小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

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157
アパートを出ると、今朝は快晴である。見上げると空が青い。2月のキーンと冷えこんだ空気に、吐いた息が白かった。今は冬の底だけど、春が近い気もしてちょっとうれしい。今日は池袋で、私の5回目の講習会が開かれる予定なのである。

これまで4回開催した講習会では、施術のプロが対象だった。ところがいざふたを開けてみると、キャリアの浅い人ほど新しい技術の習得が早そうなのだ。これは私だけでなく、補助についてくださった先生方にとっても意外なことだった。

「素人相手の講習会をやったら、おもしろいかもしれないですね」

4回目の講習会のあと、大外先生がそう提案してくれた。たしかに背骨のズレを矯正するだけなら、別にむずかしい技術ではない。勘のいい人なら、すぐに覚えてしまう。

プロ講習会の参加者のなかには、講習会の翌日、背骨のズレを矯正してあげた患者さんから、「先生って神の手ですね」といわれた人もいる。

神の手っていわれるなんてスゴイ。そのやり取りを横で聞いていた杉本さんが、「そんなに習得が早いのなら、神の手を大量生産できますね」といってフッと笑った。

神の手大量生産か、なるほどそれはいい。千手観音という神様がいるけれど、千手観音を1人作るより、5百人がマスターして、神の手が千本になるほうが現実的である。それだけ増えれば、日本中の腰痛患者が救われるじゃないか。

ああワクワクする。おもしろい。杉本さんも、「では、神の手千本プロジェクトですね!」と大乗り気である。なんだかプロジェクトXみたいで、中島みゆきの歌が聞こえてきそうだ。うれしくなって補助の先生方といっしょに盛り上がった。

そこで、神の手千本プロジェクトの手始めとして、まずは家庭で腰痛を治すための「腰痛講座」をやってみることに決まった。今回もメールマガジンで参加者を募集してみると、施術を受けたことのある患者さんたちも、大勢申し込んでくれた。地方からの申し込みもプロ講座以上の反響だ。

なかには、「娘が腰痛で苦しんでいるから、なんとかしてやりたい」というお母さんからの申し込みもあった。メール担当の島崎先生は、「それならその腰痛の娘さんも連れてきていいですよ」と返信してしまったらしい。

武闘派の大外先生とちがって、どこか文学青年風の島崎先生らしい、細やかな対応である。だが、ふつうこの手の講習会で、実際の患者さんを同伴していいなんて話は聞いたことがない。もしもその場で治らなかったら、信用失墜もいいところだ。

まあ、そんなことは百も承知でOKを出したのだから、島崎先生はよほどこの手技の実力を信頼してくれているのだろう。それはそれでありがたいことである。

開催にあたって、今回は大外先生や島崎先生だけでなく、プロ講座の修了生たちも補助についてくださった。なにせ、体のことなど何も知らない素人さんが相手なので、先生の数は多いほうが安心だ。

早めに会場についた私は、今日のテキストを見ながら段取りを考えていた。もうそろそろ時間だナと思って顔を上げると、部屋のすみにムサビの会田先生がいた。開催日程は伝えてあったけど、来られるかどうかは聞いていなかった。

先生は、「自分の体を献体として使ってくれ」といって、講習会のあるたびに、律儀に毎回参加してくださっている。いわば私の応援団長であり、保護者みたいな存在でもあるのだ。

その先生の隣に、どこかで見たことがある人が座ってニコニコしている。あれは、ムサビの関口先生じゃないか。あわててあいさつに行くと、「今日は見学させてください」といって、私に向かって頭を下げた。相変わらず腰の低い人である。

そうこうするうちに開始時刻になった。私が「では」といいかけると、あの腰痛の娘さんが、お母さんに支えられてやってきた。そして入室するなり、「早く座らせてっ」と悲鳴にも似た声を上げたので、室内に緊張が走った。

