小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:カイロプラクティック

*小説『ザ・民間療法』全目次を見る 033
さあ今日から気功の修行が始まる。私はいくつか電車を乗り継いで、ナカバヤシ先生の自宅がある埼玉県の郊外まで出かけていった。

ナカバヤシ先生は痩せ型の50代ぐらいで、ちょっと見は中国人の風貌をしている。弟子はとらないと聞いていたが、今日はほかにも習いに来ている人がいて少しホッとした。

みんなで初対面のあいさつをすませると、すぐに先生は気功の説明に入った。そのなかで、先生は気功のほかに意念という技も使えると聞いてワクワクしてきた。

気功では、自分や相手の「気」を操作して武術や治療に応用する。「気」は一種の物理的なエネルギーだが、意念となるといわゆるサイキック的なエネルギーなのである。

そのため「気」は距離が離れると弱くなるのに対して、意念なら距離とは関係なく、どこまでもパワーを飛ばせるのだという。どちらも、自分のなかでどれぐらい明確にビジュアルがイメージできるかがポイントらしい。

「では試しに」といいながら、先生はそばにいた練習生の一人をうつ伏せにならせる。すると彼の左脚は右よりも短くなっていた。それをみんなで確認したあと、先生は手も触れずに、「気」の力だけで両脚の長さをそろえてみせた。まわりでは「へーー」と感嘆の声が上がる。

次に先生は、向こうの机の上にあった白い紙を持ってきた。そして私に、なんでもいいから隣の部屋で文字を書いて、外から見えないように紙を丸めて持ってきなさいといった。

私はいわれた通り、紙に適当な文字を書きこんでからクシャクシャに丸めて手渡した。もちろん私が何を書いたかは、先生にはわからないはずだ。それなのに、先生は紙に書かれた文字を、次々に正確に言い当てたのである。

そんなことができるわけがない。なんだかだまされているような気がする。しかしここで使われた意念とは、紙を広げるのではなく、丸められた紙のなかに入っていって、そこに書かれた文字を読み取ってくる力のことなのだ。

さすがにすぐには信じられなかったが、以前にも似たような体験があったのを思い出した。ある霊能者と呼ばれる人から、私がイメージした映像を事細かに言い当てられたのである。あれも意念だったのかもしれない。

やはり「気」や意念とは、意識のなかでビジュアル化した世界なのだろう。それが腑に落ちたおかげで、なんとなく概要がつかめた気がする。

ここまで来ると、もう実技の練習に入った。
まずは椅子に座って両手を前に出す。その両手の平でボールを持つような形を作る。そのボールを持ったまま、腹式呼吸をしながら、ボールのところに「気」を溜めていく。これを20分ほどくり返すのである。

やってみたらわかるが、20分は長い。ずっと腹式呼吸をくり返していると、それだけで何か自分のなかで感覚が変わっていくのがわかる。

次に、その溜まった「気」を、自分の体のすみずみにまで巡らせる。すると実際に「気」が体を巡っているのが体感できた。「気」というのは本当に存在していたのだ。

そこまでできたら、今度は溜まった「気」をほかの練習生と飛ばし合うことになった。2~3メートル離れたところに立って、お互いに「気」のやりとりをするのである。

「気」を出すときは、目線で「気」の通り道を決めてから相手に渡す。逆に、「気」を受けるときは、側頭部あたりのある一点に集中して感じとるように意識する。こうやって「気」を出す、受けるをくり返していると、はっきりと「気」のパワーを感じられるようになった。

しばらくこの練習を続けたあと、今度はバトルが始まった。「気」のパワーで相手を倒すバトルである。

気功では、自分の「気」だけでなく、相手が出した「気」も自分のパワーとして使うことができる。だから、相手の「気」を上体に集めて重心を上にしておいて、こちらから出した「気」で足元を払うのだ。

これがうまくいけば相手が倒れる。しかし、相手も負けじと私の「気」を逆手にとって攻撃してくる。力が拮抗していると、なかなか勝負がつかない。そこがまたおもしろくて熱が入る。

