小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:がん

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小説『ザ・民間療法』挿し絵086
この仕事を始めたころは、確かリラクゼーションを目的とした施術だったはずだ。それがいつしか、がんや難病といった、たいへんな症状の患者さんばかりがやってくるようになっていた。

民間療法家にすぎない私のところに、そんな重病の人が押し寄せるのは、それだけ世の中に病人が増えたのか。それとも病院で治らない病気が増えたのか。はたまたその両方だろうか。

先日も、子宮頸がんのときに施術していた京子さんから、むずかしい依頼があった。彼女が以前勤めていた歯科クリニックで私のことを話したら、院長の山田先生から、ぜひ友人を診てもらいたいと頼まれたのだ。

その田口恵子さんは44歳。京子さんと同じ子宮頸がんである。しかし京子さんとちがって、田口さんはすでに何回も手術をし、さらに抗がん剤に、放射線までかけていた。病院でできるかぎり手を尽くしても治り切らなかったので、今は自宅で療養中だ。いわゆる終末期なのである。

「それはさすがにお受けできそうにないナ」。そう思いながら京子さんの話を聞いていた。ところがどうしたことか、彼女は私が施術を引き受けるのが当然だと思い込んでいる。しかも田口さんは埼玉のはずれにお住まいなので、今回はご主人の運転で、都内の山田先生の自宅に連れてくる手はずにまでなっていた。

そこまで聞いた私は「その方はちょっと・・・」とお断りしかけたが、京子さんは私の反応など全く意に介さない。それが善意からなのはわかるが、「どうしてそこまで?」と思うほどの勢いで押してくる。結局、彼女の勢いに負けた私は、山田先生のお宅で田口さんに会うことになってしまった。

世田谷にある山田先生の家は、かろうじて私のアパートからは歩いて行ける距離にあった。彼女は私とほぼ同い年のはずだが、さすが歯科医だけあって立派な邸宅をかまえておられる。

その立派なお宅の、これまた立派な調度品に囲まれた応接室に通されると、みなさんすでにおそろいだ。私への期待が伝わってきて腰が引ける。とはいえ、初めは施術をお受けするのは無理だと思っていた私も、今は何か少しでもお役に立てるなら、と思い始めていた。懲りない私である。

ところが実際に田口さんにお会いしてみると、私のなかでスッとあきらめが広がった。応接室のソファに横たわっている彼女は、あまりに痛々しくて見る影もない。

その姿は、インドでご一緒して、帰国後すぐに胃がんで亡くなったヒロコさん(第27話)の最期のころに似ていた。すっかり体力がなくなっていて、この状態では今さら何をやっても助からないだろう。それがはっきりと見てとれた。

それなのに田口さんのご主人は、「毎回ここまで連れてくるから診てほしい」というし、山田先生も、古くからの友人である田口さんのためなら、と自宅の提供を承諾している。さらに田口さん本人も、「もう何も頼るものがないので、お願いします」と、弱々しい声ですがってくる。

だが残酷なようでも、この段階ではとうてい施術などお受けすべきではない。これまでの経験で、私にはそれがわかり切っていた。ところが田口さんご夫妻ばかりか京子さんと山田先生に加えて、先生のお嬢さん二人までが、そろって私に頭を下げつづけるのである。

これにはまいった。もう天を仰ぐような気持ちで、「では少しだけ体をチェックしてみましょうか」とふりしぼるようにいって、その場の圧力から逃れるのが精一杯だった。

それまで横になっていた田口さんに、起き上がって椅子に腰かけてもらう。ご主人が支えていなければ、姿勢を保つことすらむずかしそうだ。それほど衰弱しきっているのに、よくぞここまでたどりつけたものだ。移動だけでもかなりの負担だったろう。

背中を見ると、やはり左の起立筋が異様に盛り上がっている。だからといって、今の彼女に刺激を加えることなどできるはずもない。しかも彼女の体には、子宮頸がんの手術の傷痕だけでなく、カテーテルの管まで設置してあった。

