小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:テレビ

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ちまたでは「カリスマ」が大ブームである。
「カリスマ美容師」や「カリスマシェフ」ばかりか、「カリスマ治療家」と呼ばれる人までいるようだ。このブームに乗って、テレビ番組や雑誌では、日々カリスマを大量生産中である。

カリスマってそんなにたくさんいるものなのか。本来のカリスマは、超自然的なスーパーパワーをもつ人だったり、人を惹きつける特殊な能力で、国中の人をまどわせたりする人のことらしい。それに比べると、今のカリスマたちは少々小ぶりだ。

なんたって私ごときでも、患者さんから「カリスマ」だの「ゴッドハンド」だのと呼ばれることがあるぐらいだ。どう呼ばれたって本人に実感がないと、いわれるたびにおしりがモゾモゾして居心地が悪い。

そういえば私を「ゴッドハンド」と呼ぶ患者さんの一人に、古い友人で放送作家をしている松井さんという女性がいる。施術をしているときに、彼女の胆のうに3センチほどの石があるのを私が見つけたことがあったのだ。

テレビ業界の仕事だと、どうしても食生活が不規則になるせいで、胆石患者は多い。それにしたって3センチの胆石は特大である。松井さんは体格もいいから、その分だけ石も大きく育ったのだろうか。

この大きさだと、病院で検査を受ければ、「すぐに手術しましょう」という話になるにちがいない。そうなってもあわてないですむように、前もって仕事の段取りをして、入院の準備をしてから検査を受けるようにすすめておいた。するとやっぱり検査後に、そのまま入院して手術することになったらしい。

術後しばらくして会ったとき、担当医から「手術の記念に」といって渡されたという胆石を見せてもらったら、それはそれは立派な石だった。これがダイヤだったら何カラットになるだろう。

「石といってもネ、胆石はダイヤとかの宝石とちがってすごく軟らかいから、こんなに大きくても指輪とかに加工したりはできないんだヨ」

そう伝えると松井さんは「残念だわ~」といいながら、入院生活で少しだけ小さくなったおなかをゆすって、ガッハッハと笑った。

この一件以来、松井さんは私のことを「ゴッドハンド」と呼ぶようになって、懇意にしているタレントさんたちが不調になるたびに、私の治療院を推薦してくれるようになっていた。

実はこれには彼女なりの考えがあったようだ。テレビの情報番組では、「タレントが通う〇〇」というのが紹介のパターンになっている。そこでうちの治療院にもこの冠をつけて、いずれ番組で紹介しようと思っていたようだ。

どうやら松井さんは、日ごろの私の貧しそうな暮らしぶりを見かねて、私の宣伝になればと考えてくれていたらしい。そんな彼女の思いなんか知らない私は、突然の電話で、「ねぇ、私の番組に出ない?」といわれてひどく面食らった。

松井さんは業界ではかなりのやり手である。私がテレビの特殊美術の仕事をしていたころから、彼女は人気番組をいくつも手がけていた。次から次へと番組をヒットさせるだけでなく、番組のなかから人気タレントも誕生させていた。

私のアパートの近くでも、彼女の番組から火がついた有名タレントが、白亜の豪邸を建ててバラに囲まれて暮らしている。彼だって、松井さんがプッシュしていなければ、とうていあんな暮らしはできていないはずだ。

テレビ出演!
これは願ってもないチャンスである。ひょっとしたらこの出演で、私が発見したあの左起立筋の異常を、テレビで大々的に発表できるかもしれない。そうなれば、この現象を一気に日本中に広めることができるじゃないか。

もしこれで有名になったら、私も豪邸暮らしができるんだろうか。タレントになりたいなんて考えたこともなかったけど、サインの練習もしなくちゃいけないかな。電話を握ったまま、私の妄想はあらぬ方向へと走り出していた。

ところが電話口の松井さんは、「でね、今回は文化人枠で出てもらうから、出演料は1万5千円ヨ~」と軽くいってのけた。その一言で我に返って、現実に引き戻された。

マ、そりゃそうだよね。それじゃ豪邸どころか、しばらくは安アパート暮らしがつづきそうだな。イヤイヤ、今はそんなことはどうでもいい。テレビで発言さえできれば、きっと何かが大きく変わるはずだ。

松井さんからの電話を切ったあとも、期待で胸が高鳴る。何から伝えようか。あれこれ考えているうちに、夢は果てしなく広がって、私の目の前はバラ色に輝いてくるのだった。(つづく)

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小説『ザ・民間療法』挿し絵003-01
せっかく進学した美術大学で油絵科に籍を置いたものの、いつしか私のなかでは絵を描く情熱は消え失せていた。最低限の課題には取り組んでいたが、あとは可能な限り旅に出た。旅といっても1970年代といえば、ディスカバー・ジャパンの時代である。行き先はまだすべて国内だ。