あまりにつらそうなので、とりあえず治療台の上で横になってもらった。すぐにでも治してあげたいけれど、ここはぜひともお母さんの手でやってもらいたい。

「このまま眠ってしまっても、立って歩き回ってもらってもかまいませんので、なんとか午後までがまんできますか」

そう私がたずねると、お嬢さんは目を固くつぶったまま、しっかりとうなずいた。

午前中は、私の施術方法の概要を伝える座学である。午後からは、みなさんお待ちかねの実技講習だ。最初に背骨のズレの見つけ方を伝えて、それからそのズレを矯正していくやり方を伝える。

手順がなんとなくわかったところで、いよいよ実践だ。先生と参加者とでペアになってやってもらうと、みな呆気ないほど短時間で矯正ができるようになっていく。やはり大外先生の予想通り、プロよりも飲み込みが早い。

実は、「自分はできる」と思っている人ほど上達が早い。「できない、できない」と思い込むタイプの人は、なかなか矯正がうまくいかない。この傾向は、プロでも素人でも同じだった。

あのお母さんはどうだろう。手元を見ると、スムーズではなくてもちゃんと矯正ができているのがわかる。そこでおもむろに、「では、お母さん、お嬢さんの腰痛を治してあげましょう」とうながすと、改めて室内に緊張が走った。

朝から腰が痛くて泣き顔のまま待っていた娘さんに、起き上がって座った状態になってもらう。腰痛がひどいと起き上がるのも一苦労だ。彼女の後ろに回ったお母さんは、今、習った通り、娘の背骨の両脇を指先でなぞってズレを探す。

指が止まったところで、「これ?」といって、自信なさげに大外先生の顔を見る。大外先生が「ウンウン」とうなずく。遠巻きに見ていた他の先生方も、大きくうなずいている。

それを合図に、お母さんは恐る恐るズレた背骨に左手の親指を当て、その下の背骨に右の親指を当てて、ソーッと動かした。その光景を、先生方も参加者たちも、みな固唾を飲んで見守っている。

お母さんは、同じ動作を何度かくり返した。もうよさそうだ。私が「じゃ、立ってみてください。腰の具合はどうですか」とお嬢さんに声をかけた。

すると彼女は、「あ、痛くない!痛くないよ、お母さん。ありがとう!」といったのだ。一瞬、「サクラか?」と思うほどのドラマティックな展開に、室内はどよめいた。それから、みなの顔が一斉にほころんだ。2人の参加をOKした島崎先生も、おおいに満足そうである。

この瞬間、「腰痛は家庭で治す」という理想に向かって、神の手千本プロジェクトが、大きな一歩を踏み出したのだった。(つづく)

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156
私の治療院は、渋谷の宮益坂を上がった先にある。今日は、ムサビの会田先生が定期点検に訪れる日だ。ひとわたり体を調べてみたが、今日も特に悪いところはない。ちょっと腰の骨がズレているくらいのものである。

「大丈夫そうですネ。これならまだまだ死にませんヨ」

私がそういうと、先生は「じゃ、また一杯行くか?」といって、ニカッと笑った。その一言を合図に、私もそそくさと着替えをすませると、先生の後につづいた。

向かった先は、宮益坂の交差点の前にある、そば処「平野屋」である。店内に入ると、いつもの席に陣取って、いつもと同じ「ほろ酔いセット」を注文する。これがいつものパターンだ。会田先生も私もおじさんだから、「いつもの」が大好きなのである。

この店は、渋谷駅前の一等地の1階にあるわりに店内が広い。そしていつ行ってもガラーンとしていて客が少ない。

「こんなんでよくやっていけるナ」
「きっとこのビルのオーナーが、税金対策のために赤字で経営してるんでしょう」

毎度、そんな会話をくりかえしている。失礼な客だ。それでも、じっくりと腰を据えて話をするには、静かで好都合な店だった。しかも安い。これが私には何よりもありがたかった。

初めて来たときは先生におごってもらったから、次は私がおごった。今では交互におごり合っている。そんなことができるのも、この店の安さのおかげなのである。

今日も、「ほろ酔いセット」は出てくるのが早かった。いい店だ。早速、先生はコップの酒をこぼさないように口元に運び、グッと流し込む。そして酒がノドを通過していくのを楽しんだあと、「その話を学生たちにも聞かせてやってくれないか」といった。

