小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:オリジナルイラスト

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116
人に何かを教えることは、自分自身にとっても学びが大きい。頭のなかにまとまりもなくつめ込まれていた内容が、むりやり整理される。せっぱつまった引っ越しのときみたいに、なくしたと思っていた大事な物が意外なところから出てくることもある。

あの日いきなり、整体学校の大外先生から、勉強会を開催してほしいといわれた。この提案は、私には自分の考えをまとめるチャンスだと感じられた。その数日後、先生からかかって来た電話によると、すでに勉強会の話が進んでいるらしい。

私が発見した現象や、開発した手技を学びたいという人が、10名ほど参加することになっていた。整体学校の先生方だけでなく、卒業生で施術のプロとして活動している人たちもいるようだ。

ただし、大外先生が所属しているあの整体学校で、表立って私の勉強会をやるわけにはいかない。だから近くの区民会館の一室を借りる予定なのだという。

そこまでいうと先生は、少し口ごもりながら「師匠への謝礼はいかほど?」と聞いてきた。そのお気持ちはありがたい。しかし目先の利益など大した問題ではない。それよりも今の私には、だれかにこの理論と技術を伝えることのほうが重要だった。

私から伝わった情報がその先で大きく展開していって、ねずみ講のようにまたたく間に全世界へと拡大していく。そんなイメージをもっていた。昔の少年雑誌に登場する、怪人Xの野望みたいなものだ。

これまでの私は、だれか一人のすごい権威をもっている人にこの情報を伝えさえすれば、その人が「それはおもしろい!ぜひとも私が研究してみましょう」などといってくれるのではないかと期待していた。

ところが、あれだけ医学界から政界にいたるまで、あらゆる権威ある人たちに伝えてきたのに、一向にそんなことが起こる気配がない。それどころか、だいたいが鼻にもかけてもらえない。

こうなったら逆の発想でいくしかない。今回のように、末端の施術者から広げていけば、時間はかかってもいつかは世界征服できるだろう。そんな空想が果てしなく広がっていく。

私が自分の世界に没頭していると、私の返事を待ちかねた大外先生から、再度「それで、いかほど」と声がかかる。私がだまっているのは、謝礼の金額で迷っていると思ったらしい。

とっさのことなので、私は思わず「そんな水臭い、タダでいいですよ、タダで」といってしまった。どの口がこんなことをいうのだ。またしてもエエカッコシイの悪いクセが出た。

大外先生も「エッそんな、イイんですか?それは悪いナ~」といいながら、そのまま引き下がった。しかし謝礼が無料と決まったことで、早速、次の日曜の夜から勉強会が始まることになった。

それにしても、大外先生ほどの人に見込んでもらえたのは誇らしい。先生はこの業界の経験が豊富で、整体だけでなく古今東西のさまざまな療法にくわしいのだから、なおさらだ。

そもそも民間療法の業界では、「我こそは」とお山の大将になりたがる人ばかりなのである。目新しい派手なワザを開発しては、マスコミで大々的に宣伝してカリスマを演じる。

ところがそんな療法には、実体が伴わないことも少なくない。始めのうちこそ盛大に支店を拡大していくけれど、3年もしないうちに見事にみな消えていくのである。

そういったシロモノとちがって、大外先生は私が発見した現象と開発した手技が、唯一無二の本物だと思ってくれたようだ。もちろん私自身もそれを確信している。しかし、まだこの現象の全容がつかめていないので、これから開発の余地は大いにある。

なぜ起立筋は左だけが異様に盛り上がるのか。
なぜ左半身の感覚が鈍くなるのか。
そして、なぜ左なのか。

これから調べていくべきことが山ほどある。私は、ここに人類の未来がかかっているのではないかとすら思っている。だがそう思えば思うほど、私の心理的な負担も増していく。

そんな重荷を背負いつつ、いよいよ勉強会の初日を迎えた。とうてい私一人の力で解決できる問題ではないから、いっしょに担ってくれる人を見つけたい。ここに人類の未来(と私の野望)がかかっているのだ。

