小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:がん患者

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小説『ザ・民間療法』挿し絵096
荒井さんの施術のために、新宿のクリニックに通い始めて早くも半年が過ぎようとしていた。最初のころは、女性にしてはあまりにも筋肉が硬くこわばっていた。それが今ではすっかりやわらかくなって、ポーンと張っていたおなかもペシャンコにへこんだ。

本人も、回を重ねるごとに体調がメキメキとよくなっているというし、以前の激しい疲れやすさがすっかりなくなって、足取りも軽い。

その影響で精神的にも安定しているのだろう。表情がグッと明るくなった。声の張りも全くちがう。半年間、荒井さんにつきそってきた娘さんも、その変化を十分に感じ取っていた。

二人して新宿まで来るのも、楽しくて仕方がない様子だ。施術の帰りに、パフェを食べに行こうとか、今度はあっちの店にも寄ってみようと話している。その微笑ましい姿は、見ているこちらまでうれしくなるほどだった。これでがんさえ消えてくれれば文句がない。

そういえば荒井さんは、私が施術を始めてから一度も検査を受けていないらしい。体調もよくなったことだし、試しに一度病院に行って、検査を受けてみたらどうかとすすめてみた。

体調がいいから検査しろというのも妙な話だが、施術している私としては、彼女のがんが今どの程度なのかを知っておきたかったのだ。もし他に転移でもしていたら、触れられないところが増えてしまうのも気にかかる。

しかし病院と聞くと、それまで明るかった荒井さんの表情が、一瞬にしてくもった。今はせっかく元気で気分もいいのに、もし検査の結果、がんがひどくなっていると聞かされたら、希望を失ってしまう。彼女が尻込みする気持ちは、私にも痛いほどよくわかる。

ところがそんな不安など笑い飛ばすように、娘さんが明るい声で「大丈夫よ~」とすすめてくれた。その娘さんの声援に支えられて、荒井さんは意を決して病院で検査を受けることにした。

半年前に、「もうできることはない」といわれたあの病院である。半年も音沙汰がなかったので、荒井さんはとうに亡くなっていると思っていたのだろう。主治医は元気になっている彼女の来院に、わずかに驚きの表情を見せた。だが、手慣れた様子で再検査の指示を出した。

翌々週、ドキドキしながら迎えた結果発表の日。主治医の予想に反して、残っていたはずのがんは大きくなっているどころか、影も形も見つからなかったのである。彼はこの結果に首をかしげ、釈然としない顔つきのまま、「これからも検査は欠かさないように」とだけ告げて診察は終わった。

医師が不審に思うのも無理はない。彼女の子宮頸がんは、確かに骨盤底にまで広がっていたのだ。初期でもないあれほどのがんが、そう簡単に消えるわけがない。検査と治療をくり返していたのだから、あれががんでなかったはずもないだろう。そうなると、本当にこの半年の間にがんが消えてしまったのだ。

荒井さんは、この結果を真っ先に私に知らせてくれた。電話の声が、いつもより何オクターブも高くなっている。今にも泣き出しそうな勢いで、最後のほうの言葉はよく聞き取れなかった。半年前は、もう助からないと思っていたので、よほどうれしかったのだろう。私もどんなに安心したかわからない。

喜びというのは、その場で爆発するタイプと、あとからジワジワくる人に分かれる。今回の荒井さんは爆発タイプだが、私は後者なのだろう。電話を切ってからしばらくの間、頭のなかが白くなっていた。ゆっくりと湧き上がってくる喜びをかみしめながらも、なぜ荒井さんのがんが治ったのかを冷静に考えてみた。

ふつうに考えたら、最後に受けた放射線治療の効果だったことになる。そうすると、私が半年前に施術を始めたときには、すでにがんが消えていたのだろうか。しかし放射線の効果がなかったから、医師からは「もう手の施しようがない」と宣告されたのだ。

あのころの彼女の体を思い出してみても、とてもがんのない健康な体だったとは考えられない。これまで診てきたがんの患者たちと、非常によく似た体をしていたのである。それに比べて今の荒井さんは、全く別人になっている。

がん患者の体というと、いつも私の頭には隔靴掻痒(かっかそうよう)という言葉が浮かぶ。足のかゆいところを靴の上からかいても、かゆみに届かないことから、物事の核心に触れられないもどかしさの例えとして使われる言葉である。

以前の荒井さんの体は、まさにそんな状態だった。彼女は靴どころか、全身に硬いよろいをまとっていたから、どんなにかいても薬を塗ってもかゆみには効果がない。かゆみを消すには、まずそのよろいを脱いでもらう必要があった。この半年もの間、私がやってきた施術はそのためのものだったのだ。

やはり荒井さんのがんが消えたのは、放射線治療のせいだったとは考えにくい。もし放射線で完全にがんが消えていたのなら、半年前にはすでによろいを着ていなかったはずである。

だからといって、私の施術でがんが消えたと考えるのは早計かもしれない。しかしこの結果を見れば、あの硬いよろいとがんとは、何らかの関係があることだけはまちがいなかった。

仮にそうなら、何も私ごときが一人で悪戦苦闘しなくてもすむ。よろいを脱がせる薬をだれかが開発してくれさえすれば、それががんの特効薬になる。そうなったら、世界中の人が救われるじゃないか。

