
はるばるカルカッタから3日もかけて、オーロビルにたどりついたものの、私には現地に知り合いがいるわけではない。とりあえずすぐにでも泊まれそうな場所を探す。そこで最初に案内されたのは、フランス人が設計したゲストハウスだった。
南フランスを思わせる瀟洒なデザインの部屋には、真ん中に天蓋付きのベッドが据えられていた。まるでおとぎ話にでも出てきそうな甘い雰囲気だ。ところが現実は甘くない。おとぎの国になどいざなってはくれない。なんといってもここは南フランスではない。暑い盛りの南インドなのである。
ベッドにレースのカーテンが下がっているのだって、優雅に見えてもダテじゃない。寝る前には、必ずそのカーテンをマットレスの下にたくし込んでおく必要があった。さもなくば、寝ている間に、ヘビやサソリがベッドのなかにまで入り込んでくるのである。
なるほど建物をよく見ると、おしゃれな見かけとは裏腹に、あちこちがすき間だらけだ。これは決して南インド仕様にはなっていない。そのすき間から侵入するのは、ヘビやサソリだけではなかった。夜になれば、天井付近を羽のある虫ばかりか、コウモリまでがワサワサと飛び交い、梁の上では、ネコかと思うほどのドでかいネズミが走り回る。そして壁にはトカゲが張り付いている。彼らはみな、室内を這い回る巨大なゴキブリを狙っているのだった。
当然のことながら、オーロビルの暮らしは室内だけが問題ではなかった。草むらを歩いていれば、私の横をコブラが音もなく追い越していく。家に入ろうとしてドアノブに手をかけると、手首の上にドサッとヘビが落ちてきたりもする。あるときなど、勢い余ってそのままヘビごと部屋のなかに入ってしまったので、地元の人を呼んでつかまえてもらった。
「こいつは大丈夫。あとで遠くに捨てて来てあげる」
彼はそういって私を安心させようとしてくれた。だがこれだけヘビがいるところで、遠くに捨ててこなければいけないようなヘビは、どう考えても「大丈夫」ではない。
この地では、部屋のなかで切れたコードを見つけたら、それは必ず動き出すのである。私はオーロビルには1年ほどしかいなかったが、その滞在中に見かけたヘビは、優に20種類は超えていただろう。そいつらのどれが毒ヘビなのかも見分けがつかない。「顔に毒を吹き付けるヤツがいるから気をつけろ」といわれたこともあったが、そんな近くでの対面は避けたい。
しかしそれだけヘビがウジャウジャいる分、そのヘビを食べるクジャクやマングースも、たくさん住んでいたからにぎやかだった。来たときにはひ弱な都会モノに過ぎなかった私も、次第にこの豊かすぎるほど豊かな自然に慣れていった。そして少しずつ自然との間合いも取れるようになり、月明かりを頼りに、裸足で散歩したりできるようにもなった。そういうときには犬を連れていく。犬は危険を察知すると、吠えて教えてくれるので安心なのだった。
私だけでなく、オーロビルではみな靴など履かない。私が暮らしたコミュニティでは、食事のときは屋外の大テーブルに集まる。フランス、イタリア、ドイツ、ポーランド、スイス、スペイン、日本。国籍は違うが、英語を介して毎日時間を忘れて話し込んだ。
しかしどんなに熱中して話しているときでも、みな足は椅子の上に乗せ、決して床には下ろさない。テーブルの下には、常にヘビやサソリがウロウロしているからだった。この習慣になじみすぎた私は、日本に戻ってしばらくたっても、なかなか足を下ろせなかった。あのころの私の行儀が悪かったのは、そんなわけだったのだ。(つづく)
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