なじみの池袋駅から5分ほど歩いて小さな公園を抜けると、ひび割れの目立つ古い区民会館に到着した。手すりにサビの浮いた階段を上がると、ドアが開いている一室が目に入った。ガヤガヤと声がしている。私がなかをのぞくとピタリと静まって、マジメそうな目玉が一斉にこちらを見た。わずかに緊張が走る。

いがぐり頭のごつい男性がいると思ったら、見慣れない私服に身を包んだ大外先生だった。ここでまちがいない。この汚い畳のうえに、私の世界征服への記念すべき第一歩が、今まさに記されようとしているのだった。(つづく)
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115
私がまだ20代のころ、親戚中でいちばん仲良しだったいとこが、腰痛で入院したことがあった。昭和の時代には、腰痛といえば年寄りか新婚さんのモノと相場が決まっていた。それなのに若くて健康で独身の彼が、腰痛で入院するなんてよほどのことだ。

当時は腰痛で入院した人の話なんか聞いたことがなかったから、私は心配になってわざわざ見舞いに行った。いつもはふざけてばかりの彼も、この日は神妙な面持ちで大部屋のベッドで横になっていた。

これから手術でもするのかと思ったら、今の医学では腰痛を治す決定打がないから、ひたすら痛み止めの薬を飲んで寝ているだけらしい。これは意外だったのを覚えている。

あれから20年以上が過ぎた。もう時代は平成に移ってしばらくたつけれど、腰痛患者たちの状況は今でも変わっていないようだ。だが、私が見つけた「背骨は左にしかズレない」という法則が広く知られるようになれば、腰痛治療の世界も大きく変わるはずだ。

今日はそのための第一歩である。この機会に腰痛の山形くんをモデルにして、ここの生徒さんたちにも腰痛の治し方を覚えてもらおう。そこでまずは、治療台に腰かけた山形くんの背中を見てもらいながら、背骨のズレの見つけ方から説明を始めた。

整体などの既存の民間療法でも、背骨のズレを見つける方法はある。施術を仕事にしている人なら、そのやり方はある程度は心得ているものだ。ところがその方法では背骨を1つずつ丹念に調べていくので、逆にどこがどうズレているのかがわかりにくい。

私のやり方では、左右の人差し指の先で、背骨の両脇を上から下に向かってスーッとなぞる。これなら、なぞった指が描く軌跡を見るだけだから、一瞬で背骨がズレている位置がわかる。

本来なら指で引いた線は直線になるはずだが、背骨に沿って引いた線が大きく左に曲がることがある。その曲がり角が背骨がズレているところだ。これで腰などの痛みの原因が特定できる。

こうやって指先でズレを見つける方法は、特殊美術の仕事でつちかったテクニックの応用だ。特殊美術では、仕上げた立体物が自分のイメージした形になっているかどうかを、目で見るだけでなく指先でサラッと触れて確かめる。

人間の指先にはたいへんすぐれたセンサーがあるので、慣れてくるとミリ単位以下の形のちがいもハッキリとわかるようになる。もちろん目で見ただけでもわかるけれど、目からの情報にはだまされることがある。その点、指先の感覚はウソをつかないから信頼できる。

またその対象が人体なら、指で触れることによって、形だけでなく熱や腫れの度合い、硬さや質感のちがいまでわかってしまう。私はこの技術を使うことで、かなり具体的に患者さんたちの不調の原因を特定できるようになっていた。

しかし特殊美術のテクニックではあっても、この技術はそれほど特殊なものではない。そのつもりでちょっと訓練すれば、だれでもできるようになる。そう説明してから、山形くんの背骨のズレを他の人にも確認してもらう。

