小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:オリジナル小説

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117
いよいよ私の勉強会が始まった。参加者はほぼ顔見知りばかりだが、全員男性なので、男子校の先生になったみたいな気分だ。ふと私は、高校で美術教師をしていたころのことを思い出す。

美術教師というのは、ふつうは女子生徒に人気があるものだと聞いていた。それなのに、なぜだか私のところには、札付きの不良男子ばかりが集まっていたのだ。この勉強会は、あのむさ苦しい雰囲気に似てどこかなつかしい。

主催者として私を招いてくれた大外先生にしても、相当ヤンチャな青春時代を過ごして、数々の武勇伝をもっている。その大外先生が集めただけあって、どうも今日のメンバーも体力自慢らしい。

そのため彼らの治療院では、強もみやバキバキと骨を鳴らす力技が売りになっているそうだ。もちろんやってくる患者さんたちも、そういう荒っぽい施術を期待している人が多いのだという。

施術者のなかには、施術は力が強ければ強いほど効果があると思い込んでいる人もいる。しかし強い力を使えば、それだけ事故も起きやすくなる。人によっては骨折したり、神経を損傷したりすることもあるから、施術に強い力は厳禁だ。

その点、私はもともと筋力も体力もないので、最小の力を使って、最短の時間で最大の効果を上げることしか考えてこなかった。これは私だけでなく、患者さんにとっても負担が少ないのでメリットが大きい。

実際、左の起立筋が盛り上がって、左半身の感覚が鈍くなっている人は、体の状態が特殊なのである。力自慢の施術家がどんなに強い力でもんでも叩いても、一向に体の奥にある不快なポイントまでは届かない。

ところが私が開発した手技で知覚が変化してしまうと、軽く触れただけでも不快な部分の大元にまで響くようになる。強い力など全く必要としないのだ。

以前、新宿のクリニックで診ていた子宮頸がんの荒井さんも、最初はすこぶる左半身の感覚が鈍かった。よろいを着ているのかと思うほど、外からの刺激に無反応だった。

しかし施術で一旦知覚が変化したら、私がほんの少しみぞおちのあたりを押しただけで、がんのある下腹部にまで痛みが響くといっていた。ここまでできれば申し分ない。これがこの勉強会の最終目標だろう。

今日は初めての人もいるから、まずは私が発見した現象の説明から始めた。ところが彼らは説明を聞くよりも、実際に手を動かしたくてウズウズしているのがわかる。「こりゃイカンな」と思っていると、なかに一人だけ毛色のちがう人が混じっていた。

聞けば彼は歯科技工士で、業界ではかなり知られた人らしい。そんな人がなぜ整体の学校に通っているのかはわからないが、彼だけは私の理論そのものも、興味深そうに聞いてくれていた。その姿勢が救いだった。

理論的な説明が一通り終わると、さあみなさんお待ちかねの実践だ。指の使い方や、ねらう神経のポイントの見つけ方をかんたんに伝える。そして「決して強い力にならないように」と念を押してから、二人一組になってお互いの体で試してもらうことにした。

試してもらうといっても、私には「見た通りにやってください」としかいえない。このまま私一人で指導するのは、いかにも心もとない。そう思っていたら、大外先生が助け船を出してくれた。

先生はそれぞれの人の手の使い方が、私の手とどうちがうのかを即座に見極めて、適切に指導していくのである。さすがに教え方に年季が入っていてうまい。

しかしせっかくの先生の指導も虚しく終わった。彼らは何度やってもうまくいかないものだから、いつしか際どい角度で突き刺すように押し始めたのである。案の定、力技の受け手になった人たちからは、「ギャーッ」「ヒーーーッ」という悲鳴が漏れ出した。

古びた区民会館の一室から、夜のしじまに響き渡る阿鼻叫喚。私の勉強会はまだ始まったばかりだというのに、行く末には早くも暗雲が垂れこめているのだった。(つづく)
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116
人に何かを教えることは、自分自身にとっても学びが大きい。頭のなかにまとまりもなくつめ込まれていた内容が、むりやり整理される。せっぱつまった引っ越しのときみたいに、なくしたと思っていた大事な物が意外なところから出てくることもある。

あの日いきなり、整体学校の大外先生から、勉強会を開催してほしいといわれた。この提案は、私には自分の考えをまとめるチャンスだと感じられた。その数日後、先生からかかって来た電話によると、すでに勉強会の話が進んでいるらしい。

