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アパートを出ると、今朝は快晴である。見上げると空が青い。2月のキーンと冷えこんだ空気に、吐いた息が白かった。今は冬の底だけど、春が近い気もしてちょっとうれしい。今日は池袋で、私の5回目の講習会が開かれる予定なのである。
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アパートを出ると、今朝は快晴である。見上げると空が青い。2月のキーンと冷えこんだ空気に、吐いた息が白かった。今は冬の底だけど、春が近い気もしてちょっとうれしい。今日は池袋で、私の5回目の講習会が開かれる予定なのである。
これまで4回開催した講習会では、施術のプロが対象だった。ところがいざふたを開けてみると、キャリアの浅い人ほど新しい技術の習得が早そうなのだ。これは私だけでなく、補助についてくださった先生方にとっても意外なことだった。
「素人相手の講習会をやったら、おもしろいかもしれないですね」
4回目の講習会のあと、大外先生がそう提案してくれた。たしかに背骨のズレを矯正するだけなら、別にむずかしい技術ではない。勘のいい人なら、すぐに覚えてしまう。
プロ講習会の参加者のなかには、講習会の翌日、背骨のズレを矯正してあげた患者さんから、「先生って神の手ですね」といわれた人もいる。
神の手っていわれるなんてスゴイ。そのやり取りを横で聞いていた杉本さんが、「そんなに習得が早いのなら、神の手を大量生産できますね」といってフッと笑った。
神の手大量生産か、なるほどそれはいい。千手観音という神様がいるけれど、千手観音を1人作るより、5百人がマスターして、神の手が千本になるほうが現実的である。それだけ増えれば、日本中の腰痛患者が救われるじゃないか。
ああワクワクする。おもしろい。杉本さんも、「では、神の手千本プロジェクトですね!」と大乗り気である。なんだかプロジェクトXみたいで、中島みゆきの歌が聞こえてきそうだ。うれしくなって補助の先生方といっしょに盛り上がった。
そこで、神の手千本プロジェクトの手始めとして、まずは家庭で腰痛を治すための「腰痛講座」をやってみることに決まった。今回もメールマガジンで参加者を募集してみると、施術を受けたことのある患者さんたちも、大勢申し込んでくれた。地方からの申し込みもプロ講座以上の反響だ。
なかには、「娘が腰痛で苦しんでいるから、なんとかしてやりたい」というお母さんからの申し込みもあった。メール担当の島崎先生は、「それならその腰痛の娘さんも連れてきていいですよ」と返信してしまったらしい。
武闘派の大外先生とちがって、どこか文学青年風の島崎先生らしい、細やかな対応である。だが、ふつうこの手の講習会で、実際の患者さんを同伴していいなんて話は聞いたことがない。もしもその場で治らなかったら、信用失墜もいいところだ。
まあ、そんなことは百も承知でOKを出したのだから、島崎先生はよほどこの手技の実力を信頼してくれているのだろう。それはそれでありがたいことである。
開催にあたって、今回は大外先生や島崎先生だけでなく、プロ講座の修了生たちも補助についてくださった。なにせ、体のことなど何も知らない素人さんが相手なので、先生の数は多いほうが安心だ。
早めに会場についた私は、今日のテキストを見ながら段取りを考えていた。もうそろそろ時間だナと思って顔を上げると、部屋のすみにムサビの会田先生がいた。開催日程は伝えてあったけど、来られるかどうかは聞いていなかった。
先生は、「自分の体を献体として使ってくれ」といって、講習会のあるたびに、律儀に毎回参加してくださっている。いわば私の応援団長であり、保護者みたいな存在でもあるのだ。
その先生の隣に、どこかで見たことがある人が座ってニコニコしている。あれは、ムサビの関口先生じゃないか。あわててあいさつに行くと、「今日は見学させてください」といって、私に向かって頭を下げた。相変わらず腰の低い人である。
そうこうするうちに開始時刻になった。私が「では」といいかけると、あの腰痛の娘さんが、お母さんに支えられてやってきた。そして入室するなり、「早く座らせてっ」と悲鳴にも似た声を上げたので、室内に緊張が走った。
あまりにつらそうなので、とりあえず治療台の上で横になってもらった。すぐにでも治してあげたいけれど、ここはぜひともお母さんの手でやってもらいたい。
「このまま眠ってしまっても、立って歩き回ってもらってもかまいませんので、なんとか午後までがまんできますか」
そう私がたずねると、お嬢さんは目を固くつぶったまま、しっかりとうなずいた。
午前中は、私の施術方法の概要を伝える座学である。午後からは、みなさんお待ちかねの実技講習だ。最初に背骨のズレの見つけ方を伝えて、それからそのズレを矯正していくやり方を伝える。
手順がなんとなくわかったところで、いよいよ実践だ。先生と参加者とでペアになってやってもらうと、みな呆気ないほど短時間で矯正ができるようになっていく。やはり大外先生の予想通り、プロよりも飲み込みが早い。
実は、「自分はできる」と思っている人ほど上達が早い。「できない、できない」と思い込むタイプの人は、なかなか矯正がうまくいかない。この傾向は、プロでも素人でも同じだった。
あのお母さんはどうだろう。手元を見ると、スムーズではなくてもちゃんと矯正ができているのがわかる。そこでおもむろに、「では、お母さん、お嬢さんの腰痛を治してあげましょう」とうながすと、改めて室内に緊張が走った。
朝から腰が痛くて泣き顔のまま待っていた娘さんに、起き上がって座った状態になってもらう。腰痛がひどいと起き上がるのも一苦労だ。彼女の後ろに回ったお母さんは、今、習った通り、娘の背骨の両脇を指先でなぞってズレを探す。
指が止まったところで、「これ?」といって、自信なさげに大外先生の顔を見る。大外先生が「ウンウン」とうなずく。遠巻きに見ていた他の先生方も、大きくうなずいている。
それを合図に、お母さんは恐る恐るズレた背骨に左手の親指を当て、その下の背骨に右の親指を当てて、ソーッと動かした。その光景を、先生方も参加者たちも、みな固唾を飲んで見守っている。
お母さんは、同じ動作を何度かくり返した。もうよさそうだ。私が「じゃ、立ってみてください。腰の具合はどうですか」とお嬢さんに声をかけた。
すると彼女は、「あ、痛くない!痛くないよ、お母さん。ありがとう!」といったのだ。一瞬、「サクラか?」と思うほどのドラマティックな展開に、室内はどよめいた。それから、みなの顔が一斉にほころんだ。2人の参加をOKした島崎先生も、おおいに満足そうである。
この瞬間、「腰痛は家庭で治す」という理想に向かって、神の手千本プロジェクトが、大きな一歩を踏み出したのだった。(つづく)
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