ちまたでは、「こうすりゃ体にイイ」という話ばかりがあふれ返っている。だけどホントのところ、そんなモノが本当に体にいいのかどうかは疑わしい。逆に、確実に体に悪いものなら、いくらだって挙げられる。放射線でしょ、薬でしょ、重金属に添加物、そして酒・・・。

そんなことを、酒の勢いを借りてしゃべっていたのだ。先生はそれが気に入ったらしい。

「最近の学生は半病人みたいなのが多くてナ、ろくに授業にも出られンのだヨ」
「へえ、今ってそうなんですか」

私は相づちを打ちながら、先生の空きかけたコップに酒を足す。先生はコップに目を落としたまま、日ごろ気になっている学生たちのことを話し始めた。

「君のいたころとは、全くちがうんだヨ。なんとかしてやりたい。なんとかしてやりたいんだが、体のことまではなかなか・・・」

そういって大きなため息をつくと、また一口、酒を流し込んだ。

昔っから会田先生は学生第一の愛情深い人である。講師のころから、学生のためなら教授陣と戦うことも辞さず。そんな熱血漢でもあった。おかげで私も、どれだけお世話になったかわからない。そんな先生からの頼みとなれば、私は二つ返事で引き受けた。

それから2週間ほど過ぎたころ、私は先生の民俗学の授業で、学生たちに体や健康の話をすることになった。だがここを卒業してから、もうかれこれ20年以上過ぎている。20年もたてば、学生気質も大きく変わっているだろう。果たして今の学生たちに、私の話が伝わるのだろうか。

そもそも私は、人前で話すのが得意なわけではない。友だちの結婚式のスピーチで、「次はもっとうまくやります」などといってしまったぐらいだから、はなはだ心許ない。だが、人体にはプロとして真剣に関わってきた。その経験で得た知識だけでも、今日は伝えて帰ろう。そう決めていた。

しかしいざ健康の前提となる体のしくみについて話し始めてみると、予想に反して学生たちの反応がすこぶるいい。ちゃんと伝わっている手応えがある。特に、私が美術で培ったテクニックを医学に応用したという話は、今の彼らにとって新鮮な驚きだったようだ。

私もかつて苦しんでいたからわかる。美大生だったらみな、何らかの新しいアート、自分独自のアートを必死に模索しているものである。彼らは突破口を求めてもがいている最中なのだ。

そこであえて、目の前のアートそのものから視点をずらしてみる。そのとき初めて見えてくるものがある。そこに新たなアートが生まれる可能性がある。それを感じ取ってくれたのかもしれない。

私にしても、施術を生業にしたことでアートを捨てたつもりなど毛頭ない。今では、人体のしくみを極めることが私のアートだと思っている。

人の体を見るとき、左右対称かどうかの視点で眺めてみる。そこには思わぬ発見がある。私の毎日は発見の連続で、実にエキサイティングなのだ。私がつい興奮気味にそこまで話すと、学生たちはさらに前のめりになった。

よし。これなら、実際に私が美術家の視点で発見した「アシンメトリー現象」について、もっと踏み込んで話してみよう。

「それでは、人体のアシンメトリー現象を、一つずつ具体的に見ていきましょうか」

そういいながら、学生たちといっしょに最前列で私の話を聴いていた会田先生に目をやった。私の視線を受けて、先生は「ホイ来た」とばかりに立ち上がる。事前に打ち合わせしていたわけでもないのに、それはもう阿吽の呼吸ってヤツだ。

先生は教壇までやってくると、サッと作務衣の裾をたくし上げ、学生たちに背中を向けた。そして自分の盛り上がった左の起立筋を、「どうだ」とばかりに誇示している。その一連の動きは、どこかイナセなおあにいさん風である。

