小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:ドキュメンタリー

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 140
「お~い、セキグチいるか~っ」

会田先生はそう声をかけると、返事も待たずに隣の研究室に入っていった。私も先生にくっついて部屋に入る。この部屋も会田先生の部屋と同じだ。本やら箱やらあれこれ積み上げたモノが林立していて、まるでジャングルだ。

会田先生に呼ばれて、そのジャングルの主が奥からヌッと顔を出した。密林にはふさわしくない、やさしげな印象の男性だ。これがセキグチ先生か。

「オー、いたいた」

会田先生は、狩りの獲物でも見つけたみたいにニカッと笑う。

「ヤァ~、君に紹介したい人がいてナ」

相手の都合なんか気に留める様子もなく、先生は一方的にまくしたてる。セキグチ先生も、突然の乱入におどろくわけでもなく、「いつものこと」という風に静かに笑っている。

「セキグチ」こと関口先生は医師でもあるが、この大学では文化人類学を教えているそうだ。「どうして人類学?」と思ったら、彼は世界中の未開の地を探検し、現地住民と起居をともにして研究してきたからなのだという。

その探検はテレビ・シリーズにもなっていて、かなり有名らしい。しかしテレビをもっていない私は、彼の存在を全く知らなかった。

そんな関口先生に向かって、会田先生は私のことを力を込めて説明している。だがつい今しがた、20数年分のできごとをまとめて話したばかりだから、話があちこち飛んで一向に要領を得ない。

「ま、そんなわけで、彼は美術家としての技術でもって、人の体の左だけに現れる現象を発見してナ、今はそれを民間療法に応用して活躍してるんだ。ホラ、こんな本まで出してるんだゾ」

会田先生は、私が持ってきた例の本をかざしながら一気にそこまで話すと、私にバトンタッチするように目配せした。全くもってありがたい紹介っぷりである。私は気恥ずかしさをまぎらわすように、「じゃ会田先生、ちょっと献体を」とお願いした。

さきほど会田先生に左起立筋の異常について説明したとき、先生の起立筋の左側が盛り上がっているのは確認済みだった。

「献体を」といわれた会田先生は、「お、献体?そうか、そうか」と大乗り気である。そそくさと作務衣の上着を自分でめくり上げると、関口先生に背中を向けた。

会田先生の背中を使って私が説明していくと、関口先生はいかにも医師らしい手つきで、会田先生の起立筋を軽く押して、左右の感触のちがいを確かめている。

「ナァ~、左が盛り上がってるだろ~。オモシレ~よな~」

ふつうなら、左起立筋の異常を指摘された人はみな不安がるものなのに、会田先生はなぜか楽しそうだ。

私がつづけて、起立筋だけでなく肩甲骨やウエスト、尻などにも左側だけに異常が現れていることを説明していくと、それまでだまって聞いていた関口先生の顔がパッと輝いた。

「そういや、キン●マも左だけ下がってるよな!」

とうとつに大声で「キ●タマ」といってのけた彼の、そのためらいのなさが清々しい。きっと男社会で生きてきた人なのだろう。私は一挙に関口先生に好意をもった。

会田先生も、やっと関口先生が話に乗ってきたから得意げだ。

「彼はナ、腰痛でもなんでも手だけで治しちゃうんだゾ」

そういうと、関口先生の顔の前にまた私の本をグッと差し出した。

「セキグチ、おまえどっか痛かったンだろ、治してもらえ」

そんな無責任なことをいって、私の施術を受けるようにすすめている。

「そうそう。昔から背中が痛くてネ。でもこれは手術しても治らないから」

関口先生は、どこかあきらめ気味の口調でそういった。しかし病院での治療の対象でないなら、原因は背骨のズレなのかもしれない。

「そうですか。でも原因不明で、手術しても治せない背中の痛みとくれば、背骨のズレのせいかもしれないですね。ちょっと背中を見せてもらってもイイですか?」

関口先生はダメ元だとでも思ったのか、だまってうなずくと私に背中を向けた。調べてみると、案の定、胸椎が1か所大きくズレていた。

「背骨というのは左にしかズレないんです。ホラ、先生もここが左にズレてます。これだけズレ方がひどければ、痛みも相当だったと思いますヨ。ちょっとだけ、骨をもどしてみましょうか?」

私に背骨のズレを指摘されて興味がわいたのだろう。関口先生は、「じゃ、頼みます」といってOKしてくれた。あくまでもていねいな人である。

私は関口先生のズレている胸椎に指を当てると、そっと矯正してみた。ところがほんのちょっとのつもりだったのに、スンナリと骨が定位置までもどってしまった。これなら症状にも変化がありそうだ。

