院した患者さんたちにも、「よく歩いてください」とおすすめしているのである。

ところが、すなおに「ハイ」といって歩こうとする人がいない。これはふしぎだ。みな必ず、「自転車はどうですか?」「ジムの筋トレは?」「ヨガは?」と他のことばかりしたがる。どうも歩くことが嫌いな人が多いようだ。

だが歩くことなら、いつでもどこでもできるし道具もいらない。ましてタダである。なんだ?このタダというのがよくないのか?みんな、お金を使ってやることのほうが好きなのだろうか。私にはその感覚はわからない。

その点、知り合いの藤山くんはちがう。彼は歩くのが大好きだ。家から職場まで、山手線の駅5つ分ぐらい歩くのなんて朝飯前である。職場の往復だけじゃ足りなくなったのか、この間、とうとう四国八十八ヶ所まで踏破した。

ストレスの多い仕事なので、職場の同僚たちは酒に走る。しかし彼は酒が飲めないから、歩くと発散できるといっていた。四国巡礼がすんだと思ったら、今度は東海道五十三次も全て歩ききった。そして次は中仙道に挑戦するそうだ。

ところが街道を歩いていると、自動車が横を通るので、何かと危ない思いをすることも多いらしい。車の排ガスで空気も悪い。今の日本では、江戸時代みたいに安心して、歩いて街道を行き来などできないのだ。

「ボクは生まれる時代をまちがったんでしょうか」

そういって、藤山くんは日に焼けた顔を私に向けると、ちょっと悲し気に目を伏せた。

彼の話を聞いていてひらめいた。そんなに歩くのが楽しいなら、街道沿いに歩行者専用道路でもあれば、みんな安全に気持ちよく歩けるんじゃないか。

今は世界各地にサイクリングロードが整備されている。日本にだってその動きはあるそうだけど、昔の街道みたいな、歩行者のための長い道路はない。「弥次さん喜多さん」のように、東海道五十三次をノンビリ歩けたら、きっと楽しいにちがいない。

街道を歩くことが娯楽として認識されれば、歩く人が増える。歩く人が増えたら、腰痛患者だって減る。仕事のストレスだって発散できるし、みんな健康になるじゃないか。

「そしてもちろんタダだ!イエ~イッ」

そんな夢物語を、いつも来ている池田さんにも話してみた。彼は私より二回りほど年上だけど、仕事の合間を見つけては来院して、私の話をたいそう真剣に聞いてくれるのである。今日の話だって、「それは、おもしろいですね~~」としきりにうなずいてくれた。

私がそんな話をしたことさえ忘れたころ、その池田さんから電話がかかってきた。次の来院予約かと思ったら、例の歩行者専用道路のアイデアに、興味をもった人がいるそうだ。彼にくわしい話をしてほしいので、永田町の議員会館まで来てもらえないかと頼まれた。

どうやら、ある国会議員が私のアイデアを、彼の政策の目玉にしたいらしい。池田さんは大きな組織を構えていて、政治家たちとも親交が深いとは聞いていたが、私は意外な展開におどろいた。

これはひょっとしてチャンスかもしれない。これをきっかけに政界とご縁ができれば、私の発見した左起立筋の異常や背骨のズレのことを、広く知ってもらう足がかりになるんじゃないか。私のなかで勝手に期待がふくらんだ。

これはしっかりと準備して臨む必要があるだろう。そこで、日ごろから考えていたことを「健康増進」というテーマにからめて、「東海道五十三次歩行者専用道路」の企画書に盛り込んだ。

会合に指定された日、私は企画書を複数コピーして、製本までしたものをリュックに詰め込んだ。気分は「いざ永田町!」である。

地下鉄を降りてポクポク歩いていると、議員会館に近づくにつれて、黒塗りの高級車ばかりが私を追い抜いていく。

乗っているのは、ビシッとしたスーツにネクタイを締めた人ばかりである。私みたいにGジャンにスニーカーでは、場違いも甚だしい気がしてきた。入口で守衛さんにはジロリとにらまれたが、受付で議員さんの名前を出すと、スンナリと通してくれた。

指示された部屋に入ると、池田さんの顔が見えてホッとする。さすがに少し緊張していたようだ。メインの議員さんの他に4~5人の人がいて、歓談している。

私が入るとみな一斉に立ち上がり、ひとしきり名刺交換をすませて席に着く。私は名刺なんぞもっていなかったが、彼らの名刺には肩書がズラズラと書かれていて、私とは住む世界がちがうニオイがした。

彼らは、このプロジェクトを元にして、ゼネコンなどを動かすのを専門にしているのだと察しがついた。そして、もうすでにその議員さんの選出地盤で、歩行者専用道路を造る手はずになっているらしかった。

それでも一応、私は渾身の企画書を手渡すと、歩くことがどれだけ健康にいいかをみっちりと語っておいた。本音は別にあるにしても、彼らにだって建前の部分が必要だろうから、この話もいずれは役に立つはずだ。

「じゃ、先生、現地視察の日程については、秘書から連絡させますので、よろしくお願いします」

私を呼んだ国会議員氏はそういうと、私の手をガッチリと両手で握り込んで、ブン!と振った。

もうここまでくれば、このプロジェクトはほぼ決まりじゃないか。これはひょっとしたらひょっとするかも。私の頭のなかでは、その先の展開にまで妄想が広がって、帰り道の足取りは軽かった。

それから2、3日して、私はいつもの定食屋で、いつもの肉野菜炒めを食べていた。店のテレビでは、ちょうどお昼のニュースが始まったところである。見るともなしに見ていると、トップは国会議員の汚職事件だ。

「アッ、アレはッ!」

猛烈な数のフラッシュがたかれるなかを、渋い顔をして車に乗り込んでいくのは、先日会ったばかりのあの議員さんではないか!議員の汚職事件などめずらしくもないが、報道された内容からいって、これで彼の議員生命も終わりそうな勢いである。このタイミングでこんなことになるなんて、なんということだ。私の箸から、ポロリと肉が落ちた。

あれから何か月たっただろう。やっぱり彼の秘書からの連絡はない。議員さんを紹介してくれた池田さんも、彼については話せないのか、何もいってくれなかった。結局、歩行者専用道路の話は頓挫してしまったのだ。もちろん私の夢の構想だって、みごとに共倒れである。

「あぁ人生山あり谷あり」

それでも私は新たな突破口を探して、今日も歩きつづけるのであった。徒歩歩・・・。(つづく)

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