小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:チベット医学

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小説『ザ・民間療法』挿し絵024
「よし、日本に帰ろう!」
そう心に決めたはイイが、思えば何のためにインドに来たのだったか。これといって具体的な目的があったわけではない。かといってこんなところまで来ておきながら、収穫らしきものが何もないまま、手ぶらで帰っていいのだろうか。そんなことが頭のなかでグルグルし始めた。

そのときフッと、前にマルコに見せてもらった映像を思い出した。彼は若いころ、中国に組み込まれる以前のチベットのラサに赴き、そこにあるチベット寺院を8ミリフィルムに収めていたのである。

彼はシッキムからのルートでチベットに入国したようだが、その白黒の映像には、鼻輪を着けたシッキムの人々が行き交う姿が映っていた。それは私に鮮烈なイメージとなって記憶されていた。

シッキムといえば、以前読んだ河口慧海(かわぐちえかい)の『チベット旅行記』にも、慧海がマルコと似たようなルートをたどった記述があった。それはちょうど日清戦争前夜のころのことで、禅僧だった慧海は仏の教えの真実に迫るべく、当時は鎖国状態だったチベットに命がけで密入国を試みたのである。

河口慧海といっても、今の日本ではあまり知られていないだろうが、海外では探検家としてリビングストンと並び称される人物だ。その慧海の求道の旅にはいくつかのルートがあった。その一つが、カルカッタからシッキムに入り、チベットへと抜ける方法だったのだ。

そうだ。私もシッキムに寄ってから日本に帰ろう。
シッキムは、今ではインドの州の一つになっている。しかし慧海の時代には独立した王国で、地理的にはネパールとブータンに挟まれたヒマラヤのふもとにある。

ヒマラヤに行こうと思い立った瞬間、私のなかを涼しい風が吹き抜けた。心はすでにヒマラヤの雪景色のなかである。熱暑の日々に疲弊しきっていた私には、そこはまるで天国のように感じられた。

今でもヒマラヤには聖者がいて、雪山のなかで修行しているという話なら、インドでは何度も耳にしていた。ところがその聖者に実際に会ってきた人の話は聞いたことがない。

私はインドに来る前、ネパールのカトマンズに立ち寄って、ヒマラヤの上を飛ぶ遊覧飛行を体験した。パイロットが上空数百メートルまでヒマラヤに接近してくれたので、聖者らしき人影を探してみたが、私には何も見えなかった。

もちろん、たとえヒマラヤには聖者がいるとしても、今の私の体力でそんなところまで会いに行けるものではない。だからせめて、慧海のたどった求道の旅の一部でも体験してみたい。

そういえばシッキムにはラマ教の総本山があったはずだ。
ラマ教とはチベット仏教のことで、日本の密教的な要素が強いことが知られている。その総本山までは行ってみよう。そうすれば、人生の指針の一つでも得られるかもしれない。そんなことを考えながら、旅の支度を始めた。

オーロビルでは、私が日本に帰ることを聞きつけた人たちが集まって、お別れの会を開いてくれた。それぞれ国はちがっても、ファミリーのようなつきあいをしてきた仲間である。いざ別れるとなると、さすがにつらい。みんな私の苦手なハグやキスを連発して別れを惜しんでくれた。そして口々に、「もっとここにいて、私たちの体を診てほしい」ともいってくれた。

その光景は、慧海がチベット寺院を後にして日本に帰国するときのことを想起させた。多少医学の心得があった彼は、たまたま脱臼した子供の腕を治したことから、チベット寺院では医師としてもっとも高い地位を与えられていたのである。そのため帰国する際、かなり強く慰留されたようだ。しかし彼は「私は医者ではなく修行僧だ」といって、きっぱりと断ったのだという。

それでまた思い出した。私はインドに仏道修行に来たわけではなかったのだ。もちろん治療家になろうと考えていたのでもない。全てはあのときテレビ局の控室で、なぜ彼のぎっくり腰が私の手で治ったのか、その理由を知りたかっただけである。そのヒントでも見つかればいいな。そう思って何となくインドまで来てしまったが、そこに深い考えがあってのことではない。

そこまで思い出したおかげで、頭のなかのグルグルが少し収まった。そして幾分気持ちが軽くなった私はオーロビルに別れを告げ、慧海がチベットへと旅立った最初の地、カルカッタに向かったのである。(つづく)


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013 小説『ザ・民間療法』挿し絵

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オーロビルでは有名な話がある。

あるところに、がんにおかされて医師からも見放された男がいた。彼はダライ・ラマのところに行けばチベット医学の秘薬があると聞いて、人づてにダライ・ラマを紹介してもらった。そこで手渡された秘薬を飲んだら、がんが消えてしまったというのである。

この話が本当かどうかはわからない。しかし歴史上、チベット医学はインドの伝承医学であるアーユルヴェーダにも、多大な影響を与えてきた存在だ。だからそういう奇跡のようなこともあるのかもしれない。

