小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:イヌ

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今から20年も前になるだろうか。私は小沢昭一や永六輔が大好きで、彼らのラジオ番組をよく聞いていた。その巧みな話芸は、そんじょそこらの芸人では決してマネのできないレベルだった。おかげでどれだけ笑わせてもらったかわからない。

あるとき小沢昭一の番組で、「昔は地震・雷・火事・オヤジといいまして、お父さんは怖いものの代表だったのです。ところが最近じゃ、士農工商・イヌ・ネコ・お父さんと申しまして、家庭内での地位もたいへん低くなりまして~」と話していて、これまた大いに笑った。

お父さんはどうだか知らないが、イヌやネコの家庭での地位は、あれからもずっと上がり続けている。ペットが死ぬと、代わりにお父さんだったらよかったのに、などという不届きな家族の話まで聞くようになった。

私が子供のころは、イヌは番犬、ネコはネズミ捕りのためで、使役動物としての役割が当たり前だった。ところが今では家族の一員で、愛玩の対象としての役割しか担っていない。

そもそもイヌやネコは、もらうか拾うかしてくるもので、買ってくるものではなかった。エサだって人間の残り物を与えていた。今みたいにペットショップだのペットフードだのなんぞない。

まして獣医にしても、私の田舎ではウシやウマのための存在で、イヌ・ネコをお金を払って診てもらうようなことはなかった。だが時代は大きく変わったのである。

先日も、例のダックスフンドのアカの腰痛を治してあげたら、家族からは大感激された。多分、お父さんの腰痛を治してあげたって、あそこまで喜んではもらえなかっただろう。

そんなアカが、また調子が悪くなって、何も食べなくなったという連絡があった。日ごろからアカは大食いで、何でもガツガツと食べてツチノコのような体形になっていた。そのアカが食事をしないのだから、家族は心配して動物病院に連れて行ったのだ。しかし検査でも原因はわからなかった。

そこで私が呼ばれたのである。アカを見ると、よっぽど調子が悪いのだろう。いつもなら顔をなめにすっとんでくるのに、今日はグッタリと横たわったまま横目で私を見ている。

いくらイヌが苦手な私でも、この変わりようは胸に応える。アカの背中をさわってみると、前回の腰痛だったときのような背骨のズレはない。次におなかをさわると、妙に張っている。その張ったおなかを丹念に探っていくと、奇妙な形のかたまりが指に触れた。その部分に触れると、アカは少し眉間にシワを寄せる。

そうか。ここをさわられると痛いのだな。そのイビツな形からすると、何か異物を飲み込んでいるようである。そこで腸が詰まって、おなかが固くなっているのだろう。これはいわゆる腸閉塞という状態に思えた。

そこで再度、動物病院に行って相談してもらうことにした。ところが病院では、「そんなことはない」と否定されてしまったのである。仕方なく家に連れて帰ってはきたものの、アカはどんどん弱っていく。

その姿を見かねた家族がまた病院に連れて行くと、今度は、一度開腹手術をして、おなかの中を調べることになった。そして開けてみると、やはりアカのおなかの中からは、割り箸の破片やビニールなどがかたまりになって出てきたのである。

しかしせっかく異物を取り除いたときには、アカはもう衰弱しきっていて、長くはもたなかった。ペットとはいえ、愛する家族として暮らし、人間とちがってかわいいだけの存在を失うのは、悲しみもいっそう深い。家族の喪失感は、はたで見ていても胸が痛いほどだった。

私の大好きな昭和歌謡(※)に、「愛した時から苦しみがはじまる。愛された時からわかれが待っている」という歌詞があった。愛がなければ人生はむなしいが、愛することはつくづく悲しいものなのだ。(つづく)

※川内康範 作詞「誰よりも君を愛す」より


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*小説『ザ・民間療法』全目次を見る 058
この前、お寺の住職に馬乗りになって施術しているのを見られて、とんでもないかんちがいをされてしまった。しかし患者に馬乗りになっているのを見てかんちがいするのは、実は人間だけではない。

私が施術にうかがうお宅では、ペットを飼っていることが多い。私はネコは好きだが、イヌはなんとなく苦手だ。それなのに私の顔を見たイヌは、荒い呼吸とともにかけ寄って来たかと思うと、やたらとペロペロと顔をなめたがる。

いくら親愛の表現だとはいっても、さっきまで自分のお尻をなめていたのを私は知っている。ところが彼らは私がいくらイヤがろうと、ますます私に顔を近づけてくるのだ。

特に、飼い主への施術が終わると、イヌの興奮は一気にエスカレートする。どうやら、自分のご主人様の背中に馬乗りになっている姿が、彼らからすれば私がマウントを取ったように見えるらしい。

自分のご主人様よりも上位の存在なら、何が何でも私のご機嫌を取らねばならない。だから必死なのである。ところがイヌのそんな態度は、飼い主にとってはあまり気持ちのイイものではない。おもしろくないので、私に向ける目線に影が宿る。これはもう、とんだ三角関係の勃発なのだった。

それはそうと、ペットのいる家に行くと、ついでにペットも診てほしいと頼まれることがある。確かにイヌやネコのような哺乳類は、体の構造がヒトと大して変わりがない。体の不調の原因にも大きなちがいはないから、施術の対象にはなりうる。

人間のお医者さんが書いた腰痛本には、必ずといっていいほど「腰痛は人類が二足歩行になって以来の宿命だ」というフレーズが登場する。しかし腰痛は人間だけの特権ではない。イヌやウマなどの四足歩行の動物でも、腰痛になることは今や常識なのである。

ただし彼らは人間とちがって、「腰が痛い」などとはいわない。ただ腰を片側に曲げて、歩きづらそうにしていたり、しっぽを引きつらせたりしているだけである。

ある家でも、大事に飼っているダックスフンドが腰痛になったことがある。赤茶色をしているからアカという名前のこのイヌは、家族の話では、しばらく前から歩き方がおかしくなっていた。

そこで私がアカの背骨を調べてみると、予想通り、腰の骨がクキッとクランク状に曲がっている。背骨がしっかりズレているのである。だがそれさえわかれば話は早い。ズレている骨を元の位置にゆっくりともどしてやる。アカも神妙な顔つきでじっとしている。

何度か指先で背骨をなぞってはズレをもどす。すると、さっきまでのクランクはなくなった。背骨がまっすぐになったのを確かめて、ヨシ、これなら大丈夫。そう思って見ていると、アカはしっぽをプルプルと左右に動かした。そして以前のように元気よく歩き出す。やっぱりアカの不調の原因は、背骨のズレだったのだ。

これが人間なら、プラセボ効果だとも考えられる。たとえば同じ薬でも、白衣を着たお医者さんから渡されるのと、近所のおじさんがくれるのとではその効果にちがいが出る。それがプラセボ効果である。

薬の効果の3割はプラセボだというデータもあるようだし、同じお医者さんでも、白衣を着ているか着ていないかで薬の効果にちがいが出るそうだから、プラセボはあなどれないのである。

しかし動物が相手ではプラセボ効果は通用しない。私の施術にしても、人間はお愛想で「よくなりました」といってくれている可能性はある。だからこそ施術に対する動物の反応は、ある意味、人間以上に興味深いのだ。(つづく)

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