ところが背骨の横を指でサラッとなぞっていくだけなのに、思ったよりもみな悪戦苦闘している。「できない、できない」とつぶやいているうちに、いつのまにか慣れ親しんだ旧式の方法で背骨を1つ1つ調べ出していた。

新しい技術の習得はなかなかむずかしいものだろうが、案外、全く未経験の人のほうが覚えが早いのかもしれない。例によって、私の教え方にも問題があるのだろうか。

あまり長引かせると、同じ姿勢をつづけている山形くんがかわいそうだ。今日のところは、とりあえず私が彼の背骨のズレをもどしてあげることにした。

山形くんの背骨の両脇を両手の指でサッとなぞると、やはり目星をつけていた通り、腰の3番目の骨が左に大きくズレている。腰痛の場合、ズレが大きいから症状が重いとは限らないが、これだけズレていれば確かに痛みもひどいだろう。

ズレた骨を正しい位置にもどすのは、積み上げた積み木をまっすぐにする作業に似ている。ズレているのは必ず上に乗っているほうの積み木だから、これさえまちがえなければ、あとはかんたんだ。

最初に、ズレている骨の左側に左手の親指の先を当て、その真下にある骨の右側に右手の親指の先を当てる。次に、左手の親指を右側へ向かってやさしくすべらせる。それと同時に右手の親指は左に向かってすべらせる。決して強い力で押さないのがコツだ。

この作業を何回かくり返すと、少しずつ骨が動いていく感触があった。そろそろよさそうだ。山形くんにも、矯正の効果が徐々にわかってきたようだ。

そこで、見ている人たちにもわかるように、あえて「腰どお?」と聞いてみる。すると彼は、体を左右にひねってみてから「いいみたい」といった。さっきまでクッキリと刻まれていた眉間のシワが消えている。彼の表情が明るくなったのを見て、大外先生もホッとしている。

ここで改めて、「背骨は左にしかズレない」と説明すると、生徒の一人が、「それじゃ痛みは左にしか出ないのか」と聞いてきた。これはだれにでも浮かぶ疑問なので、「待ってました」とばかりに、ズレは左だけでも痛みは左右のどちらにでも出るしくみの説明に入った。

しかしどうもよくわからないようで、みなポカンとしている。また失敗した。立体や動きの説明を言葉にするのは、本当にむずかしい。あれこれ説明の仕方を工夫しているうちに、だいぶ時間がたってしまっていた。

ここは整体の学校だ。私も卒業生の一人だとはいえ、整体ではない私の手技の説明を、そう長々とつづけるわけにもいかない。それに気づいたので、「では、この説明はそのうちゆっくりと」といって説明を終えた。

するとそれまでだまって聞いていた大外先生が、また私に向かって「師匠!」と叫んだ。そして「この勉強会を定期的に開いてくれませんかッ」といって、興奮気味に肩を上下させた。それこそ私の願いでもある。私はうれしくなって、ジンジンする鼻を抑えながら何度も大きくうなずいていた。(つづく)

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114
「やんだタマゲたな~。急にナニいうだぁ~♪」

私の頭のなかで、オヨネーズの名曲「麦畑」が鳴り響いている。整体学校の大外先生から、出し抜けに「師匠、私を一番弟子にしてください」といわれた私は、いきなりプロポーズされた女性みたいにタマゲてしまった。

大外先生は、この整体学校で私が初めて教わった先生である。業界でのキャリアも長いプロ中のプロだから、どう見たって私のほうが弟子なのだ。そんな人から師匠などと呼ばれたら、何とも居心地が悪い。「まあ、師匠だ弟子だなんて堅苦しいことはいわずに、一緒に研究してくださいヨ」といって落ち着いた。

それにしても、私の発見した現象が特別なことだと即座に理解してくれたのが、大外先生のスゴイところである。

私はこれまでどれだけ多くの人たちに、この現象のことを伝えてきただろうか。そのなかには医学界の権威といわれている人もいた。ところがいっしょうけんめい伝えても、実際に自分の目で確かめてくれる人は少ない。それを確認した人からも全く反応がない。何も見なかったかのように、ふしぎなほど無反応なのである。