実感として、バラエティ番組で呼んだ気功師の動きが理解できた。これは太極拳の動作にも似ているだろうか。『ドラゴンボール』のカメハメ波だという人もいた。確かにマンガの世界のようだが、それでもしばらく真剣にバトルを続けていると、少しずつコツがつかめてきた。

試しに相手の足元をすくい上げるようにひねりの力を加えておいて、こちらから強い「気」を上体に向かってぶつけてみた。すると相手がヨロッと倒れそうになった。

「お、効いた!」

どうも私には気功の才能があるのかもしれない。そう思うとうれしくなって、どんどん深みにはまっていくのだった。(つづく)
モナ・リザの左目 〔非対称化する人類〕

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*小説『ザ・民間療法』全目次を見る 032
整体の学校に1か月も通うと、技も少しずつ使えるようにはなってきた。しかし整体そのものの実体が、私には今いちナゾのままである。

自分なりにいろいろ調べてみたが、整体にはそれほど古い歴史があるわけではなさそうだ。19世紀末にアメリカで開発された手技療法のカイロプラクティックを、日本で改良したものが整体の元になっているらしい。

本家のカイロプラクティックは骨格の矯正を主眼としているから、整体も骨格矯正がポイントなのだろう。

もちろん「我こそは」と主張する猛者が居並ぶ世界なので、整体の起源にだって諸説ある。なかでもこの学校では、整体を漢方医学の一つだと位置づけられていた。

漢方医学では、病気は生命エネルギーである「気」が滞った状態だと考える。そのため、滞った「気」を整体で正常にすると、体の不調が改善するらしい。なるほど単純な話である。

しかしここでまた疑問がわいてきた。そもそも「気」とはなんだろうか。「気」がどこで滞っているのか、どうやって判断するのだろう。滞っている「気」は、施術者には見えているのだろうか。

この学校の中心的存在である大外先生に聞いてみたが、よくわからないらしい。ただ、整体技をルーティンで一通りやれば、大まかには「気」が流れるという話だった。

そういえば私がテレビ番組の美術さんだったころ、あるバラエティ番組に、中国で本格的に修行した気功師を呼んだことがある。彼は「気」のパワーだけで、スタジオのお笑い芸人たちを次々にひっくり返して見せた。

彼らが転がるタイミングを見ていると、とても演技だとは思えない。日ごろの芸風からは、あの絶妙な転がり方はありえなかった。あれを見た人なら、だれでも気功のパワーは本物だと思ったはずだ。

もし本当に「気」という生命エネルギーがあるものなら、自分も気功をモノにしたい。そうすれば漢方医学の深淵にも触れることができるかもしれない。

そんなことを大外先生に相談すると、この学校の修了生で、気功治療をやっているナカバヤシ先生の話を教えてくれた。ナカバヤシ先生はかつて中国で本格的に気功を学んでおり、あの番組に出ていた気功師とも同門なのだという。

気功といっても、通常の武術として使う「気」は一種類だけだが、治療で使う「気」には種類がいくつもあって、それを病態ごとに使い分ける必要がある。そこまでマスターしているナカバヤシ先生は、整体と気功治療のプロとして活躍しているらしい。

しかもナカバヤシ先生は、病院では不治だといわれた難病だって「気」のパワーで治しているのだという。そんな話まで聞くと、ぜひともその先生から気功を学んでみたくなった。

ところが先生は、今は弟子をとるつもりはないらしい。だがそれを聞いたぐらいであきらめる私ではない。「そこをなんとか・・・」と、インド仕込みの強烈なねばりを駆使して頼み込む。そうやって大外先生経由でも何往復ものやりとりがつづいたあと、ようやく弟子入りが許された。

これで平日は池袋の整体学校へ通い、日曜だけは気功を習うことになったのである。(つづく)

モナ・リザの左目 〔非対称化する人類〕

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