私が発見した現象や、開発した手技を学びたいという人が、10名ほど参加することになっていた。整体学校の先生方だけでなく、卒業生で施術のプロとして活動している人たちもいるようだ。

ただし、大外先生が所属しているあの整体学校で、表立って私の勉強会をやるわけにはいかない。だから近くの区民会館の一室を借りる予定なのだという。

そこまでいうと先生は、少し口ごもりながら「師匠への謝礼はいかほど?」と聞いてきた。そのお気持ちはありがたい。しかし目先の利益など大した問題ではない。それよりも今の私には、だれかにこの理論と技術を伝えることのほうが重要だった。

私から伝わった情報がその先で大きく展開していって、ねずみ講のようにまたたく間に全世界へと拡大していく。そんなイメージをもっていた。昔の少年雑誌に登場する、怪人Xの野望みたいなものだ。

これまでの私は、だれか一人のすごい権威をもっている人にこの情報を伝えさえすれば、その人が「それはおもしろい!ぜひとも私が研究してみましょう」などといってくれるのではないかと期待していた。

ところが、あれだけ医学界から政界にいたるまで、あらゆる権威ある人たちに伝えてきたのに、一向にそんなことが起こる気配がない。それどころか、だいたいが鼻にもかけてもらえない。

こうなったら逆の発想でいくしかない。今回のように、末端の施術者から広げていけば、時間はかかってもいつかは世界征服できるだろう。そんな空想が果てしなく広がっていく。

私が自分の世界に没頭していると、私の返事を待ちかねた大外先生から、再度「それで、いかほど」と声がかかる。私がだまっているのは、謝礼の金額で迷っていると思ったらしい。

とっさのことなので、私は思わず「そんな水臭い、タダでいいですよ、タダで」といってしまった。どの口がこんなことをいうのだ。またしてもエエカッコシイの悪いクセが出た。

大外先生も「エッそんな、イイんですか?それは悪いナ~」といいながら、そのまま引き下がった。しかし謝礼が無料と決まったことで、早速、次の日曜の夜から勉強会が始まることになった。

それにしても、大外先生ほどの人に見込んでもらえたのは誇らしい。先生はこの業界の経験が豊富で、整体だけでなく古今東西のさまざまな療法にくわしいのだから、なおさらだ。

そもそも民間療法の業界では、「我こそは」とお山の大将になりたがる人ばかりなのである。目新しい派手なワザを開発しては、マスコミで大々的に宣伝してカリスマを演じる。

ところがそんな療法には、実体が伴わないことも少なくない。始めのうちこそ盛大に支店を拡大していくけれど、3年もしないうちに見事にみな消えていくのである。

そういったシロモノとちがって、大外先生は私が発見した現象と開発した手技が、唯一無二の本物だと思ってくれたようだ。もちろん私自身もそれを確信している。しかし、まだこの現象の全容がつかめていないので、これから開発の余地は大いにある。

なぜ起立筋は左だけが異様に盛り上がるのか。
なぜ左半身の感覚が鈍くなるのか。
そして、なぜ左なのか。

これから調べていくべきことが山ほどある。私は、ここに人類の未来がかかっているのではないかとすら思っている。だがそう思えば思うほど、私の心理的な負担も増していく。

そんな重荷を背負いつつ、いよいよ勉強会の初日を迎えた。とうてい私一人の力で解決できる問題ではないから、いっしょに担ってくれる人を見つけたい。ここに人類の未来(と私の野望)がかかっているのだ。

なじみの池袋駅から5分ほど歩いて小さな公園を抜けると、ひび割れの目立つ古い区民会館に到着した。手すりにサビの浮いた階段を上がると、ドアが開いている一室が目に入った。ガヤガヤと声がしている。私がなかをのぞくとピタリと静まって、マジメそうな目玉が一斉にこちらを見た。わずかに緊張が走る。

いがぐり頭のごつい男性がいると思ったら、見慣れない私服に身を包んだ大外先生だった。ここでまちがいない。この汚い畳のうえに、私の世界征服への記念すべき第一歩が、今まさに記されようとしているのだった。(つづく)
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111
明るい光で目が覚めた。ここはどこだろう。メガネがないからよく見えないが、この陽射しはどう見たってうちじゃない。そうだ。沖縄のホテルに泊まってるんだった。胸の奥にプクッと楽しい気分がわいてくる。
窓まで行って外を見ると、視界をさえぎるものは何もない。どこまでもつづくサンゴ礁の海が、強い陽射しを跳ね返して深く青く輝いている。これを見られただけでも来たかいがあった。