私は、この現象の存在が一般的に知られるようになれば、多くの人の役に立つと確信している。だからこそ必死に訴えてきたのだが、この重要性が全く伝わらない。逆に、私が何か売り込もうとしていると勘違いして、あからさまに不快感を示す人までいた。

そんなお寒い状況のなか、格下の私ごときの弟子になってでも、このことを知りたい、極めたいといってくれた人は大外先生が初めてだった。これに感激しないわけがない。

ひょっとして、これまではたまたまハズレくじばかり引いてきただけで、世のなかには、まだまだ当たりくじがひそんでいるのだろうか。にわかに希望の灯がともって、期待で胸がふくらむ。

私がまたしても妄想に没入していると、大外先生はそばにいる生徒の一人に目をやった。先生が「ヤマガタくん、どうした?」と声をかけると、「ちょっと腰が」といって、彼は腰をかがめてつらそうにしている。それを見た大外先生は、私に向かって「師匠、お願いしますッ」といって頭を下げた。

山形くんは1年ほど前に交通事故に遭って以来、腰痛に悩まされているそうだ。こうやって整体の学校に通っているのも、半分は自分の腰痛治療が目的らしい。

これまた私には普及のチャンスである。再度、教室のみんなに集まってもらうと、腰痛の原因になっている「背骨のズレ」についての説明を始めた。

この「背骨のズレ」も、脊柱起立筋の左側の盛り上がりと同じく、人体にとって重大な現象なのである。背骨がズレること自体は、民間療法の世界では大昔からだれでも知っている。しかし「背骨は左にしかズレない」ことは、まだだれにも知られていないのだ。

起立筋と背骨に現れるこの2つの現象は、私は大発見だと思っている。ところが、それぞれが別個の現象でも、「左」というキーワードが共通しているせいで、どうも混同されやすいのが悩みのタネだった。

起立筋の左側が異常に盛り上がっていることは、がんなどの重大疾患に関係している。一方、背骨が左へズレると、これは腰痛の原因となる。この2つをごっちゃにすると、「背骨がズレると、腰痛からがんにいたるまで万病の元になる」という、いかにも眉唾な話になってしまう。

しかし一般的には、そういう単純な説明のほうが伝わりやすい。しかもインパクトが強くて受けがいい。だが、それではこの現象の重大性や信憑性が、完全にぼやけてしまうのだ。

私は科学としての信憑性を重視したいので、できるだけ分けて説明してきた。それでもやっぱり最後にはいっしょくたにされる。金太郎と桃太郎の物語をつづけて聞いたら、聞いた人の頭のなかでは、金太郎がまさかりで鬼退治した話になってしまうようだ。

この2つの現象でもっとも重要なのは、そこに規則性がある点だ。規則性がある現象の発見は、科学の最大のテーマのはずである。科学から遠い世界の美術家だった私にも、それは常識だった。だから科学の分野の人たちには、特にこの規則性の部分を強調して説明してきたのだ。

ところが私の説明では、どうもピンと来てくれる人がいない。あるときなど、知り合いの医師に私が発見した規則性の話をしたら、かなり真剣に耳を傾けてくれた。理解してくれたのかと思ってさらに熱を入れて説明したら、最後の最後になって「ヘー、東洋医学ではそういう考え方もあるんだ」といわれてしまった。

あのときはさすがにガックリ来た。自分が学校で習った医学の教科書には出ていなかったから、科学の外の話として処理したかったのだろう。新しい現象の話は、聞く人の頭に引き出しがないと伝わらないというが、その引き出しを作ってもらうには、一体どうしたらいいのだろう。(つづく)
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112
沖縄から帰った私は、久しぶりに池袋の整体学校に行ってみた。さわやかな潮風でリフレッシュしたばかりの私には、この場末感が漂う雑居ビルのたたずまいが、ある意味とても新鮮だ。