アーユルヴェーダは、エステティックサロンを通して、日本でもよく知られるようになった。だが本来のアーユルヴェーダは、薬を使った治療がメインで、インドではアーユルヴェーダによる医師資格も認められているのである。

もちろんインドの薬局では、現代医学の薬の他にアーユルヴェーダの薬もたくさん売られている。しかしインド人の多くは、現代医学のほうを信じているようだ。現代の中国人が、漢方医学よりも現代医学を信頼しているのと同じことだろう。

あるとき、これだけ暑い日が続くにもかかわらず、私はかぜを引いてしまった。かぜぐらい寝ていれば治るものだが、咳が止まらない。あまりにも咳が続くので、眠ることさえできないのである。これには弱った。

私は体調が悪くても、薬を飲む習慣がない。いざというときでも、極力飲まずにすませたいと思っているから、薬嫌いの部類に入るだろう。だがこれだけ眠れない日が続くと、私が頼りにしている自然治癒力まで落ちてしまう。日本ならいざしらず、ここでこれ以上体力が落ちるのは避けたい。そこで仕方なく、わざわざポンディチェリにある薬局まで、咳止めを買いに行ったのである。

店に入ると、ギョロ目でいかつい顔をした店主が、ヌッと奥から現れた。私が「何日も咳が止まらない」というと、ニコリともしないで、「ふつうの薬とアーユルヴェーダの薬のどっちがいいか」と聞くのである。インド航空の機内食で、ベジかノンベジかを選択するのにも似て、これはインドでは当たり前のことなのだろう。

私は、咳止めの薬なんか大して効かないだろうと軽く考えていた。そこで単なる好奇心から、アーユルヴェーダの薬を頼んでみた。すると店主は、「ふん」と鼻を鳴らしただけで、店の奥に消えた。私がしばらく待っていると、彼はラベルも貼っていないボトルを手にして戻ってきた。

そのいかにも手作り風のボトルを見ると、薬というよりも食品衛生上の不安がよぎる。彼は、「くれぐれも飲みすぎないように」とだけ告げた。「飲み過ぎたらどうなるのだろう?」と思うと、さらに不安が増す。しかし自分で頼んだのだから仕方がない。いわれるままに40ルピーほど払って帰ってきた。

部屋のベッドに腰掛けて、改めてボトルを見る。このアーユルヴェーダの咳止めは、シロップになっているようだ。付属の小さなカップに1杯を、朝晩2回服用するのである。昭和40年代あたりまでは、日本の薬局でも胃薬などはその店のオリジナルの薬を売っていた。だが異国の地で、得体の知れない薬を飲むのは勇気がいる。そうやって躊躇している間も、ひっきりなしに咳は続いていた。

得体が知れないといえば、東京で暮らしていたころ、知り合いの台湾人から薬をゆずってもらったことがある。私から頼んだわけではない。大変高価な漢方薬が手に入ったからといって、好意で勧めてくれたので断れなかったのだ。おかげで、乾燥したコブラの卵を飲むはめになってしまったが、口に入れた瞬間のあの強烈なカビ臭さは、とうてい忘れられるものではない。

ところが同じ不気味さではあっても、コブラの卵と違ってこれは単なる咳止めシロップである。あそこまでひどい味ではないだろう。そこで意を決して、指定のカップ1杯のシロップをのどに流し込んだ。

途端にブルッと震えが走った。ムチャクチャ甘い! 猛烈に甘い! 甘さのベクトルが、壁を突き破ったように甘いのである。これほど甘いものを口に入れたのは、いったいいつ以来だろう。人生初の甘さだったかもしれない。こんな味があるのかという衝撃はあったが、それでもコブラの卵よりはましだった。

私は、しばらくその怒涛の甘さに気を取られていたが、ふと気づくと咳が出ていない。あれだけ来る日も来る日も続いていた咳が、もののみごとにピタリと止まっているのである。それに気づいた途端、今度は改めて恐ろしさがこみ上げてきて、またブルッときた。

日本でも、のど飴をなめているうちに咳がやわらぐことはある。しかしその効果は、のど飴に含まれている薬の効果ではない。飴をなめることで、唾液によってのどが潤うからである。
ところがこの激甘シロップにこれだけ即効性があるとなると、明らかに薬の成分によるものだ。きっとこれはエフェドリンの効果なのである。日本の咳止め薬でも、薬効の主成分はエフェドリンだ。しかしエフェドリンは麻薬的な効果も大きいので、日本の薬事法では容量がかなり制限されている。その分、効きも悪いのだ。

しかしこの咳止めシロップはちがった。もちろんインドにも薬事法の制限はあるはずだが、日本とはレベルがちがう。これだけの効果であれば、かなり危険な量のエフェドリンが入っているはずだ。これなら副作用で、ある一定数は死んでいるかもしれない。咳は止まったけれど、心臓も止まったというのでは笑えない。

確かにアーユルヴェーダには、優れた秘薬が存在するのかもしれないが、「命と引き替えに」というただし書きが必要かもしれないな。そんなことを考えているうちに、咳から解放された私は、やっと眠りについたのだった。(つづく)

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