今日はいよいよダイビングだ。ホテルのバイキングで栄養を補給した私は、重いおなかと機材をかついで、チームのみんなと船に乗る。私たち8人を乗せた船は、まっすぐにダイビングスポットへと向かった。スピードを上げると、顔に当たる潮風が気持ちいい。

だが、ボーッとしていてはいけないのだ。初心者の私は機材の取り扱いにも不慣れだから、準備に時間がかかる。私がモタついていると、あちこちから手が伸びてきて、みるみるうちに装備は整った。

30分ほど沖に進むと、水深20mの地点で船が停まった。海の底まではっきりと透けて見えていて心が踊る。すぐさま、みんなは勢いよくドボンドボンと水しぶきを上げて飛び込んでいく。呆気にとられている間に、残っているのは船長と私だけになってしまった。

船長が、「どうする?」とでもいいたげな顔で私を見たから、意を決して手順通りに、タンクを背負った状態で後ろ向きに飛び込んだ。飛び込むというよりも転落に近い。着水した途端、大きな泡に包まれて一瞬上下の感覚を失った。

少し息を吐いてから息を整えると、目の前には水底に向かってロープが垂れていた。このロープをつたって下へ下へと降りていく。その間に少しずつ緊張が取れてきた。20mは深い。耳も体もギュッとつまってきて、また緊張で胸がドキドキしてきた。

ようやく足ヒレの先が海底に着いたところで、ホッとして上を見る。海中に射し込んだ太陽の光が、ユラユラとやさしく揺れている。思わず見とれていると、今野さんが寄ってきて、私の腕を引っぱって勢いよく泳ぎだした。

何かを伝えようとして彼女が指差した先に目をやると、1メートルほどのウミヘビがいた。ウミヘビには猛毒があるけれど、かまれることはめったにない。彼らは好奇心が旺盛だから、私の足先に近寄ってきて、フィンの動きに合わせて身をくねらせている。海の仲間だと思ったのかもしれない。

ダイビングは楽しい。非日常で気分が高揚する。その分だけ危険も多い。特に南の海には、ウミヘビだけでなくクラゲやタコ、貝、魚に至るまで猛毒をもつ生き物がたくさんいる。それでもベテランがいっしょだとかなり安心できる。

ベテランといえば、超ベテランダイバーであるスタントマンのボスの話を思い出した。ずっと以前のことらしいが、八丈島の沖で潜っていて、浮上してみたら、待っているはずの船が見当たらないのだ。

まさかと思って、360度グルリと見回してみても何もない。見渡す限り、水平線がつづくだけだった。仕方がないので静かに海に浮いたまま、一昼夜流されて千葉沖まで流されたのだという。すごい話である。助かったからいいようなものの、ボスの話はレベルがちがいすぎて実感がわかない。

それとは別に、長時間水中作業をしているときに、窒素酔いでえらいイイ気分になって、危うくそのまま死ぬところだった話も聞いたことがある。いっしょに潜っていた人が、彼の異変に気づいてくれたおかげで助かったらしい。

水圧の高い水の中にいると、窒素を吸い込む量が多くなる。その窒素の麻酔効果のせいで、酒に酔ったみたいになってしまうのが窒素酔いだ。

また窒素は減圧症の原因にもなる。減圧症はダイビングなどで、水深の深いところから急浮上すると、血液中の窒素が気泡になることで起きる血流障害である。

私は減圧症を体験した人を診たことがあったが、彼の体はまるでふとん圧縮袋に閉じ込めたように、バチッと固くなっていたのを覚えている。

さて20分ほど海底の景色を楽しんだあと、私は無事に船までもどることができた。これから浜にもどって昼食をとり、午後からは別のポイントで潜ることになっていた。

ところが私は慣れない運動と緊張のためか、一本潜っただけで今日の体力を使い果たしてしまった。もう自分の酸素ボンベをかつぎ上げるパワーすら残っていない有り様だ。

ダイビングは一人では潜らないのがルールだから、ペアを組んでいる今野さんには申し訳ないけれど、私だけ午後の部はパスさせてもらった。何事も無理をしないのがモットーだ。

昼食後、一人になった私はホテルの前にあるヤシの林に行ってみた。そこにはゆったりとしたデッキチェアーが並んでいる。木々の間を心地よい風が吹き抜け、風に揺れるヤシの葉がデッキチェアーに影を落としている。

