小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:アーユルヴェーダ

055
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近藤くんに連れられて行った凸凹会で、「の」の字による腎臓病の治療法はマスターした。

ここでは毎回ちがう病気をテーマにしているそうだから、腎臓病が「の」の字なら、流れとしては前回が心臓病か肝臓病あたりで、「へ」の字だったのだろうか。すると次回は「も」の字で、最後に「じ」の字で完成するのかもしれない。まわりはみな真剣なのに、一人でそんなふざけたことを考えていた。

それはそうと腰が痛い。「の」の字をマスターしたところでちょうど休憩時間になったので、近藤くんがこの会の責任者の一人に、私の腰を治してくれるように頼んでくれた。すると彼は、「腰痛はあんまり得意じゃないんだけどナ」とつぶやきながら、私の腰をポンポンと手刀で叩き始めた。

私としては、他の流派ではどのように腰痛を治療するのか興味があったのに、これはごくありふれた方法だったので拍子抜けした。

腰痛のとき、手の表や裏や横(手刀)を使って同じリズムで患部を打ち続けていると、そのうち痛みが引いていくことがある。痛みがある場所に対して同じ刺激をひたすらくり返していると、痛みの神経がにぶくなっていくからだ。

患部を氷で冷やすことでも、神経がにぶくなって痛みを感じなくなる。ピアスの穴を開けるとき、氷で冷やすのも同じ理屈である。

同じ効果をねらったものに、アーユルヴェーダのオイルによる治療法がある。アーユルヴェーダではオイルマッサージが有名だが、仰向けになった患者の額に温かいオイルを垂らしつづける方法もある。

垂れてくるオイルによる刺激がつづくことで、感覚がにぶくなって全身が脱力する。それが深いリラックスにつながるのだ。ただしこの治療法の効果は一時的なものでしかない。何かを根本的に治すことも望めないから、治療ともいえないかもしれない。

ボーッとそんなことを考えているうちに、そろそろ休憩時間も終わるころになった。ずっと手刀をつづけてくれていた彼が、「どうですか? 効果のほどは」と聞いてくる。残念ながら腰に何の変化もなかったが、「おかげさまで楽になりました」といって大人の対応をしておいた。

さて、大先生の次の講義は迷走神経の刺激の仕方である。迷走神経とは、自律神経の一つで、脳から首、胸、腹を通って内臓の働きを調整している神経である。

「自律神経のバランスが崩れることで云々」といって、病気の原因の説明をするお医者さんも多いから、「自律神経の乱れ」といわれれば、一般の人はなんとなくわかったような気になる。自律神経という言葉にはふしぎなパワーが隠されているようだ。

確かに、迷走神経の働きが悪いと胃などの内臓の働きもにぶるので、迷走神経の刺激となると期待できる。

またまた大先生が登場し、今度はモデルを仰向けにしたかと思うと、「迷走神経を刺激するには、肩にある僧帽筋の下をこのように押す」と説明し始めた。

アレ? 私の知識では、迷走神経の位置がちがうような気がする。これは先生のいいまちがいだろうか。周囲を見回したが、会場のみんなは大まじめに聞いている。

ここで私は悟った。たとえ刺激する場所が解剖学とちがっていても、それが効果を発揮するなら、それはそれでイイのだろう。人間の体のしくみなど、いわば未知の世界そのものだから、これもアリなのかもしれない。

そもそも民間療法は、医学の常識とはちがうところに存在価値があるともいえる。既存の医学と全く同じものならば、民間療法の出る幕はない。

もちろん基本的な医学知識があることは大前提である。しかし現在の医学で治らない病気も多いのだから、医学を完全に踏襲する必要はない。だからといって漢方医学への懐古趣味でもない。民間療法が現代医学よりも先に行って、最先端医学となる可能性があるはずだ。そうだ。私はそこを目指そう。

この悟りを得ただけでも、十分にここに来た甲斐があった。近藤くんには「誘ってくれてアリガトね。そろそろ仕事に行く時間なので」と告げて、私は意気揚々と会場をあとにしたのだった。(つづく)

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013 小説『ザ・民間療法』挿し絵

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オーロビルでは有名な話がある。

あるところに、がんにおかされて医師からも見放された男がいた。彼はダライ・ラマのところに行けばチベット医学の秘薬があると聞いて、人づてにダライ・ラマを紹介してもらった。そこで手渡された秘薬を飲んだら、がんが消えてしまったというのである。

この話が本当かどうかはわからない。しかし歴史上、チベット医学はインドの伝承医学であるアーユルヴェーダにも、多大な影響を与えてきた存在だ。だからそういう奇跡のようなこともあるのかもしれない。

アーユルヴェーダは、エステティックサロンを通して、日本でもよく知られるようになった。だが本来のアーユルヴェーダは、薬を使った治療がメインで、インドではアーユルヴェーダによる医師資格も認められているのである。