これでは仮に施術するにしても、触れられるところがほとんどない。文字通り手の施しようがないのだ。この状態で、私に何ができるというのか。

私が押し黙ったまま断りの言葉を探しているのがわかったのか、田口さんは再度「何も頼れなくて・・・」と消え入りそうな声で懇願してくる。

するとふと私の耳元に、肺がんで亡くなった芳子さんの声がよみがえった。彼女は病院のベッドの上で苦しさのあまり、私に向かって「先生、タスケテー」と叫んだのだ。あのときの私は彼女に何一つしてあげられなかった。その悔しさがこみ上げてきて私の胸を刺す。

今の田口さんにも、私はどうしてあげようもない。助けてあげたくても、どうにもできないこの苦しさを、何と表現したらいいのだろう。自分でも自分の顔色がすっかり変わっているのがわかる。

助けを求めて京子さんに目をやると、彼女は相変わらず、私が田口さんを引き受けるものと信じ切って見つめ返してくる。京子さんだけではない。その場にいる6人の12個の目玉がまっすぐ私に向けられて、私がうなずくのを待っている。

ああ、これではどこにも逃げ場がない。どうしよう。だれか助けて!この声にならない心の声が、あの芳子さんの叫びと重なって、ただ私の耳のなかだけでむなしくこだましているのだった。(つづく)


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*小説『ザ・民間療法』全目次を見る 小説『ザ・民間療法』挿し絵079
テレビ局でプロデューサーをしている河野くんから、「日本に帰ってきたヨ~」と連絡があった。彼は私が特殊美術の仕事をしているころからの仲間で、今でもわりと頻繁に行き来している仲良しである。

彼は番組のロケで、しばらくの間、東南アジアに行っていたらしい。向こうで買ったお土産を渡したいから、久しぶりに食事でもどうかというお誘いだ。

河野くんにはテレビの仕事だけでなく、私がインドから帰国してホームレスだったころにも、えらくお世話になった。頼めばいつでも気持ちよく家に泊めてくれたし、やせ細った私を心配した奥さんは、心尽くしの手料理でもてなしてくれた。いわば大恩人なのである。

「あのころは本当にお世話になったもんナ~」。そんなことを思い出しながら、彼の家に行って呼び鈴を押すと、聞き慣れた音とともに、いつものように河野くんが玄関ドアを開ける。するとあいさつもそこそこに、「いや~死ぬとこだったヨ~」とロケのたいへんさを勢いよく語り始めた。

ロケがたいへんなのは毎度のことだけど、きつかったのは撮影スケジュールがタイトだったからだけではない。ロケで借りた農家の納屋で、あわただしく撮影準備をしていた彼は、棚の上に置いてあった農薬を、誤って頭からかぶってしまったのだ。

あわてて全身ザブザブ水洗いして、病院でも処置してもらったので、その場は無事にすんだ。ところがそれは有機リン系殺虫剤と呼ばれる農薬で、皮膚からも直接体内に吸収されてしまう。場合によっては死に至ることもあるという、たいへん危険な毒物なのである。

その農薬の名前は私にも聞き覚えがあった。私が子供の時分には、田舎の農家ではみんなそれを使っていた。その農薬を飲んで自殺する人がよくいたので、子供心にもあれは猛毒なのだと刷り込まれていた。

それほど危険なモノだから、日本ではもうあまり使っていないはずだが、ロケ地の東南アジアの国では、まだふつうに使われているのだろうか。

河野くんは人一倍働き者で、もともとはかなり健康なタイプである。本当に彼が無事でよかったと思いながらも、仕事柄、「もしかして」という不安が頭をもたげてくる。そこで急遽、体の状態をチェックさせてもらうことにした。

するとどうだろう。左の起立筋が異様に盛り上がっているではないか。前はこんな体ではなかったはずだ。しかもあれほど柔軟だった筋肉が、パーンと張って板のように硬い。以前の河野くんとは、全く別人の体になっているのである。

この急激な変化は、その農薬のせいなのだろうか。そこですぐに須藤さんのことを思い出した。須藤さんも左の起立筋が異常に盛り上がっていて、筋肉が硬い。彼女は毒を盛られて、その後10年以上たってから大腸がんが見つかったのだ。

ひょっとして何かの毒にさらされると、全身の筋肉がガチガチになって、刺激に対して反応がにぶくなるのだろうか。しかも起立筋に見られるように、この異常は体の左側に顕著に現れるものらしい。初めて森本さんの体でこの現象を発見して以来、会う人会う人みな左半身に異常が現れていたのである。