「ホラ、ボクの背中のここんところが左だけ盛り上がってるだろう。これがアシンメトリー現象なんだ。もっと近くで見てみろ、触ってみろ」

会田先生がうながしても、ふつうの学生なら少したじろぐシチュエーションである。ところがさすがムサビの学生だ。ノリがいい。先生のまわりに群がると、遠慮なく先生の背中をツンツンつついたり、ベッタベッタと触りまくったりしている。

はたから見れば子どもの遊びみたいだが、こうやって、見るだけでなく触れてみることは思いのほか重要だ。彼らには、じかに生身の人の体を感じ取るいい機会になったはずである。考えてみれば、これぞ美大の授業って感じじゃないか。

それにしても、「アシンメトリー現象」なんて、だれだって見ればわかることなのに、どうしてこれまでのアーティストたちは、だれも気づかなかったのだろう。

それはもちろん、目の前の対象をしっかり見ているつもりでも、脳のフィルター越しにしか見ていない。つまり見えていなかったからなのだ。だがちょっと視点を変えるだけで、見えていなかったものが突如として見えるようになる。

そう説明すると、学生たちの目は一層輝いた。彼らの表情を見ていると、ひょっとしたら「アシンメトリー現象」は、医学よりも美術方面から火の手が上がるのかもしれない。そんな希望が見えてきた。

おかげで私は、気分よく授業を終えることができた。私を呼んだ会田先生の期待にも、少しは応えられたと思う。足取りも軽く教室を出ると、例の関口先生にバッタリ出くわした。

私が授業で話す予定だったのを、会田先生から聞いていたのだろう。「オ、今終わったのか。今度オレのゼミでも学生たちに話してくれよナ」というと、そのままスタスタと歩き去っていったのだった。(つづく)

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155
渋谷駅のホームに駆け上がると、電車は今出たばかりだった。まあいい。山手線は間隔が短いから、すぐ次が来る。焦る必要はない。

ホームに立って息を整えていると、線路の向こうに貼ってあるポスターに目が止まった。そうか。上野の博物館でナスカ展が開催中なのか。テレビもないし、新聞も取ってないから知らなかった。

ポスターのすみには、つぼ型の土器の写真が載っている。赤茶色のつぼの表面は、レリーフ状の人の形になっていて、その顔を見た瞬間、私は息が止まった。

「こ、この顔ってもしや?」

鼻筋が極端に左に折れ曲がり、口角も左側が上がっている。それはもう、ものの見事に、「アシンメトリー現象」が表現されているのである。

これは適当にイメージして造ったものではない。明らかに、モデルの顔に似せて造られたのだ。そうでなければ、ここまで特徴をつかんだ似顔絵みたいな表現にはならない。それが私にはわかる。

当時、でき上がったばかりのこのつぼを見せられた人たちは、「おい、アイツにソックリじゃないか!」といって大笑いしたにちがいない。

それにしても二千年も前のつぼに、「アシンメトリー現象」が表現されているとはおどろきだ。以前、岡本太郎が縄文時代の火焔土器を見て、「あの時代にオレの作品をマネしたヤツがいる」といった話を思い出す。

地球の真裏の南米ペルーで、しかも大昔のナスカの時代に、私と同じ発見をした人がいたのだろうか。そう思うと感慨深い。これはぜひとも上野に行って、この陶工と語り合わねばならぬ。

翌日、勢い込んで上野の博物館に出かけた。だが平日にもかかわらず、館内は人でごった返している。これはどういうことだ。そんなにナスカは人気なのか。

「上野の人混みはアメ横だけでたくさんだッ」

声には出さずにブツブツ文句をいいながら、大勢の人をかき分けて前に進む。すると会場の中ほどに、お目当てのつぼが鎮座して私を待っていた。

このつぼはポスターに載るほどだから、今回の展示ではスター格である。そのはずなのに、みなチラッと一瞥しただけでサッサと通り過ぎていく。これ幸いと、私はすかさずつぼの真ん前に陣取って、じっくりと観察させてもらうことにした。