もってきた文庫本を手に、私はデッキチェアーに横たわる。だれもいない静かな空間で、南国のリゾート気分にひたっていた。なんという贅沢な時間だろう。

だがそんな時間は長くはつづかない。背後にザワザワと人の気配が近づいてきた。声の感じからすると、どうやら両親と娘二人のファミリーのようだ。チラリと目やると4人とも立派な体格で、何だかイヤな予感がする。

下の娘さんが、「わ~デッキチェアーだ~」と声を張り上げると、お母さんらしい女性と二人で私の真うしろの椅子に近づいてきた。しかしどう見ても、彼女たちのサイズと椅子のサイズが合っていないのだ。

私がわずかに危険を察知した瞬間、「ギャッ」という悲鳴とともに、鈍い破壊音がヤシの林に響いた。つづけて「ヤダーッこのイス壊れてる~」という叫び声が聞こえてきた。

振り向いてはいけない。決してうしろを振り向いてはいけない。塩の柱になってしまう。そう自分にいい聞かせて、私はギュッと目を閉じた。何秒かそのままじっとしていたら、周囲にはまた静けさがもどっていた。

恐る恐る振り向くと、そこには哀れなデッキチェアーの残骸が2つ、砂の上に横たわっていた。そして何もなかったかのように、ヤシの林を爽やかな風が吹き抜けていくのだった。(つづく)

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109
いつもお世話になっている樹森さんから電話があった。「ちょっと診てあげてほしい人がいるのヨ~」と、相変わらず元気な声である。

それよりも、樹森さんのところでベビーシッターをしている瀬戸さんの妹さんが、その後どうなったかが気になっていた。私がすすめて受けてもらった検査で、脳に動脈瘤が発見されたことまでは聞いていた。

樹森さんが聞いた話では、瀬戸さんの姉が脳動脈瘤破裂で急死していたので、すぐに手術に踏み切ったらしい。その後の経過も順調だと聞いて、私はやっと安心できた。樹森さんと二人で「よかった、よかった」といいあったあと、彼女は今日の電話の本題に入った。

実は彼女はかなりの売れっ子作家さんなのである。その仕事関係で、マンガ雑誌の編集者がいるらしい。その彼が担当しているマンガ家が、締め切り間近だというのにへばってしまって、仕事が進まないで困っているというのだ。

ことあるごとに樹森さんから私の話を聞いていた彼は、私ならなんとかできると思ったらしい。締め切りまででいいから、私に彼の体をもたせてほしいと頼んできたのである。

徹夜でへばっているのなら寝ればいいだけだが、その余裕がない。締め切り前の切羽詰まった状況は樹森さんにも覚えがあるから、編集者氏の頼みを無下に断ることもできなかったようだ。

いつものことながら、樹森さんから「とにかくちょっと行ってあげて」と強くいわれたら、私は断れない。今日の予定をあちこちやりくりして、なんとかその日のうちに、そのマンガ家の仕事場まで行くことになった。

うちから井の頭線に乗って吉祥寺駅で降りる。繁華街を抜けて指示された住所まで来ると、住宅街に古めかしい一軒家が立っていた。その傷だらけの木製扉の前で呼び鈴を押す。なかから「ハイ」とも「オイ」ともつかないくぐもった声がしたと思ったら、少しだけ開けた扉の間から、不健康そうな若者がノッソリと顔を出した。

彼は私の顔を見るなり、「ア、先生ですね」といって扉を大きく開けた。どこか懐かしい造りの玄関で靴を脱ぐと、すぐ手前の部屋に机が並んでいる。そこには彼と同じように疲れ切った感じの若い人が5人、机にかじりついて一心不乱にペンを走らせていた。これがマンガ家の仕事場なのか。

私が入ってきたのを見て、彼らのうしろに立っていた男性が、「あ、先生、よろしくおねがいします!」というと、スーツのポケットから名刺を出した。超がつくほどの有名出版社である。どうやら彼が樹森さんの知り合いの編集者らしい。

彼の案内で隣の部屋に行くと、座敷にふとんが敷いてあった。事前に用意したというよりも、ずっと敷きっぱなしなのだろう。にごった空気がただよっている。彼に「センセーッ」と呼ばれて入ってきたのは、彼らのなかでもひときわ疲れ切った感じのする青年だった。

編集者氏は「しっかり治してあげてくださいね!」と私にいうと、急いで隣の作業部屋へもどった。だがしっかり治すも何も、単なる睡眠不足による過労じゃないのか。そんな体を手技でどうしようもないのである。