また、多分、一度この異常が現れると、自然に元の体にもどることはない。そのあげく、がんになってしまうのかもしれない。私も自分の体を調べてみたら、極端ではないものの、やはり左半身に異常があった。今は何も症状がなくても、この状態では安心できない。

いったい世の中には、どれだけの人が左の起立筋に異常を抱えているだろう。この異常を発見してからというもの、ずっと医学書で調べつづけているが、それらしい記述に出会ったことはない。もしかして医学界では、すでに常識以前の常識だから、あえて取り上げないのだろうか。まだまだ調査が必要だ。

河野くん本人にも、体が異常になっていることを伝え、私がこの現象を見つけてからの一連のできごとを、順番に説明していった。すると「将来がんになるかも」といったあたりで、かなり不安にさせてしまったようで、彼の表情が急に暗くなった。

これは失敗だった。私としては一般的な傾向としての話をしていたつもりでも、聞いた人は「自分ががんになる」と受け取ってしまうのだ。「とりあえず今は何も起きていないのだから、これからおいおい体を刺激して、体質の改善をめざそう」。あわててそういったら、やっと河野くんも少しは安心してくれた。

やっぱり私が軽率すぎたのだ。がんの話なんか、みだりに口にすべきではなかった。現象の発見の話とはいえ、がんには死病のイメージが強いのだから、人に伝えるときにはよほど慎重にならなければいけない。そう肝に銘じたのだった。(つづく)


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075
子宮頸がんの京子さんの施術を始めて、3週間が過ぎた。家を訪れるたびに、彼女は元気になっている気がする。私を迎えてくれる表情にも、生気が増してすこぶる調子がよさそうだ。

以前の体の硬さが、もう気にならないほどやわらかくなっているし、あれだけポンと張っていたおなかもへこんでいる。さらに下腹部にあるあのリンパの腫れのザラつきも、かなり減ってきているようだった。

これはがんにも良い影響が出ているのではないか。内心、そんな期待が芽生えていた。言葉にはしなくても、京子さんも同じ気持ちのようだ。来週は手術前の最終検査の予定である。それまでの間にやれるだけのことはやってみよう。二人とも施術に力が入る。

そしていよいよ明日が検査という日、仕上げの施術が終わると、私のなかでは一つのことをやり遂げた気がしていた。初めのころは、あれほど私の指をはじき返していた左の起立筋も、グッとやわらかくなっている。下腹部のリンパの腫れだって、今日はもうほぼ手に当たらなくなっていた。

これでがんも消えていたらいいのだけど、もし消えていなかったとしても、これだけ体調がよければ手術も大丈夫だろう。

いよいよ検査結果の発表の日になった。私は他の患者さんの施術をしながら、京子さんからの電話を待っていた。期待と不安が入り混じった感覚は、どこか合格発表を待つ受験生のようで落ち着かない。

これじゃイカン。そう思って施術に集中していると、いきなり電話が鳴った。失礼して部屋の外で電話を開く。そこには「川上京子様(近野さん紹介)」と表示されている。

京子さんだ。私は大きく息を吐くと、一言も聞き漏らすまいとして電話を強く耳に押し当てた。すぐさま京子さんの声が響き渡る。「がんがなくなった~っ!」と叫んでいる。私が答えるまで、何度も何度も叫んでいる。私も「ヤッターッ」と叫んだが、声にはなっていなかった。目がくもる。鼻の奥も痛い。

京子さんの話では、検査画像を見た若い担当医は、この結果にどうにも納得がいかなかったようだ。やたらと首をかしげた彼の頭の回りには、「???」とはてなマークがたくさん飛んでいるのまで見えたという。

そりゃそうだ。1か月前にはたしかにあったがんが、いきなり消えているのだからふしぎに思うのは当たり前だろう。風景写真に写っていた山が、1か月後に同じ場所で撮ったら消えていたみたいなものだ。そんなことはありえない。

他の患者の検査画像と取りちがえたのか。はたまたピンボケだったのか。どちらにしても、検査画像にはがんが写っていないし、腫瘍マーカーの数値にも問題がないのだから、京子さんは手術の必要がなくなった。

もちろん本人は大喜びである。だがその数倍、私のほうがうれしいんじゃないかと思うほどうれしかった。しかし喜びが大きければ大きいほど、なぜか不安な気持ちになるのが私の性分だ。