やはりつぼの実物を見ても、私がポスターを見て感じたことはまちがっていなかった。この顔は、陶工の技術不足のせいで、たまたまゆがんでしまったわけではない。彼は意図的に、顔の形を変形させているのである。これは私にとっては大発見だ。

つぼの前で考え込んでいると、次第に私の周りに人だかりができ始めた。さっきまでは私一人だったのに、今ではみなが「私の」つぼをしげしげと見つめている。

「アァうっとうしい。アメ横にでも行きやがれッ」

もちろん口には出さない。でも、私のところで流れが滞留するのも迷惑だろう。気を取り直して他の展示も見ることにした。

あのつぼから離れてみると、なんと他にも顔を変形させたつぼがある。それらもみな、鼻を左に曲げてあるではないか。これも同じ人をモデルにしたのだろうか。

展示ケースの脇にある小さな説明書きを読むと、それぞれの制作された時期は、全く別の時代だった。つまり鼻を左に曲げた表現は、時代を超えているのである。これまた大発見ではないか。

それじゃナスカでは何世代にもわたって、鼻が左に曲がった人がたくさんいたのだろうか。ひょっとしたら彼の地では、鼻は左に曲がっているのが当たり前だったのかもしれない。うーむ、ますますおもしろい。

さらに他の展示物を見ていくと、私の足が一点の頭蓋骨の前で止まった。これはトロフィーだ。トロフィーというのは、戦で敵の首を切り落としてミイラにしたものだ。ミイラとはいっても、もうほとんど骨だけの状態になっている。

その頭蓋骨は、あのコペルニクスやうちの骨格標本のジェームスくん同様、左半分が変形していた。これは決定打である。やっぱり古代ナスカには、「アシンメトリー現象」の顔をもつ人がいたのだ。

逆に、どっちを向いても「アシンメトリー現象」の人だらけだった可能性もある。だからこそ、当たり前のようにつぼにだってそのまま表現されているのだろう。

ナスカといえば、地上絵で有名なミステリーゾーンである。そこに新たなミステリーが加わったのだ。ひょっとしたらこれは、人類学的にも大発見かもしれない。

「アシンメトリー現象」はいつから人類に現れたのか。この問いの答えに向かって、これでまた一歩近づけた気がした。(つづく)

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154
私のまわりには、釣り好きの女性がけっこういる。先日も、その筆頭の河原さんが、自分が釣ったフグをくれようとして困った。たまたま仕事の打ち合せ中にその話をしたら、杉本さんまでが、「私もいちど釣りをしてみたい」といい出した。

ちょっと待てよ。杉本さんはどう見てもオタク、いやインドア系ではないか。他のワイルド&アウトドアな友人たちとは、全くタイプがちがう。日焼けとか海風とか、ましてや釣りエサのイソメ手づかみなんて、からっきしダメそうだ。

彼女の意外な申し出にとまどった私は、「エエ、じゃ、ま、今度行きましょうか」と、あいまいな返事をしておいた。

実際、「いちど釣りをしてみたい」という女性は多いけれど、ほとんどは私に話を合わせているだけなのだ。ところが杉本さんは、「それではいつにしますか」といいながら、もうスケジュール帳に手を伸ばしている。

イカン。本気である。さすが元・野武士。武士に二言はなかったのだ。

そもそも釣りには、一発大物狙い派と、釣れりゃあ雑魚でも何でもイイ派がいる。フグまで持って帰る河原さんは、もちろん後者である。私はというと、いつだって大物狙いなので、全く釣れないで手ぶらで帰ることが多い。

しかし杉本さんは初めての釣行だから、やっぱり何か釣って帰りたいはずだ。そういって水を向けると、手帳をにらんだまま、「いえ、一発大物で」と即答だった。恐る恐る「釣れないかもしれませんヨ」と念を押したが、それでもいいらしい。

そうか。それならそれで行こう。だが大物狙いとくれば船に乗るべきなのに、あいにく私は船酔いにめっぽう弱い。もちろん船は高くつく。そこでとりあえず、いつもの陸釣り(おかづり)と決めた。