とはいえ、とりあえず一通り体をチェックしてみると、疲れのせいで、若いのに体の張りがすっかり消え失せていた。髪もヒゲも伸び切っているから、昔うちの近所で寝起きしていた薄茶色のノライヌを思い出す。

背中を見ると、背骨に大きなズレはない。これなら問題はなさそうだ。やっぱり単に疲れているだけである。仕方がないので、一応、背骨のまわりを軽く刺激して、疲れが取れやすい状態にしてみよう。

本来なら、私の刺激でリラックスして、そのままちょっと寝てもらうと一挙に元気が回復するものである。しかし今はそのちょっとが許されないのだ。そこで、彼が眠り込んでしまわないように、会話をしながら刺激を始めた。

おどろいたことに、彼はまだ二十歳になったばかりなのだという。憧れのマンガ雑誌で連載が始まった途端、一気に人気に火がついて忙しくなった。締め切り間際には連日徹夜がつづく。おかげで、すでに父親の年収をはるかに超える収入なのだという。

その話を聞いて、私の手がピタリと止まった。マンガの世界はなんてすごいんだろう。同じ美術業界とはいっても、景気に全く左右されることなく、売れないまま絵を描きつづけている美大の仲間たちとはえらいちがいである。

私だって絵描きのころは売れなかった。だが特殊美術の仕事を始めて、テレビ局に出入りしていたころは徹夜つづきだったことを思い出していた。

当時のテレビ業界の1日は24時では終わらない。打ち合わせが26時から始まって、そのまま朝の番組の収録がスタートするのも当たり前だった。2日も3日もつづけて徹夜することだって珍しくもなかったのである。

徹夜に弱い私は、寝不足で足がむくんで靴が脱げなくなることもあった。車を運転していて赤信号で眠り込むことも多かったから、事故死や過労死のリスクは非常に高かったはずだ。

しかしそれだけハードな毎日でも、このマンガ家の彼みたいに稼いでいたわけではない。そう思うと、動きが止まったままのわが手をじっと見た。いやいや、人生は人それぞれだから比較しても始まらない。気を取り直して刺激をつづけた。

逆に疲れさせてもいけないから、今日はこれぐらいにしておこう。私はただ彼の疲れが取れることだけを祈りながら施術を終えると、隣の部屋にいる編集者氏に「終わりましたよ」と声をかけた。

彼がもどってきて「どんな感じですか」と聞いてくる。「体そのものに問題はないけど、このまま無理をさせると過労死しますよ」と昔の自分に重ね合わせて忠告しておいた。

ところが彼は、「イヤ、締め切りにさえ間に合えばイイんで」といって、先のことなど全く心配していない様子である。代わりのマンガ家などいくらでもいるという意味だろうか。やっぱりマンガ業界は恐ろしい。

こんなタコ部屋みたいなところに長居は無用である。まだ世間話でもしていたそうな編集者さんを尻目に、私はそそくさと家を出た。

いくら稼げたってあれじゃあナ。そう思うと、ボロ雑巾みたいになってマンガを描いているあの青年が哀れに思えてくる。そのまま駅に向かって歩きかけると、静かな住宅街の屋根の向こうに、街のネオンがかげろうのようにぼやけて見えた。(つづく)

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107
樹森さんの運転する車が、買い物客でにぎわう吉祥寺の街をゆっくりと抜けると、あっという間に春子さんが待っている瀬戸さんの家に着いた。見上げるほど大きなマンションの前で、「ここです」といわれて入った地下駐車場には、高そうな外車がズラリと並んでいた。

春子さんはこの高級マンションの1室で、3人の娘さんたちと暮らしているらしい。エレベーターが開くと、このフロアには1室しかないようだ。瀬戸さんが鍵を開けると、今日は突然の訪問にもかかわらず、室内がきれいに片づいていて少しおどろいた。

ふつうなら、腰痛などで動けない人の部屋はすごいことになっているものだ。それを見慣れているから、散らかっていても私は全く気にならない。ちょうど在宅していた娘さんたちが急いで片づけたのかもしれないが、もともとみんなきれい好きなのだろう。

瀬戸さんに案内されて、私と樹森さんは春子さんの寝室へ入った。私たちの姿を見た春子さんは、痛みをこらえて必死にベッドから起き上がろうとしている。私はベッドにかけよると、「まあまあ、そのままで」と手を差し伸べた。

差し出した私の手には、意外にもしっかりとした骨格の感触が伝わってくる。私は彼女の体を支えながら、もとの寝た姿勢にゆっくりともどす。「この状態でちょっと腰を診てみますからね~」といって、彼女の背中側にすばやく回り込んだ。