「どうでしょう?痛みに変化はないですか?」

関口先生に確かめてもらうと、先生の表情が変わった。口が「オ」の形になったままで言葉は出ないが、痛みが消えているのだろう。矯正の効果に驚いているのがわかる。

その様子を横で見ていた会田先生は、「どうだ、すごいだろう」とでもいいたげだ。やけにうれしそうな先生を見ていると、ほんの少しだけ恩返しができたみたいで、私もちょっぴりうれしかった。(つづく)

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139

私は仕事が終わると、渋谷の街を抜けて駒場に帰る。いつもなら人混みを避けてマークシティのなかを通るのに、なぜかこの日は急に外を歩きたくなって、そのまま道玄坂に向かった。

ファッションビルの109あたりにさしかかったところで、点滅していた信号が赤になった。ボンヤリと交差点の向こうに目をやると、華やかな色合いの若者で混み合うなかに、何か黒っぽい影みたいな物がある。

「なんだアレ?」

黒い影は、ブラックホールみたいに私の視線を吸い寄せていく。目を凝らすと、信号機の脇に古びた藍染の作務衣を着た、初老の男が立っていた。

「なんだ、人だったのか」

人だとわかったあとも、まわりのキラキラした明るさとはあまりに対照的なので、彼から目が離せない。信号が変わると、彼はうつ向き加減のままこちらに向かって歩き出した。その動きを見た瞬間、頭のなかに電気が走った。

「会田先生だッ!」

黒い影に見えた男性がだれだかわかったら、あちらでも私に気がついて、パッと表情が変わった。

「おなつかしゅうゥ!」

先生の元へかけ寄った私の口からは、妙な言葉が飛び出した。あまりになつかしすぎて、ちょっと頭が変になったのだろう。

「イヤァ、なつかしいな、何年ぶりだよオイ!今どうしてる?」

会田先生も、顔をクシャクシャにして私との再会を喜んでいる。以前と変わらない先生の水戸なまりを聞くと、ひどくなつかしくて泣きそうだ。

先生には、私が美大生だったころに大変お世話になっていた。油絵科の学生だった私は、民俗学の会田先生から、民具の実測図の作図方法を教わっていたのである。

作図はおもしろい。美術の世界はオリジナリティーこそ命なのに、逆に作図では、オリジナリティーなど一切必要とされない。そういうところが、新鮮で魅力的だった。

民具実測図がたいそう気に入った私は、博物館などに出かけて行っては作図するほどのめりこんでいた。そんな私を見て、会田先生はわざわざ私の地元で、博物館員の職を探して世話してくださったのだ。

ところがいざ就職試験を受けてみると、あっさり落ちてしまった。出題の傾向が例年とちがいすぎたとか、ヤマがはずれたなんて言い訳するのも虚しい。結局のところ力不足だっただけだ。だがそれ以来、先生に顔向けできなくて疎遠になっていた。

思えばあれから20年以上が過ぎた。こんな恩知らずの私のことを、先生はずっと心配してくれていたらしい。実家に遊びに来てもらったこともあるほど親しかったのに、本当に申し訳ないことをした。

「イヤァ、これから急いで行かなきゃならん用事があってナァ」

先生はしきりに時計を見ては、ここで別れるのがいかにも名ごり惜しそうだ。

「近いうちに、必ず大学に遊びに来てくれ」

そういって手書きの名刺を私に握らせると、私とは反対の方向へ足早に去っていった。

あまりに短い時間のできごとだったから、先生から目を離すと、今再会した記憶が消えてしまいそうだ。私は先生の背中がまた黒い影になって、人混みのなかに消えてしまうまで見送った。

次の週になるとすぐに先生に電話して、大学に会いに行く日を決めた。当日は国分寺駅で西武線に乗り換えて、武蔵野にあるキャンパスまでやってきた。ここには卒業してから一度も来たことがないのに、あきれるほど違和感がない。

正門を抜けると、構内には学生たちのにぎやかな声があふれている。そこかしこに絵の具だらけのつなぎを着た子がたむろしていて、あのころとちっとも変わっていない。どこかに昔の自分がいるんじゃないか。そんな気さえしてきた。

あのときはまだ講師だった会田先生は、今では教授になっている。先生の研究室をのぞくと、天井までうず高く積まれた資料の隙間から、あの藍染の作務衣の端っこが見えた。

「オオォ~、来たか~~」

私に気づくと、先生は満面の笑みで改めて再会を喜んでくれた。2人は空白になっていたこの20数年間のできごとを、猛烈な早口で埋め尽くすと、近況までたどりついたところでようやく一息ついた。

