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渋谷駅のホームに駆け上がると、電車は今出たばかりだった。まあいい。山手線は間隔が短いから、すぐ次が来る。焦る必要はない。

ホームに立って息を整えていると、線路の向こうに貼ってあるポスターに目が止まった。そうか。上野の博物館でナスカ展が開催中なのか。テレビもないし、新聞も取ってないから知らなかった。

ポスターのすみには、つぼ型の土器の写真が載っている。赤茶色のつぼの表面は、レリーフ状の人の形になっていて、その顔を見た瞬間、私は息が止まった。

「こ、この顔ってもしや?」

鼻筋が極端に左に折れ曲がり、口角も左側が上がっている。それはもう、ものの見事に、「アシンメトリー現象」が表現されているのである。

これは適当にイメージして造ったものではない。明らかに、モデルの顔に似せて造られたのだ。そうでなければ、ここまで特徴をつかんだ似顔絵みたいな表現にはならない。それが私にはわかる。

当時、でき上がったばかりのこのつぼを見せられた人たちは、「おい、アイツにソックリじゃないか!」といって大笑いしたにちがいない。

それにしても二千年も前のつぼに、「アシンメトリー現象」が表現されているとはおどろきだ。以前、岡本太郎が縄文時代の火焔土器を見て、「あの時代にオレの作品をマネしたヤツがいる」といった話を思い出す。

地球の真裏の南米ペルーで、しかも大昔のナスカの時代に、私と同じ発見をした人がいたのだろうか。そう思うと感慨深い。これはぜひとも上野に行って、この陶工と語り合わねばならぬ。

翌日、勢い込んで上野の博物館に出かけた。だが平日にもかかわらず、館内は人でごった返している。これはどういうことだ。そんなにナスカは人気なのか。

「上野の人混みはアメ横だけでたくさんだッ」

声には出さずにブツブツ文句をいいながら、大勢の人をかき分けて前に進む。すると会場の中ほどに、お目当てのつぼが鎮座して私を待っていた。

このつぼはポスターに載るほどだから、今回の展示ではスター格である。そのはずなのに、みなチラッと一瞥しただけでサッサと通り過ぎていく。これ幸いと、私はすかさずつぼの真ん前に陣取って、じっくりと観察させてもらうことにした。

やはりつぼの実物を見ても、私がポスターを見て感じたことはまちがっていなかった。この顔は、陶工の技術不足のせいで、たまたまゆがんでしまったわけではない。彼は意図的に、顔の形を変形させているのである。これは私にとっては大発見だ。

つぼの前で考え込んでいると、次第に私の周りに人だかりができ始めた。さっきまでは私一人だったのに、今ではみなが「私の」つぼをしげしげと見つめている。

「アァうっとうしい。アメ横にでも行きやがれッ」

もちろん口には出さない。でも、私のところで流れが滞留するのも迷惑だろう。気を取り直して他の展示も見ることにした。

あのつぼから離れてみると、なんと他にも顔を変形させたつぼがある。それらもみな、鼻を左に曲げてあるではないか。これも同じ人をモデルにしたのだろうか。

展示ケースの脇にある小さな説明書きを読むと、それぞれの制作された時期は、全く別の時代だった。つまり鼻を左に曲げた表現は、時代を超えているのである。これまた大発見ではないか。

それじゃナスカでは何世代にもわたって、鼻が左に曲がった人がたくさんいたのだろうか。ひょっとしたら彼の地では、鼻は左に曲がっているのが当たり前だったのかもしれない。うーむ、ますますおもしろい。

さらに他の展示物を見ていくと、私の足が一点の頭蓋骨の前で止まった。これはトロフィーだ。トロフィーというのは、戦で敵の首を切り落としてミイラにしたものだ。ミイラとはいっても、もうほとんど骨だけの状態になっている。

その頭蓋骨は、あのコペルニクスやうちの骨格標本のジェームスくん同様、左半分が変形していた。これは決定打である。やっぱり古代ナスカには、「アシンメトリー現象」の顔をもつ人がいたのだ。

逆に、どっちを向いても「アシンメトリー現象」の人だらけだった可能性もある。だからこそ、当たり前のようにつぼにだってそのまま表現されているのだろう。

ナスカといえば、地上絵で有名なミステリーゾーンである。そこに新たなミステリーが加わったのだ。ひょっとしたらこれは、人類学的にも大発見かもしれない。

「アシンメトリー現象」はいつから人類に現れたのか。この問いの答えに向かって、これでまた一歩近づけた気がした。(つづく)

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