春子さんは若いころに患った脊椎カリエスで背骨が変形している。そのせいで背中が大きく曲がっているから、仰向けにはなれない。しかし背骨のズレを確かめるには、この横向きの体勢がちょうどよかった。

調べてみると、確かに彼女の背中は大きく曲がっているが、腰の骨には変形らしきものはなさそうだ。ところが腰の3番目の骨が大きくズレている。コイツだな。こいつが腰痛の原因だろう。

春子さんのようなひどい腰痛の場合、5個ある腰の骨のうち、3番目の骨が大きくズレていることが多い。しかもここがズレると頻尿にもなりやすいから、動けないのにトイレが近くてはよけいに大変だったはずだ。

私は「今から腰のあたりをさすりますからね~。ちょっとでも痛かったらいってくださいね~」と、やさしそうに声をかける。日常の会話でこんな口調だと気味が悪いと思うが、初対面の病人が相手なのだから仕方がない。

そんなことよりも、今は痛みを取ることが肝心だ。春子さんの腰にそっと手を当ててみると、炎症の熱と腫れが感じられた。これは「ココがズレて痛みを出していますよ」という証拠でもある。それを確認してから、ゆっくりとズレた骨を定位置にもどしていく。本人は、やさしく腰をさすってもらっているとしか感じないはずだ。

この動作を5~6分ほどもつづけると、腰の熱と腫れが少しずつ引いてきた。なおも同じ動作をくり返す。すでに春子さんは私の手の動きに慣れて、表情からも緊張が取れてきた。

このやり取りは、運転手役で付き添ってきた樹森さんにとっては、いつものパターンだから見慣れている。しかし春子さんの娘さんたちには初めての光景なので、不安気に私の手元をのぞき込んでいる。

だいぶ腰の熱と腫れが治まってきたところで、春子さんに「起きられますか?」と声をかける。私が手で体を支えながら、ゆっくりと上体を起こしてもらうと、一瞬、「イタッ」と声を上げた。

ドキッとしたが、実際にはそれほど痛くはなかったようで、すぐに表情がやわらいだ。すかさず私は、座った姿勢の彼女のうしろに回り込むと、改めて3番目の骨のズレをもどしていく。

そうやってトータルで20分ほど矯正をつづけたら、腰のあたりの感触が最初とは全くちがってきた。どうやら彼女の腰痛はカリエスとは関係なかったようだ。一般的な腰痛患者と同じで、背骨のズレが原因だったのだ。

ここまでは順調だ。しかし腰の骨のズレをもどすなら、できれば寝た状態と座った状態に加えて、立った状態でも矯正しておきたいところである。そこで試しに春子さんにも立ち上がってもらうことにした。

私が彼女の手をしっかりと握り、体全体を支えながら立たせると、今度は痛いともいわずにスッと立てた。その瞬間、樹森さんが「オーッ」とおどろきの声を上げる。それを見て、娘さんたちの顔からも緊張が消えた。

そのまま2、3歩歩いてもらっても、スッスッと前に足が出る。いい感じだ。春子さんも、「今まで痛くてトイレに行くのがつらかったけど、これなら大丈夫だわ」といって、腰痛が治ったことよりも、安心してトイレに行けることがうれしかったようだ。聞けば、彼女も頻尿がひどかったらしい。

春子さんに壁に向かって立ってもらうと、さらに腰の骨のズレを矯正する。もう一度歩いてもらって、腰に痛みが残っていないことを確認する。ヨシ、今回は初めてなのでここまでにしておこう。私は春子さんに、また骨のズレがもどってくる可能性があることを伝えて、次の訪問の約束をした。

娘さんが「先生、お茶をどうぞ」と声をかけてくれたので、みんなでリビングに移動する。10人は余裕で座れそうな大きなテーブルにつくと、これまた高そうな器に入って湯気を立てているお茶をすする。この場の雰囲気が非常に明るくて、私もリラックスしていた。

春子さんは、自分はこのまま寝たきりになるのかと思っていただけに、恐怖から開放されて高揚しているようだ。元気な声で「ダンナももういないしネ、3年前に長女も死んでしまって」と話し始めた。私は思わず「なんで亡くなったんですか?」と聞いてしまった。

踏み込んだ質問だったが、春子さんはためらうことなく、「長女はくも膜下出血での突然死だったの」と話してくれた。それを聞いた私はギョッとして、即座に春子さんの両手首を握ったのだった。(つづく)

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