ギギギィーッと建付けの悪いドアを開けると、そこには大外先生をはじめ、いつものメンバーがそろっていた。室内は相変わらず雑然としている。この色気のなさが妙に落ち着く。とっ散らかった実家の居間に似た安心感があるのだ。

沖縄みやげの「ちんすこう」を差し出すと、みなワッと集まってきて食べ始めた。大外先生はすばやく2個目を口に放り込むと、私のほうに向き直って「で、最近どうヨ?」と聞いてきた。私がしばらくぶりに顔を出したからには、何か新しい情報があると気づいているのだ。

そこで、がん患者たちの体で発見した、例の現象について話し始めた。がん患者はみな脊柱起立筋の左側だけが異様に盛り上がっていて、体の感覚も左側だけひどく鈍くなっていることだ。

それだけではない。私が新しく開発した手技で刺激すると、その起立筋の盛り上がりが消える。しまいには、がんまで消えてしまったという話なのである。

こんな話はだれにでもいえることではない。私には何人ものがんが消えた実感があったが、まだこれには科学的な裏づけがない。ましてがん患者さんを相手にこんなことをいって、妙な期待をさせてもいけない。だからこの話を人に聞いてもらう機会はあまりなかった。

もちろんお医者さんにだけは、これまで何人にもこの話をしてきた。ところがなぜこんな現象が起こるのか、だれもはっきりとは説明してくれない。それどころかせっかくの大発見なのに、この異常な現象に興味をもってくれる人さえいなかったのだ。

しかし整体の先生なら、毎日大勢の人の体に直接手で触れているから、感覚的には理解しやすいはずだ。大外先生ならわかってくれるかもしれない。そう期待しながら、この発見について熱を込めて話した。

ふと気づくと、整体の練習をしていた生徒たちが寄ってきて、私の話を興味深げに聞いている。これは理解者を増やすチャンスだから、具体例を見てもらったほうがいいかもしれない。

見回すと、大外先生の後ろでまだちんすこうをモグモグしている加納先生と目が合った。ちょうどいい。彼も大外先生と同じでこの学校の指導員だ。生徒から施術を受けることには慣れているので、彼に体を貸してもらおう。

ちんすこうの恩があるから、加納先生も「ノー」とはいえない。早速うつ伏せになってもらうと、これまた都合がよいことに、彼の起立筋はしっかりと左側だけが盛り上がっていた。

「ホラ、これですよ、これ」と私が指差すと、大外先生が業界人っぽい口調で、「加納ちゃ~ん、やっちまったな~」といって、彼ががんだと決めつけた。いきなりのことで、加納先生がおびえた目をして私を見上げた。

あわてて、「イヤ、左の起立筋が盛り上がっているからって、それだけでがんがあるわけじゃないですよ」と説明しても、時すでに遅しだった。もうみなの思い込みはゆらがない。私はますます焦ったが、これがこの話の怖いところなのである。

「がん」という言葉をつかうと、その響きが独り歩きして、聞いた人の意識の深いところに入ってしまうのだ。案の定、加納先生も突然がんの宣告を受けたみたいに不安がっている。だが今日は仕方がない。「がんじゃないですよ。大丈夫ですよ」とくり返しながら、私は説明をつづけた。

まずは、見ている人たちにもわかるように、彼の左右の起立筋を私が親指で左右同時に押してみせる。やはり加納先生は、右よりも左の起立筋のほうが、感覚が鈍くなっている。

しかしうつ伏せになっているから、彼には私が何をやっているかは見えない。左側は、私の押す力が弱いのだと感じているようだった。だが横で見ている人たちには、同じぐらいの力だとわかる。

この左右の感覚のちがいを確認したところで、いよいよ私が開発した例の手技で刺激を加えてみせる。肩や背中など何か所かの特定の神経をねらって、親指でリズミカルに刺激していくのだ。