私の大学へは、あちこちの地方から学生が集まっていた。その同級生たちの実家に泊まらせてもらいながら、夜行列車を乗り継いで貧乏旅行を繰り返す。興味の赴くままに寺社仏閣や仏像を見て回っているうち、とうとう卒業の時期を迎えてしまった。

卒業したらどうしよう。これといってやりたいことはない。企業に就職する気もないから、就職活動も全くしていない。それでも在学中に教員免許だけは取得していたので、高校で美術教員をやってみた。

教員生活では、生徒たちとの交流にはそれなりのおもしろさを感じられた。だが、このまま教員として一生を終えてよいものか。その選択は私のなかではしっくりこなかった。学校という閉鎖社会にも、いいようのない居心地の悪さを感じていた。そこで思い切って東京に戻り、大学時代の友人と二人で、美術で起業することにしたのである。

私たちが選んだのは特殊美術の業界だった。特殊美術とは、テレビ番組やCMで使う造り物や、タレントの被り物を制作する、いわゆる「美術さん」だ。これは立体の制作がメインなので、絵画とはちがって、目で見ることよりも、手で触れて形を確かめる作業のほうが多い。そこで重要なのは、何よりも鋭敏な触覚なのである。

しかも立体には、絵画のような平面よりもリアリティが求められる。その点が私にとっては魅力だった。「これは芸術だ」「アートなのだ」と息巻かなくてもよかったし、ちゃんと世の中から必要とされる物を作れば、それだけで確かな喜びが得られた。

もちろんお金に困ることもない。私が起業した当時は、日本中がバブル景気を謳歌していたので、テレビ番組の予算だって今よりもずっと潤沢だった。

ある番組のディレクターと昼食に行ったら、「1人5万以上使ってくれないと領収書が下りない」といわれたことがある。たかがランチでこの金額である。CMの企画でも、私が思い切って高めにつけた見積りが、「これじゃ安すぎてクライアントが納得しない」といって突き返されたりもした。特殊美術とは、そういう意味でも少々特殊な業界だったのだ。

                    *

そんなあるとき、日々の立体制作で培われた技術が、本業以外の場面で役に立つ事件が起きた。いつものように私は番組収録のため、テレビ局の控室でスタンバイしていた。そこへスタッフの1人が腰を「く」の字に曲げ、額には脂汗をにじませながら入ってきたのである。聞けば、腰痛がひどくて病院に寄ってきたけど、全然痛みが取れないのだという。

ひまを持て余していた私は、彼の姿を見てちょっと好奇心が湧いた。彼の腰に触れてみると、「ここが痛い」という部分は背骨がクランク状に曲がっている。しかも曲がったところが腫れて、明らかに熱をもっていた。立体制作で鍛えた指先の感覚が、私にそのことをはっきりと告げていた。

対象がモノであろうとヒトであろうと、指先の感覚を通して、形を確かめることに変わりはない。形の確認だけでなく、思い通りの形に修正するのも私の仕事である。彼の体の形はおかしいのだから、これは修正が必要なのだ。

そう感じた私は、クランク状になっている彼の背骨を、ゆっくりと正しい位置まで押してみた。すると曲がった線を描いていた背骨が動いて、徐々にまっすぐになっていく。それと同時に、熱をもっていた腫れがスーッと消えていく。それが私の指先でわかる。

私が背骨を押していると、彼は「あれ? あれ! あれ~っ!」と声のトーンを上げながら驚いていた。そして「痛くない、あれ、痛くない!」といいながら、腰を曲げたり伸ばしたりして体の向きを変えながら、さきほどまでの痛みを探している。

しかしいくらポーズを変えても痛みがない。彼だけでなく、まわりで一部始終を見ていたスタッフたちも、声も出ないほど驚いていた。さくらを仕込んだ大道芸のような光景だ。時代劇なら、ガマの油が飛ぶように売れるところである。

だが私にしてみたら、さして珍しくもない。中学のころから体験していたことだから、当たり前の結果である。ところがそれからは、テレビ局のみんなの、私を見る目が変わった。ただの「美術さん」だった人が、「治療をする人」に昇格した。ただし単なる治療家ではない。霊能力者か超能力者のような、「奇跡を起こす人」といった扱いになってしまったのだ。

なぜそうなったのかはわかる。実は私が彼の腰痛を治したとき、いわゆる民間療法家が見せるようなオーバーアクションはしていない。手が触れるか触れないかぐらいにしか見えなかったはずだ。手が動いていなければ、念力か何かで治したと思うだろう。だから奇跡に見えたのだ。

この一件が私のその後の人生を大きく変えた。私のもとへは、病気だけでなく人生相談まで舞い込むようになった。人から頼まれてのこととはいえ、何の知識もなく人の体に触れていたのだから、今思えば冷や汗が出る。しかし、おかげで頭を下げて仕事の営業をする必要がなくなって、会社はますます順調に成長していった。(つづく)

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