もちろんインドの薬局では、現代医学の薬の他にアーユルヴェーダの薬もたくさん売られている。しかしインド人の多くは、現代医学のほうを信じているようだ。現代の中国人が、漢方医学よりも現代医学を信頼しているのと同じことだろう。

あるとき、これだけ暑い日が続くにもかかわらず、私はかぜを引いてしまった。かぜぐらい寝ていれば治るものだが、咳が止まらない。あまりにも咳が続くので、眠ることさえできないのである。これには弱った。

私は体調が悪くても、薬を飲む習慣がない。いざというときでも、極力飲まずにすませたいと思っているから、薬嫌いの部類に入るだろう。だがこれだけ眠れない日が続くと、私が頼りにしている自然治癒力まで落ちてしまう。日本ならいざしらず、ここでこれ以上体力が落ちるのは避けたい。そこで仕方なく、わざわざポンディチェリにある薬局まで、咳止めを買いに行ったのである。

店に入ると、ギョロ目でいかつい顔をした店主が、ヌッと奥から現れた。私が「何日も咳が止まらない」というと、ニコリともしないで、「ふつうの薬とアーユルヴェーダの薬のどっちがいいか」と聞くのである。インド航空の機内食で、ベジかノンベジかを選択するのにも似て、これはインドでは当たり前のことなのだろう。

私は、咳止めの薬なんか大して効かないだろうと軽く考えていた。そこで単なる好奇心から、アーユルヴェーダの薬を頼んでみた。すると店主は、「ふん」と鼻を鳴らしただけで、店の奥に消えた。私がしばらく待っていると、彼はラベルも貼っていないボトルを手にして戻ってきた。

そのいかにも手作り風のボトルを見ると、薬というよりも食品衛生上の不安がよぎる。彼は、「くれぐれも飲みすぎないように」とだけ告げた。「飲み過ぎたらどうなるのだろう?」と思うと、さらに不安が増す。しかし自分で頼んだのだから仕方がない。いわれるままに40ルピーほど払って帰ってきた。

部屋のベッドに腰掛けて、改めてボトルを見る。このアーユルヴェーダの咳止めは、シロップになっているようだ。付属の小さなカップに1杯を、朝晩2回服用するのである。昭和40年代あたりまでは、日本の薬局でも胃薬などはその店のオリジナルの薬を売っていた。だが異国の地で、得体の知れない薬を飲むのは勇気がいる。そうやって躊躇している間も、ひっきりなしに咳は続いていた。

得体が知れないといえば、東京で暮らしていたころ、知り合いの台湾人から薬をゆずってもらったことがある。私から頼んだわけではない。大変高価な漢方薬が手に入ったからといって、好意で勧めてくれたので断れなかったのだ。おかげで、乾燥したコブラの卵を飲むはめになってしまったが、口に入れた瞬間のあの強烈なカビ臭さは、とうてい忘れられるものではない。

ところが同じ不気味さではあっても、コブラの卵と違ってこれは単なる咳止めシロップである。あそこまでひどい味ではないだろう。そこで意を決して、指定のカップ1杯のシロップをのどに流し込んだ。

途端にブルッと震えが走った。ムチャクチャ甘い! 猛烈に甘い! 甘さのベクトルが、壁を突き破ったように甘いのである。これほど甘いものを口に入れたのは、いったいいつ以来だろう。人生初の甘さだったかもしれない。こんな味があるのかという衝撃はあったが、それでもコブラの卵よりはましだった。

私は、しばらくその怒涛の甘さに気を取られていたが、ふと気づくと咳が出ていない。あれだけ来る日も来る日も続いていた咳が、もののみごとにピタリと止まっているのである。それに気づいた途端、今度は改めて恐ろしさがこみ上げてきて、またブルッときた。

日本でも、のど飴をなめているうちに咳がやわらぐことはある。しかしその効果は、のど飴に含まれている薬の効果ではない。飴をなめることで、唾液によってのどが潤うからである。
ところがこの激甘シロップにこれだけ即効性があるとなると、明らかに薬の成分によるものだ。きっとこれはエフェドリンの効果なのである。日本の咳止め薬でも、薬効の主成分はエフェドリンだ。しかしエフェドリンは麻薬的な効果も大きいので、日本の薬事法では容量がかなり制限されている。その分、効きも悪いのだ。

しかしこの咳止めシロップはちがった。もちろんインドにも薬事法の制限はあるはずだが、日本とはレベルがちがう。これだけの効果であれば、かなり危険な量のエフェドリンが入っているはずだ。これなら副作用で、ある一定数は死んでいるかもしれない。咳は止まったけれど、心臓も止まったというのでは笑えない。

確かにアーユルヴェーダには、優れた秘薬が存在するのかもしれないが、「命と引き替えに」というただし書きが必要かもしれないな。そんなことを考えているうちに、咳から解放された私は、やっと眠りについたのだった。(つづく)

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