翌週の水曜日。手帳を見ていたら、明日は仕事の予約が入っていないことに気がついた。しがない自営業者としては、仕事に空きがあるのはありがたくない。しかし、これは約束を果たすチャンスである。お天気も悪くなさそうなので、早速、杉本さんに電話して、翌朝の始発電車のホームで待ち合わせることにした。

ホームに着くと、いつもの格好の杉本さんが立っていた。足元だけはスニーカーだ。もちろん私も釣り用のウエアなんか持っていないから、普段着のままである。始発だし、通勤客とは逆向きなので車内も空いていて助かった。

電車を乗り継いで向かった先は、小田原の早川駅からそれほど遠くない場所だ。漁港の先に、ちょっとした釣り場がある。ここは電車で行ける場所のわりには、案外よく釣れる。

ところがいつもの釣りポイントに着いてみると、海岸には古タイヤやら漁具やら、得体のしれないゴミが大量に打ち上げられていた。昨日はえらく海が荒れたようだ。

「こりゃダメだな」

海が荒れた次の日というのは、釣れたためしがない。案の定、エサを付けた針を投げ込んでも、竿先はピクリともしない。杉本さんには申し訳ないが、早くもボウズの気配が濃厚だ。

それでも杉本さんは、釣りの合間に浜を歩き回っては、ビーチコーミングにいそしんでいる。ゴミに混ざって、色とりどりの貝殻が混じっているのを見つけては、砂の上に並べている。

私も周囲を見回すと、15センチほどの細長い骨が、砂に半分埋まっているのを見つけた。拾い上げてみると、波に洗われた真っ白の骨だ。私は2、3度握ってみてから、近くの古タイヤの上にのせた。

結局、この日は1日粘っても釣果はゼロで、二人して見事にボウズだった。杉本さんとしては、海に来られただけで満足そうである。私も約束が果たせてホッとした。

日暮れに乗り込んだ東海道線の車内は、通勤帰りのサラリーマンで混んでいた。ほどよい疲れとともに電車に揺られていると、吊り革を握った手のなかに、砂浜で拾ったあの骨の感触がよみがえってきた。

「あ、あれはヒトの骨だ!」

思わず声が出た。あれは人骨で、成人男性の上腕骨の感触だった。あのときは釣りに意識が向いていたけれど、今、冷静になって思い返してみると、まちがいない。となりに立っている杉本さんに話すと、「それなら警察に届けないといけませんね」といった。

そうだそうだ。人骨を見つけたとなったら警察だ。私は駅で杉本さんと別れたあと、アパートの近くにある交番に立ち寄った。都合よく、暇そうにしていたお巡りさんに、小田原の海岸で骨を見つけた話をしたら、管轄の署へ連絡してみるといってくれた。これで責任は果たした。

その翌々日、「さあ昼ご飯でも食べに行くか」と思っていると、私の携帯電話が鳴った。「0465」から始まる見慣れない番号だ。あわてて出てみたら、小田原の警察署からだった。

その人の話では、あの骨は私がいった通り、海岸の古タイヤの上で見つかったようだ。調べてみたらやはり人骨で、成人の上腕骨だったらしい。しかし事件性が薄いので、「この骨は、こちらの署で処分することになりました。ご協力ありがとうございました」。そういって電話は切れた。

やっぱりね。でも、ちょっと握ってみただけで上腕骨と見破ったとは、われながらスゴイじゃないか。そう思う反面、あの状態でなぜ事件性がないと判断できるのか。そこがふしぎだ。

あれは決して火葬された骨ではない。しかも波で洗われてはいても、骨の折れ口は新しかったのだ。事件性はなくても、事故かもしれないじゃないか。

早速、杉本さんにも、このいきさつを報告した。人骨だったなんて気味悪がるかと思ったら、全く気にもしない。それどころか、「警察で処分しちゃうんですか。落とし主が現れなかったら、あの骨はあとで先生がもらえるはずだったのに」と妙なことをいっている。

そういわれてみれば、そうかもしれない。経緯はともかくも、事件性がないのなら、たしかにあれは落とし物である。腕の(骨の)落とし主が、まだ生きている可能性だって、「絶対にない」とはいえない。