その様子を見た人から、ギターか何かを弾いているみたいだといわれたことがあった。たしかに親指をバチに見立てれば、三味線を弾いている姿に似ているかもしれない。

そうやってベンベンベ~ンと弾いていると、まもなく彼の体が変化してきた。その感触の変化が私の指先に伝わってくる。それと同時に「イタ、イタ、イタタ~ッ」と彼は声を上げて体をよじり始めた。

やはりがんがある人に比べると、刺激に対する反応が出るのがすこぶる早い。これなら加納先生の体に大した問題はなさそうだ。

この刺激は、指先で軽く触れる程度のものでしかない。彼が痛がり始める前と後とで、力の加減は変えていない。それなのにこのあまりの変化の激しさに、大外先生やまわりの人たちもえらくおどろいている。

次に、あえて人差し指だけで体中をあちこちツンツンと軽く突いてみせる。すると、ツンと突くごとに加納先生が「イタッ」と身をよじる。ツンと突くと「イタッ」、ツンと突くと「イタタッ」の連続だ。

これを見ていた大外先生が、横から手を出して私と同じように突いてみる。やっぱり同じように加納先生が痛がる。それに釣られてまわりの人たちも、珍しいおもちゃでも見つけたように一斉につつき始めた。

日ごろからいじられ役の加納先生には災難だったが、この刺激は体にとってはいいはずだから、きっと今晩はよく眠れるだろう。そうこうするうちに、あれだけ盛り上がっていた彼の左の起立筋は、もうかなりへこんできたのだった。(つづく)

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111
明るい光で目が覚めた。ここはどこだろう。メガネがないからよく見えないが、この陽射しはどう見たってうちじゃない。そうだ。沖縄のホテルに泊まってるんだった。胸の奥にプクッと楽しい気分がわいてくる。
窓まで行って外を見ると、視界をさえぎるものは何もない。どこまでもつづくサンゴ礁の海が、強い陽射しを跳ね返して深く青く輝いている。これを見られただけでも来たかいがあった。

今日はいよいよダイビングだ。ホテルのバイキングで栄養を補給した私は、重いおなかと機材をかついで、チームのみんなと船に乗る。私たち8人を乗せた船は、まっすぐにダイビングスポットへと向かった。スピードを上げると、顔に当たる潮風が気持ちいい。

だが、ボーッとしていてはいけないのだ。初心者の私は機材の取り扱いにも不慣れだから、準備に時間がかかる。私がモタついていると、あちこちから手が伸びてきて、みるみるうちに装備は整った。

30分ほど沖に進むと、水深20mの地点で船が停まった。海の底まではっきりと透けて見えていて心が踊る。すぐさま、みんなは勢いよくドボンドボンと水しぶきを上げて飛び込んでいく。呆気にとられている間に、残っているのは船長と私だけになってしまった。

船長が、「どうする?」とでもいいたげな顔で私を見たから、意を決して手順通りに、タンクを背負った状態で後ろ向きに飛び込んだ。飛び込むというよりも転落に近い。着水した途端、大きな泡に包まれて一瞬上下の感覚を失った。

少し息を吐いてから息を整えると、目の前には水底に向かってロープが垂れていた。このロープをつたって下へ下へと降りていく。その間に少しずつ緊張が取れてきた。20mは深い。耳も体もギュッとつまってきて、また緊張で胸がドキドキしてきた。

ようやく足ヒレの先が海底に着いたところで、ホッとして上を見る。海中に射し込んだ太陽の光が、ユラユラとやさしく揺れている。思わず見とれていると、今野さんが寄ってきて、私の腕を引っぱって勢いよく泳ぎだした。

何かを伝えようとして彼女が指差した先に目をやると、1メートルほどのウミヘビがいた。ウミヘビには猛毒があるけれど、かまれることはめったにない。彼らは好奇心が旺盛だから、私の足先に近寄ってきて、フィンの動きに合わせて身をくねらせている。海の仲間だと思ったのかもしれない。

