*小説『ザ・民間療法』全目次を見る
104
 人というのは、話し上手と話し下手の2つのタイプに分けられる。さしずめ私は話し下手タイプなのか、善意でいったつもりでも、逆に悪意だととられてしまうことがよくある。もちろん話すときだけでなく、話の聞き方にも明らかに上手な人と下手な人がいる。

医療の現場でいえば、お医者さんは話し下手で、人の話を聞くのも苦手な人が多いようだ。その一方で、患者さんは医学用語になじみがない分、圧倒的に聞き下手にならざるをえない。横から看護師さんがフォローしてくれなければ、全く会話が成り立っていない場面はよくある。

実際のところ、ふだんは話し上手で聞き上手な人でも、いざ患者になると、いきなり話し下手で聞き下手のベタベタ人間になってしまうことは少なくない。歯肉がんだと宣告された高木さんも、その典型だろう。

大手広告代理店に勤めている高木さんは、クライアントにプレゼンするときにはかなりの話し上手で知られている。しかも社内では聞き上手なので、上からも下からも慕われる存在だ。知的で明るい性格と相まって、社内外からの人望も厚い。

そんな彼でも、病院でがんだと診断された途端、話すのも聞くのも下手なベタベタ人間になってしまったのだ。それほど、がんの宣告から受ける衝撃は大きいのだろう。

本来の高木さんは、権威的なものに対しては強く反発するタイプだった。しかし今回は、医師という権威を前にして、従順な良い患者になろうとしている。

いきなり歯肉がんだと診断されても、それを1ミリも疑うことなく、いわれるがままに手術を受けようとしている。あごを切り取ってしまうほどのハードな手術にも、ためらいすらない。完全に医師の診断を信じ切っているのだ。

ところがその医師の診断でも、彼のがんはまだ前がん状態なのである。前がん状態なんて、一般の人には聞き慣れない言葉だろう。私だってほとんど耳にしたことはないから、くわしく説明しろといわれても困る。ただはっきりといえるのは、「がんと前がん状態とはちがう」ということなのだ。

前がん状態といっても、がんのできた部位によって、言葉が意味する状態はちがってくるらしい。歯肉がんの場合は、前がん状態といえば他のがんよりもがんに近い状態で、将来的にがん化する確率が高いようだ。

では、その前がん状態とやらのうち、どの程度ががん化するものなのか。そこが重要なポイントのはずだが、これもはっきりとはしていない。私はこの点にも納得がいかなかった。

しかもその医師が、あえて前がん状態だと説明したからには、彼のがんは黒に近い灰色よりも、限りなく白に近い灰色なのだろう。ひょっとしたらがんじゃないかもしれない。それならなおさら、セカンドオピニオンを受けるべきだろう。

セカンドオピニオンとは、最初に診断された病院とは別の病院で、改めてがんかどうかを診断してもらうシステムだ。これは裁判の再審制度に似ている。よほどの重大犯罪でも、二審で判決がくつがえって無罪になったり、刑が軽くなったりするのと同じである。

そもそもがんの診断の根拠にはあいまいな部分も多いので、別の医師に診てもらえば、がんではないと診断されることは珍しくない。仮にがんであることにまちがいがなくても、治療方法のちがいによって、患者の負担が大いに軽減される例も多い。

いずれにしても、医者でもない人間があれこれ考えてもしようがないだろう。そこでこんなときに頼れるお医者さんといえば、あの歯科医の山田先生だ。確か、山田先生の弟さんは大学病院勤務の口腔外科医だったはずだ。これほど好都合なことはない。思わず鼻が広がって鼻息まで荒くなってきた。

私は勇んで山田先生に電話をかけた。呼び出し音が鳴っている間、チラリと高木さんに目をやると、そこには何の変化もなかった。予想に反して、彼の表情は暗いままなのである。アレ?これはどうしたことだろう。

「モシモーシッ!」
暗い空気を吹き飛ばすようにして、山田先生の明るい声が耳に響いてきた。その響きに乗って、私は一気に高木さんのいきさつを伝えた。すると即座に、「そりゃ絶対セカンドオピニオンよ~!」と迷いのない答えが返ってきた。

つづけて「じゃ、弟に連絡してみるネ」とすぐさま段取りがついた。相変わらずの反応の良さに、気分が高揚してくる。横で聞いていた寺田さんの顔にも、血の気が戻ってきた。もうすぐにでも一杯やりたそうで、ソワソワし始めている。

ところが肝心の高木さんだけは、まだ全く表情に変化がない。私たちが感じている希望の光なんぞ、彼の心にはこれっぽっちも届いていないようだ。私にはそれがちょっと気がかりなのだった。(つづく)

*小説『ザ・民間療法』全目次を見る
*応援クリックもよろしくお願いいたします!
にほんブログ村 小説ブログ 実験小説へ
にほんブログ村

長編小説ランキング

FC2ブログランキング