何かの手ちがいで、がんはそのまま残っているなんてことはないだろうか。誤診がないとはいえないので、京子さんと相談して、別の病院でもがんの検査を受けることにした。結局、その病院でもがんは見つからなかったから、これでやっと安心できる。

私にしてみれば、がんが消えたのは当然の結果だという思いもあった。それと同時に、まさかそんなことがあるはずがないと、冷静に判断している自分もいた。本当に私の施術でがんが消えたのか。常識的に考えたらありえないことだろう。

そこでこの1か月の施術の一つ一つと、彼女の体の変化を思い返してみる。そのときの私の手の感触は、はっきりと記憶している。私の施術によって、京子さんの体が劇的に変化したのはたしかだ。そして左の起立筋の盛り上がりが、体調の変化と大きく連動していることもまちがいない。

そう思うと、また一つ気になることが浮かんできた。ひょっとして、今まで施術してきた患者さんのなかにも、京子さんや森本さんのように、左の起立筋がひどく盛り上がっている人はいなかっただろうか。

すると真っ先に思い浮かんだのが、須藤さんの姿だった。(つづく)


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074
2回の施術を終えてみて、やっと京子さんの体の感じがつかめてきたようだ。そうはいっても、「あれから大丈夫だったかナ」とその後の調子が気にかかる。

京子さんだけではない。この不安は、私が施術したどの人に対しても起きてくる。こうも心配性だと、つくづく私はこの仕事に向いていないと思う。

お医者さんなどは、あれだけ毎日のように患者の生死に関わっていて、よく不安に押しつぶされないものだ。その重圧のせいで医者を辞める人などいないとしたら、それが適性ということだろうか。

さて今日は3度目の施術である。私には計画があった。これまでは刺激するのを、あえて背中の側だけにとどめていた。しかし今日は、あのポンと張ったおなかも刺激してみようと思っている。もちろん、子宮頸がんのある下腹部に近いところは避けて、影響の少なそうなみぞおちのあたりからやってみよう。

まずはこれまで通り、背中を刺激する。全身痛みが出やすくなっているようなので、つづけざまにおなかも刺激してみる。やはり指先で軽く刺激しただけで、痛みが出てくれた。これでまた一歩前進である。

ところが刺激する方向を左・右・上・下と変えてみると、それぞれ痛みの出方がちがうようだ。特に、刺激する方向を下腹部に向けると、痛みがビーンと走っていって、がんの部分にじかに響くらしい。

患部には直接触れていないのだから、これは興味深い現象だ。本人に聞いてみると、特別負担でもなさそうである。しかしこれが京子さんの体にとって、いいのか悪いのか、その判断がつかない。

どうしたものかとためらっていると、彼女は「やっちゃって!」と気楽にいう。そんなこといわれても何かあったら困るので、さらに用心して、他の部分よりももっと力を弱めて刺激をつづけてみた。

一般的な施術方法では、自分の体重を腕に預けた状態で、体重移動によって相手に加える力の強弱を調整する。だが私の施術では、指先だけを使って力をコントロールしている。これは自分の体重を利用できない分、やる側は数段、疲れる。壁によりかかるよりも、どこにも触れずに立っているほうが疲れるようなものだ。

ところが私が使う力が強かろうが弱かろうが、敏感になっている体には、私が渾身の力でグイグイ押しているように感じられる。しかしすでにこの痛みに慣れている京子さんは、安心して寝息を立て始めた。

3度目の施術が終わると、最初のころはあれほど硬かった体が、もうだいぶやわらかくなった気がする。そしてその3日後、4度目の施術のときには、すでに大きな変化が訪れていたのである。

前回は、刺激する範囲を背中側だけでなく、子宮頸がんのあるおなかの側にまで広げてみたので、私はその結果が気になっていた。

話を聞くと、あのあと京子さんには、私が施術するようになってから初めての生理が来ていた。いつもなら痛みで七転八倒するのに、今回は全然痛くない。そのうえ、来たと思ったらあっという間に終わってしまったそうだ。それはあの森本さんのときと同じ感想だった。

また京子さんは便秘がひどかったようだが、最近は排便の調子もいいらしい。これだけいいことずくめなら、この刺激のやり方はまちがっていないのだろう。少し勇気がわいてくる。