ダイビングは楽しい。非日常で気分が高揚する。その分だけ危険も多い。特に南の海には、ウミヘビだけでなくクラゲやタコ、貝、魚に至るまで猛毒をもつ生き物がたくさんいる。それでもベテランがいっしょだとかなり安心できる。

ベテランといえば、超ベテランダイバーであるスタントマンのボスの話を思い出した。ずっと以前のことらしいが、八丈島の沖で潜っていて、浮上してみたら、待っているはずの船が見当たらないのだ。

まさかと思って、360度グルリと見回してみても何もない。見渡す限り、水平線がつづくだけだった。仕方がないので静かに海に浮いたまま、一昼夜流されて千葉沖まで流されたのだという。すごい話である。助かったからいいようなものの、ボスの話はレベルがちがいすぎて実感がわかない。

それとは別に、長時間水中作業をしているときに、窒素酔いでえらいイイ気分になって、危うくそのまま死ぬところだった話も聞いたことがある。いっしょに潜っていた人が、彼の異変に気づいてくれたおかげで助かったらしい。

水圧の高い水の中にいると、窒素を吸い込む量が多くなる。その窒素の麻酔効果のせいで、酒に酔ったみたいになってしまうのが窒素酔いだ。

また窒素は減圧症の原因にもなる。減圧症はダイビングなどで、水深の深いところから急浮上すると、血液中の窒素が気泡になることで起きる血流障害である。

私は減圧症を体験した人を診たことがあったが、彼の体はまるでふとん圧縮袋に閉じ込めたように、バチッと固くなっていたのを覚えている。

さて20分ほど海底の景色を楽しんだあと、私は無事に船までもどることができた。これから浜にもどって昼食をとり、午後からは別のポイントで潜ることになっていた。

ところが私は慣れない運動と緊張のためか、一本潜っただけで今日の体力を使い果たしてしまった。もう自分の酸素ボンベをかつぎ上げるパワーすら残っていない有り様だ。

ダイビングは一人では潜らないのがルールだから、ペアを組んでいる今野さんには申し訳ないけれど、私だけ午後の部はパスさせてもらった。何事も無理をしないのがモットーだ。

昼食後、一人になった私はホテルの前にあるヤシの林に行ってみた。そこにはゆったりとしたデッキチェアーが並んでいる。木々の間を心地よい風が吹き抜け、風に揺れるヤシの葉がデッキチェアーに影を落としている。

もってきた文庫本を手に、私はデッキチェアーに横たわる。だれもいない静かな空間で、南国のリゾート気分にひたっていた。なんという贅沢な時間だろう。

だがそんな時間は長くはつづかない。背後にザワザワと人の気配が近づいてきた。声の感じからすると、どうやら両親と娘二人のファミリーのようだ。チラリと目やると4人とも立派な体格で、何だかイヤな予感がする。

下の娘さんが、「わ~デッキチェアーだ~」と声を張り上げると、お母さんらしい女性と二人で私の真うしろの椅子に近づいてきた。しかしどう見ても、彼女たちのサイズと椅子のサイズが合っていないのだ。

私がわずかに危険を察知した瞬間、「ギャッ」という悲鳴とともに、鈍い破壊音がヤシの林に響いた。つづけて「ヤダーッこのイス壊れてる~」という叫び声が聞こえてきた。

振り向いてはいけない。決してうしろを振り向いてはいけない。塩の柱になってしまう。そう自分にいい聞かせて、私はギュッと目を閉じた。何秒かそのままじっとしていたら、周囲にはまた静けさがもどっていた。

恐る恐る振り向くと、そこには哀れなデッキチェアーの残骸が2つ、砂の上に横たわっていた。そして何もなかったかのように、ヤシの林を爽やかな風が吹き抜けていくのだった。(つづく)

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