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「じゃ、どうぞお大事に~」
本日最後の患者さんがエレベーターに乗り込むのを見送った私は、近くで待機している杉本さんに、急いで電話をかけた。
この電話を合図に、彼女はここの掃除や備品の管理をしにやって来てくれる。私も片付けやカルテの記入をすませ、一段落したところで次のメールマガジンの原稿を渡して、2人でディスカッションに入るのだ。
30分ほど話し込んでメールマガジンの方向性が決まると、それまでのかっちりとした表情のまま、杉本さんの目の端が一瞬キラリと光った。あれは子どもが何か企んでいるときの顔である。
「ちょっと発見がありまして」といいながら、彼女は私の顔に向かって両手を近づけてくる。ここで逆らってはいけない。本能的に私は身を固くして、成り行きを待った。
「これってアシンメトリー現象じゃないかと思うんです」
そういうと彼女は、私の耳元で、自分の親指と人差し指の腹の部分をこすり合わせて、「どうですか?」と聞いた。
「はぁ?」
杉本さんの話は、いきなり結論から入ることが多い。そのせいで、私はいつも間抜けな返事になってしまう。今回も、何が「どうですか?」なのかがわからないので、とまどっていた。
すると彼女は、「両耳とも同じように聞こえますか?」といって、もう一度、私の耳元で指をこすり合わせた。
「え、両耳?」
私には、彼女が指をこする音は、右耳からしか聞こえてこない。てっきり右だけこすっているのかと思っていた私は、頭のなかが疑問符だらけになった。
「じゃあ、こうやって自分の指でやってみてください」
そういわれた私は、彼女のマネをして指を耳元でこすってみた。やはり右耳でしか聞こえない。なぜだ。左右の手で指の質がちがうのだろうか。試しに右の指を左耳に近づけてこすってみたが、やっぱり聞こえない。これはどういうことなんだ。
私がおどろいているのを見て、杉本さんは「当然だ」とでもいいたげな顔つきである。
「それじゃ今度は指の腹ではなくて、親指と人差し指の爪をはじいてみてください」
キツネにつままれたような気持ちのまま、私はいわれた通りに耳元で爪をはじいてみた。すると今度は、両方の耳から、爪をはじく「カチカチ」という音が聞こえてきた。
「あ、聞こえる!」
うれしくなった私は、またさっきみたいに指の腹をこすってみる。ところがやっぱり、「カサカサ」は右耳からしか聞こえない。何度やってみても同じだ。
「エ~ッこれってどういうこと!?」
杉本さんに目を向けると、彼女は「でしょ~」といって、この結果に満足そうである。
どうして左耳は、「カチカチ」なら聞こえるのに「カサカサ」だと聞こえないのか。音の周波数の問題なのだろうか。老化に伴って高い音が聞こえにくくなる話なら知っているけれど、そこに左右のちがいなんかなかったはずだ。
杉本さんは、「これもアシンメトリー現象の一つじゃないかと思うんです」という。初めてこの現象に気づいたとき、彼女は自分の左耳がおかしいのかと思った。そこで、これまでにも何人かで実験してみたらしい。
その結果、両方とも同じように聞こえる人はいた。でも、左だけ聞こえる人はいなかった。つまり、聞こえないのはいつも左耳だけなのである。「左だけ」となれば、これはアシンメトリー現象の一種だと確信したそうだ。
たしかに私も杉本さんも、左の起立筋が盛り上がっているから、まちがいなくアシンメトリー現象の体質である。それがわかっても、彼女は気にするどころか、逆に好都合だと思っている節がある。自分の体を観察することで、アシンメトリー現象の特徴を一つでも多く見つけ出したい。そんな使命感をもっているのだ。
それにしてもこれは画期的な発見である。今まで、耳に現れるアシンメトリー現象といえば、耳の穴が左だけ浅く感じるとか、耳掃除していて左耳は痛みを感じにくいといった例はあった。だがアシンメトリー現象の説明をしている最中に、それを相手に確かめてもらうわけにもいかなかった。
ところが、耳元で指をこすり合わせて聴力を確認する方法なら、だれでもかんたんに、その場で自分の状態がわかる。これなら体全体をチェックしなくてもいいし、深刻さがないのもいい。
さらに杉本さんは前のめりになって、「この現象は医学的には知られていないのでしょうか」とたずねてくる。しかし私の知る限り、左耳だけに現れる症状など聞いたことがない。
一般的な耳鳴りにしろ突発性難聴にしろ、右耳の人もいれば左耳の人もいるはずだ。ただし耳閉だけは、症状の出方に左右のちがいがあるのを確認していた。
耳閉とは、水の中にいるときのように、音がボワーンとくぐもって聞こえる疾患だ。だれでも一度は体験したことがあるだろうが、たいていは一時的な症状で、いつのまにか正常に戻っている。
ところがごくたまに、耳閉が元に戻らなくなってしまう人もいる。そういう人を私は今までに何人も診たことがあった。
耳閉は、医学的には原因不明といわれているけれど、彼らの多くは、上のほうの首の骨がズレていた。そのズレた骨を矯正すると、たちまち耳閉が解消するのだから、因果関係は明らかだ。
しかし首の骨のズレが原因でも、症状が出て数カ月もたっていると、ズレを矯正したあとも、音の聞こえ方が元には戻りにくいようだ。
耳閉の患者さんたちから話を聞くと、症状は右耳から始まったという人が圧倒的に多い。左耳に症状が出ている人の場合は、最初に右側に出たあとで左にも出るのがパターンだ。もちろん、こんなことは耳鼻科の専門医でも全く知らないはずである。
そうか。今まで考えたこともなかったが、他にも、症状が出るのは「左だけ」とか「右だけ」といった病気があるのかもしれない。
アシンメトリー現象と疾患との関係を知るためにも、これはぜひとも意識して調べてみる必要があるだろう。そこに私の疑問の答えがかくされている。そんな気がして、おなかの底が熱くなってくるのだった。(つづく)
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