ところが世の中には、これだけ大勢の人がよろいを着て暮らしているのに、まだだれもそのことに気づいていない。あちこちでてんでんばらばらにがんの研究をして、ときには華々しい治療法が発表されては消えていく。だがそんな方法では、それこそ隔靴掻痒だ。

この状況を何とか打破できないものだろうか。あれこれと思いを巡らすうち、強い焦りとともに、また私のなかに新たな妄想が広がってくるのだった。(つづく)


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*小説『ザ・民間療法』全目次を見る 077
相手の体に触れる以上、施術には必ずリスクが伴うものである。だからこそ、患者さんとの信頼関係がなければ、この仕事は成り立たない。まして須藤さんはがん患者なのだ。

いくら慣れているとはいえ、今の彼女の状態では施術によって何が起こるかわからない。トラブルがあっても、医者でもない私には責任のとりようがない。そうなると、がん患者への施術を仕事としてやるわけにはいかない。

そこで京子さんのときと同じように、須藤さんにも無料で施術させてもらうことにした。ただし日程は私の都合に合わせてもらう。もともと彼女は職場兼用の自宅で、昼夜に関係なく仕事をしているから、それでかまわないといってくれた。

彼女の会社は、私のアパートからもそれほど遠くないので通いやすい。私としては、彼女の手術までの限られた日数のなかで、できるだけ施術の回数を増やしたいから、これも都合がよかった。

そこまで確認してから、改めて須藤さんの施術に入る。今までのようなリラクゼーションが主体ではない。これからは1回1回が命がけの真剣勝負である。

まずは盛り上がった左の起立筋の周辺から刺激してみる。ほどなくして須藤さんは痛みで体をよじり始めた。痛みが出てくれさえすれば、一歩前進だ。ところが彼女は痛みにすこぶる弱いので、そのまま攻め込むわけにはいかなかった。

痛みの種類にもよるが、人には痛みに強い人と弱い人がいる。私などは注射の痛みにはすこぶる弱い。だがそれ以外の痛みにはかなり強いほうだと思う。

もちろん須藤さんには、今からやるのはごくソフトな刺激であること、それが途中からいきなり強い痛みに変化すること、刺激によって痛みが出るのは体には良いことなのだと、前もって説明しておいた。

しかし今まで感じたことのない痛みとなると、不安にもなるだろう。彼女の表情を見ながら、なおさら力を弱めて刺激していく。それでも彼女は、私が渾身の力でグイグイ押していると感じたようだった。

背中の側でやっていることなので、本人には私の手が見えない。見えないから感覚だけで判断して、これまでの私の施術とは、あまりにちがうことにとまどっているのだろう。

この変化を受け入れられなければ、ちょっとしたはずみに信頼関係に亀裂が生じてしまう。これを乗り越えられるかどうかが、この施術のポイントでもある。須藤さんにかけられる時間は限られているのに、信頼関係がないと攻めるに攻められない。そのもどかしさを抱えたまま、1回目の施術が終わった。

2回目の施術の際には、前回で慣れているだろうと判断して、少しだけ多めに攻めてみた。刺激に対する痛みの出方もいいようだ。このまま順調に攻めつづけられれば、間に合うかもしれない。はやる気持ちを抑えて、その2日後に私は3回目の施術に臨んだ。

約束の時間に到着して、出迎えてくれた須藤さんの顔を見ると、いつになく表情が険しい。仕事で何かトラブルでもあったのだろうか。そんなことを考えながら準備していると、彼女は表情を固くしたまま、「この前、あんまり強く押されたから、おなかに痛みが出た」といい出した。しかも「左下のあばら骨の奥のほうで、内臓に傷ができたような気がする」と、不安と不満の入り混じった表情で訴えてくるのである。

これには驚いた。あんなに弱い力で、そんなことが起きるとはとうてい思えない。しかし本人にしっかりと自覚症状があるのに、むげに否定するわけにもいかない。彼女が指さしている部分にあるのは、位置的には脾臓である。もし仮に脾臓に傷でも負っていたなら、今の症状程度ではすまないはずだ。

ではなんだろう。直接そこに触れるわけにはいかないので、試しに脾臓のあるあたりの背骨を確かめてみる。そこには大きなズレがあった。これが悪さをしているのではないか。

そのズレをサッと戻してから、「どうですか?」と聞いてみる。すると彼女は不審そうに体をよじりながら、先ほどまでの痛みを探している。だがすでに痛みは消えているので、「あれ、あれ?」とふしぎがっている。

実は背骨がズレると、内臓のあたりに痛みを感じるのはよくあることなのだ。たとえば胃が痛くて、病院で検査を受けたのに何も見つからなかったという人がいる。そういうときも、ちょうど胃の位置で背骨が大きくズレていることが多い。

もちろんズレが原因であれば、ズレている背骨を正しい位置に戻すことで、その場で痛みも消えてしまう。いたって単純なしくみなのである。

須藤さんの場合も、さっきまでの内臓の痛みは背骨のズレのせいで、私が刺激したからではなかった。それがわかると、やっと表情がやわらいだ。ちょっとした冷や汗ものだったが、どうにか私との信頼関係も回復できたようだ。しかもこの背骨のズレのおかげで、私は思わぬ発見をしたのである。(つづく)


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