私としては、このままついでにがんも消えてくれればいいのに、と欲が出る。だがなかなかそうはいかないようで、彼女のおなかには、まだ例の硬いイクラが並んだようなザラつきがある。きっとこれは、がんのせいでリンパが腫れている感触なのだろう。

それにしても、この鎧(よろい)を着たような体の異常はどういうことなのだ。医学的には知られていないようで、医学書で調べてもどこにも出ていない。

医療にたずさわっている人に聞いて回っても、だれ一人として「あ、それはネ」というような反応がない。何のことをいっているのかわからないから、みんなキョトンとしている。

私がいうこの鎧とは、本来なら外からの刺激で痛みを感じるはずの神経が、にぶくなっていて全く痛くない状態のことだ。そのうえ、右よりも左側がずっとにぶくなっている。そしていちばんの特徴は、左の起立筋がグッと盛り上がっていることである。

なぜこんな異常なことが起きるのか。その原因さえわかれば、彼女たちにもこんな痛い思いをさせずに、楽に解消する方法も見つかるだろう。いずれにせよ、この現象が体の不調に深く関係していることだけは、まちがいなさそうだ。(つづく)


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069
近野さんから、子宮頸がんで手術を1か月後に控えた京子さんを紹介された。もちろんがんが私の手に負えるわけではないから、一旦は施術をお断りした。しかし「せめて一度診るだけ」と懇願されて、仕方なく彼女の家を訪れたのだ。

そこで彼女の背中を見るなり、森本さんや芳子さんと同じように、左腰の上が盛り上がっているのが目に入った。肺がんで亡くなった芳子さんほどひどくはないが、森本さんよりは大きなしこりである。これは京子さんに会う前からうっすらと予想はしていたが、それが的中してしまった。

森本さんの左腰のしこりと格闘していたころ、調べてみたら、この部分の筋肉は脊柱起立筋(せきちゅうきりつきん)と呼ぶらしい。

起立筋はその字の通り、脊柱(背骨)を立たせておくための筋肉で、背骨に沿って左右に分かれてついている。だがそんな役割の筋肉が、なぜ左側だけこわばってしまうのだろうか。

左といえば、昔からマイナスのイメージがあるようで、どこか不気味な感じもする。実際、彼女たちの背中で異様に盛り上がっている左の起立筋を見ると、コイツが何か悪さをしているのではないかと思えてくる。

ここが盛り上がっていると体調が悪い。盛り上がりがなくなると調子がよい。それなら、これは一種の体調のバロメーターになるかもしれない。では起立筋が全く左右対称なら、その人は健康体だといえるのだろうか。

ふと興味がわいたので、京子さんの左の起立筋に触れてみた。すると森本さんと同じで、私の指をはじき返すような感触である。

一瞬、森本さんのときのように、ちょっと刺激を加えてみたい衝動に駆られた。だが相手は手術を控えたがん患者なのを思い出して、その気持ちをグッと抑える。

背中の確認が終わったところで、今度は仰向けになってもらう。おなかに目をやると、やけに張っているのが気になる。京子さんはこんなにやせているのに、このおなかの張り方はいかにも不自然だ。

おなかというのは、たとえ太ってぜい肉がついていても、仰向けになったら重力である程度はへこむものである。それなのに彼女のおなかは張ったままだ。しかもみぞおちのあたりから、急カーブを描いて大きく盛り上がっているから、まるで妊婦さんみたいなのだ。

まさかとは思ったが、女性を施術する前には妊娠の確認は必須である。一応、「妊娠はしてないよね」とたしかめると、「まさか!そんなことあるはずないわ~」とあっけらかんと笑っている。

そこで軽くおなかに触れてみると、皮膚の下に妙なザラつきがあった。これはいったい何だろう。おなか全体に、小粒の硬いイクラを敷きつめたようになっているのだ。

しかもそのザラつきは、子宮頸がんがあると思われる下腹部を中心として、同心円状に広がっている。さらにそのイクラのようなツブツブは、中心部に行くにしたがって密度が高くなっている。まるでおなかのなかに、何か別の邪悪な生き物が巣食っているような印象だ。

まちがいない。彼女のおなかのなかでは、今とんでもなく異常なことが起きているのだ。指先から伝わってくる感触に、私は急に寒気がしてきて手を離した。(つづく)



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