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インドから帰国してしばらくたつというのに、私にはまだ住む家がない。あいかわらず友人たちの家を転々とする暮らしが続いていた。今どき、いそうろうなんてメイワクだろうと思うが、どこの家でもごちそうを用意してもてなしてくれる。
学生時代に、地方出身の友人の実家を泊まり歩いていたころを思い出す。われながら、ずうずうしいとはこういうヤツのことだと思う。しかしそんな心づくしのごちそうのおかげで、少しずつ食欲が回復し、インド暮らしで失った体重とともに、本来の体力ももどってきた。
そこでささやかではあるが、お礼として今までの治療法に加えて、インドで覚えたオイルマッサージを披露してみた。するとみなたいそう喜んで、口々に「プロになったらいいのに」といってくれるのだ。
半分お世辞なのはわかっている。それでも内心では、これを生業にできたらいいなと思い始めていた。もちろんお金をもらうとなると、ちゃんとそれなりの勉強をしなければいけないはずだ。そんなことを考えていると、インドで別れた友人たちのことが頭をよぎった。
みんなどうしているだろう。あのときのメンバーのうち二人は、一旦帰国したあと日本での生活をすべて捨てて、ネパールに移住してしまったらしい。その話を人づてに聞いて、あれがきっかけだなと思える出来事を思い出した。
インドに行くとき、私たちは最初にネパールに飛んでからインドに入った。その際、メンバーの一人に連れられて、ネパールの首都であるカトマンズから、車で1時間ほどのところにある孤児院を訪問したのである。
かわいそうな子供たちのために、学用品の一つでも贈りたいと思って出かけたのだ。だがいざ着いてみると、私たちが目にしたのは、身なりこそみすぼらしいが、まばゆいばかりの笑顔に包まれた子供たちの姿だった。その輝きは、徳の高い聖人の一団にでも会ったような衝撃だった。
もともと子供が苦手な私でさえ、子供たちの笑顔に引き込まれ、夢中になって彼らといっしょに遊んだ。友人たちもその世界に完全に魅了されていた。まちがいない。あの体験が彼らをネパール移住へといざなったのである。
そうして彼らは日本での仕事を捨て、ボランティア活動に入っていった。私だって、あの後オーロビルに行っていなければ、彼らと行動を共にしていたかもしれない。
ふと気になって、仲間の一人だったヒロコさんにも連絡してみた。だが、なんだか電話口の声が変である。私より一回り上の50代だが、はじけるように快活な姿が印象的な女性だったのだ。それなのに、電話口から聞こえてくる声は、あまりにも弱々しいのである。
聞けば、帰国後に胃がんが見つかって手術までしたが、すでに末期だからダメらしい。治療としてはもう打つ手もないので、家で療養しているのだという。
あわてて彼女の家に向かう。京王線の駅を降りてしばらく歩くと、落ち着いた感じの住宅街にヒロコさんの家があった。ドアの前で深く息を吐いてから呼び鈴を押す。しばらくしてドアを開けてくれたのは、いっしょに暮らしているご主人だった。
案内された部屋に入ると、そこにはやつれ果てて、肩でやっと息をしている彼女の姿があった。そんな状態でも、私の姿を見るとなんとか笑顔を見せようとしてくれる。そのしぐささえ、体に負担が大きいようで痛々しい。
こんなときにどんな言葉をかけたらいいんだろう。この場にふさわしい言葉など何も浮かんでこない。浮かぶ言葉のすべてが空疎に感じられる。どうにかして励ましてあげたい。言葉にならないこの気持ちを、手でも握って伝えたい。しかし年が一回りも離れているとはいえ、ご主人が見ている前ではそれもはばかられた。
行き場のない手のひらを、そのまま彼女の手術したお腹にそっと当ててみる。するとヒロコさんは一言、「あったかい」とつぶやいた。そして消え入りそうな声で、「私、なんだか死なない気がする」といった。
それが今の心境なのだろう。もともと彼女は、あの世があることに確信をもっていると話していた。魂は永遠なのだから、死の恐怖ももっていないようだ。
だけど私は、そうかんたんにあの世になど行ってほしくない。それが正直な気持ちだったが、それを伝えることも酷な気がした。長居しても負担になるだろう。何もできない強いもどかしさを抱えたまま、「それじゃ、また…」といって私は部屋を後にした。
それから2日が過ぎたころ、ご家族から「逝っちゃった」と連絡があった。あのヒロコさんが死んだのだ。その現実を受け止め切れないまま、私はまた京王線に乗って葬儀場へと向かった。棺のなかに横たわる彼女の安らかな顔を目にしても、私には実感がない。
「人って本当に死ぬんだな」
そんなまぬけな思いしか浮かんでこない。そして足元に落ち続ける自分の涙を、ただぼんやりと見ていた。(つづく)

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