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北海道で暮らしている母から電話がきた。母からの電話は、いつもイイ話だったためしがない。今日もイヤな予感がして、しばらく着信音を鳴らしたまま、手が止まっていた。あきらめて電話に出ると、母の元気な声が聞こえてきた。

「あぁMちゃんかい、実はサ、お父ちゃんが肺がんみたいなのサ」

そうきたか。たしか父は今年80歳になる。年齢的に見れば、体のどこかにがんがあってもおかしくない。「がん」と聞いて、私はスッと冷静になった。

母の電話はとにかく情報量が多い。あれこれ省いてざっくりまとめると、父が市の無料健診を受けたら、肺にがんらしき影が写っていた。病院では、「がんの可能性が高いので、さらにくわしく調べましょう」といわれたそうだ。

もちろんそのまま父にも伝えてあるらしい。日ごろ淡々としている父だが、いきなり「がんだ」といわれたら、さすがにおだやかではいられないはずだ。これは本人と話をしたいところである。

だが父は、電話になるとふだん以上に話さない。電話口でだまりこんでしまうので、全く会話がつづかないのだ。たいていの用事なら、母から伝えてもらえばすむけれど、がんかもしれないとなると、本人の表情を見ながら話をしたい。

電話じゃダメだ。仕方がない。ひっきりなしにしゃべりつづけている母に向かって、「うん。じゃ、飛行機が取れたら週末に帰るから」といって電話を切った。

実家に着くと、父はいつもの通り、居間のテレビの前で横になって新聞を読んでいた。顔色は悪くない。父は私が帰ってきたのがわかると、わずかにあごを上げて、口を「お」の形にした。これは「お、帰ったか」とか「お帰り」の「お」である。これもいつもの通りだった。

「がんだって?」

私が重くもなく軽くもない感じで声をかけると、父は新聞に目を落として、「あぁ」とだけ答えた。まことに素っ気ない。これでは電話でなくても話がつづかない。

父と息子というのは、どうしてこうも口数が少なくなるものか。これはどこの家でもそうだろうか。その分、うちの母はよくしゃべる。今日だって、だまっている父の横で、「病院じゃ、くわしく調べるために細胞を取るっていってたわよ」と聞いた話をくり返す。

ところがあれもこれもと話しているうちに、いつしか父に対する不満へと話が飛んでいき、「ホントにもぉ、お父ちゃんたらッ」と一人でエキサイトしている。これもいつもの通りだった。

元来、父は病院ギライの医者ギライである。今回の健診にしても、病院大好きの母から、「行け、行け」とうるさくいわれて、渋々行ってきたのだ。でももう十分義務は果たしたと思っているのだろう。「オレもうイイヨ、これで」といって、精密検査を拒んでいる。

父はこれまで兄弟や親戚など、身近で肺がんの治療を受けた人たちを見てきている。みんな治療が始まるやいなや、ガクッと体力が落ちて、みるみるうちに亡くなっていった。

がんばって治療したって、どうせあんな風に死ぬんなら、治療なんか何もしなくていい。そう考えたのだろう。父の「もうこれでいい」とは、「もう死ぬ覚悟は決まっているから、このままがいい」という意味なのだ。

しかし母は、「そんなこといったって、世話すんのは私なんだから」と食い下がる。こうなると父は形勢不利である。私も父の判断に賛成だけれど、母にはかなわない。

「兄ちゃんは何ていってるの?」

札幌にいる兄は医者なので、何といったのか気になる。ところが母の話では、「肺がんは治らないから、思う通りにしたら」といったそうだ。

これだけ聞いたら言葉が足りない気がするが、兄の場合はこれもいつものことだった。家族としてはどうであれ、医者としての兄の意見は、至極真っ当だと思う。

さてどうしたものか。

とりあえず、私は横になっている父を仰向けにして、肺のあたりを調べてみた。たしかに左胸には少し凹みがあって、リンパが微妙に腫れている。これは明らかに肺がん患者のパターンだ。

これがわかった時点で、「誤診であってくれればいいのに」という私のわずかな望みも消えた。だが肺がんだからといって、すぐに死ぬわけではない。今の状態からすると、だまっていても半年や1年ぐらいはひどい症状も出ないだろう。そのあたりで逝くなら、男の寿命としては悪くない。

しかしもし精密検査を受けて肺がんだと断定されたら、病院としては何もしないわけにはいかない。効果があろうがなかろうが、何らかのがん治療を始めることになる。

もちろん肺がんと決まれば、母もだまっているわけがない。そうなると、父は母のいうことに従わざるを得なくなるから、治療に突入するしかない。これはなかなか悩ましい問題だ。

それにしても、がんというのは妙な病気である。それまで何の症状もなく元気に暮らしていた人が、たまたま受けた検査で「がんです」と診断される。すると一挙に重病人へと早変わりしてしまうのだ。

身に覚えのない罪で捕まったと思ったら、いきなり死刑執行日が宣告されるみたいなものだ。当人にとってはあまりに理不尽な話ではないか。今の父の心境にしても似たようなものかもしれない。

だが、父は与えられた運命をそのまま受け入れるつもりらしい。本人にその覚悟ができているなら、がんに対してだって「何もしない」という選択があってもいいはずだ。私は父の背中を見ながら、そんなことを考えていた。(つづく)

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