イヤイヤそんなことよりも、あの浜には、まだ他の部分の骨だって砂に埋まっているんじゃないか。そんなことまで考え始めたら、また骨を探しに行かなきゃいけないような気がしてきたのだった。(つづく)

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153
「センセ~、これ読む~?」

そういって、患者さんが科学雑誌を置いていってくれた。休み時間にパラパラめくっていると、天文学者のコペルニクスの顔が載っていた。

「エッこれって!?」私はその顔に目が釘付けになった。

彼の生きた16世紀にはカメラなどない。だからこれはコペルニクス本人を撮った写真ではない。そこにあったのは、彼の遺骨から復元された、精巧なイラストだったのだ。

骨から復元といえば法医学だろうが、ふつうに暮らしていたら法医学などとは縁がない。もっぱら海外のドラマで見るだけだ。

身元不明の遺骨が発見されると、さっそうと現れた法医学者が、その骨から生前の顔を復元し、死因や凶器まで特定して殺人事件を見事解決!そんなシーンがおなじみだ。今の法医学の技術は、それほど正確なのだろうか。

もちろん私には、このコペルニクスの復元イラストが正確かどうかはわからない。私がおどろいたのは、彼の顔に「アシンメトリー現象」の特徴が、はっきりと現れていたからだ。

彼の左目は明らかに右よりも小さい。しかも左目の眼球が上がって、上目づかいになっている点まで再現されている。細い鼻筋は大きく左に曲がり、口角も左が上がっている。

それだけではない。頭の骨だけで復元したはずなのに、彼の左肩は見事に右よりも上がっているのである。「アシンメトリー現象」の説明画像としては、ほぼ満点の出来栄えだ。

それにしても、頭の骨だけから、どうしてここまで完璧に「アシンメトリー現象」の特徴を復元できるのだろう。私は、元になった頭の骨と、復元された顔をじっくりと見比べてみた。すると次第にそのしくみが見えてきた。

コペルニクスの頭の骨は、左半分が若干つぶれたように変形している。そして目、鼻、口の部分の変形が、それぞれ「アシンメトリー現象」の特徴になっているようだ。

「フーン、なるほどね。骨がこういう風に変形すると、顔の形がこうなるのか。おもしろいじゃないか」

クルリとイスを回した私は、部屋のすみに吊ってある、骨格標本のジェームスくんに目が行った。

彼は身長180センチほどで、若いドイツ人だったようだ。うちに来たときからジェームスくんと呼んでいるけれど、ドイツから来たならヤーコプくんとかにするべきだったのかもしれない。

それはさておき、私は前から、彼の骨格が左右で非対称なのが気になっていた。でも、ヒトの骨の形なんてじっくり見たことがなかったから、「こんなものか」と思いこんでいたのだ。

ところが彼の骨は、コペルニクスの遺骨と同じように変形している。そうなると、生前のジェームスくんも、左目が小さくて鼻が左に折れ曲がり、左の口角が上がっていたのだろうか。

それだけではない。彼の背骨の一つ一つが、24個すべて非対称な形をしているのだ。私はこれが最も気になる点だった。ひょっとしたらこの変形は、「アシンメトリー現象」の最大の特徴である、左の脊柱起立筋が盛り上がっていたことの証明なのかもしれない。

少なくとも、本来であれば対称に使われるはずの背中の筋肉に、左右で片寄りがあったことはまちがいない。ここまで骨が変形していたら、ジェームスくんの体には、子どものころから「アシンメトリー現象」があったのではないか。

彼の骨は太くて立派なのに、なぜ若くして亡くなってしまったのだろう。同じ特徴をもつコペルニクスは70歳まで生きたというのに、この2人の寿命のちがいは一体何だろう。

コペルニクスには、いつからこれほどの「アシンメトリー現象」が現れるようになったのか。その原因は何だったのか。私のなかで、次から次へと新たな疑問が湧き上がってくるのだった。(つづく)

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