そこで、当時私が熱中していた民具実測図の話から、最近使っている解剖図の話題になった。

「センセェ、解剖図は医学の基本なんだから、さぞかし正確なのかと思ったらちがうんです。縮尺や寸法といった大事な情報が入っていないんで、民具実測図どころか図にもなっていないんですヨ。あれじゃ役に立ちません」

私はつい、日ごろはぶつける相手のない解剖図への不満を、会田先生相手に話し始めていた。先生に甘えているような気もしたけれど、それを聞いた先生の目が、一層輝きを増した。

「ホォ~、民具実測図から解剖図まで行ったのか~。おもしれぇな~、美術から医学に発展するなんて、聞いたこともないナァ」

「イヤ、先生、解剖図というのはあのレオナルド・ダ・ヴィンチが、人体という立体を平面で説明するために考案したんです。だからそもそも美術のほうが、医学よりも先進的だったんですヨ」

自分が描いたわけでもないのに、私はダ・ヴィンチの功績をちょっと自慢げに説明した。さらにつづけて、現代の解剖図なんて、500年たってもいまだにダ・ヴィンチの作品には遠く及ばないのだ、などという話まで熱く語っていた。

「そうか!それなら今度、うちの学生に解剖図を描かせてみるか」

会田先生は私の話に大きくうなずきながら、しきりに感心している。そのとき何かひらめいたようで、いたずらっ子みたいにニヤリと笑った。

「そうだ、アイツを紹介しよう!」

先生は呆気に取られている私を置いて、いきなり部屋を飛び出した。

「オーイ、セキグチいるか~っ」

私があわてて自分の荷物を抱えて後を追うと、先生は何やら大声で叫びながら、すぐ隣の研究室へと飛び込んで行ったのだった。(つづく)

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138

「人は感情の動物だ」

そういったのはだれだっただろう。たしかに人は感情に支配されている。この仕事をしていると、そう感じることがある。感情の動物といっても、人の感情は動物みたいに単純ではないから、翻弄されることも多い。

来院される患者さんたちの反応は、実にさまざまだ。施術でアッサリと腰痛が消えて大喜びする人がいる。その一方で、逆になぜか不機嫌になってしまう人だっている。

治ったんだから喜ぶのが当たり前だなんて思っていると、そのたびにおどろくことになる。最初のうちは、この反応が理解できなかったけれど、今では「そういうタイプの人なんだな」と思うようにしている。

治って不機嫌になるのは、どうも男性に多いようだ。彼らの心のなかはどうなっているのだろう。長年さんざん痛みで苦しんできたのに、あんまりかんたんに治されてしまうと、私に「負けた」とでも感じて腹が立つのか。

もちろん施術で治ったときだけでなく、治らなかったときの反応だって、全く人それぞれだ。去年、知り合いの医師からの紹介で来院した若い男性2人は、おもしろいほど反応が真逆だった。

旅行ライターの牛島くんとアフリカ出身のモヨくんは、年齢こそ一回りほどちがうものの、仲の良い友人同士である。同じ腰痛もちということもあって、特に気が合うらしかった。

モヨくんは日本に来てまだ日も浅いから、牛島くんが付き添ってきたといっていた。ところがモヨくんは日本語で冗談もいえるし、私が日本語で背骨のズレの説明をしても、そのまま理解できていた。きっと賢い人なのだろう。

早速、彼の体を調べてみると、腰椎の3番目が大きくズレている。今日は初診だし外国の人なので、特に用心してごく軽く矯正してみた。すると、予想以上にパッとズレが消えてしまった。

背骨のズレには、矯正しやすいタイプとそうでないタイプがある。幸いモヨくんの場合は、特に矯正しやすいタイプのズレだったようだ。

ズレがなくなったので、本人に腰を確かめてもらうと、今までの痛みは完全に消えていた。

「へェ、もうこれで治っちゃったの?へェ~ヘェ~」

彼は立ち上がって、しきりに腰を曲げたり伸ばしたりしている。そうやって何度も確かめたけれど、やっぱり痛みは消えていた。

その様子をそばで見ていた牛島くんは、「次は自分の番だ!」と期待している。背中を診せてもらうと、モヨくんと全く同じ第3腰椎がズレている。

「友だち同士で同じところがズレてるンだネ」

私は彼の背中に指を当てた。しかし指先が軽く触れた瞬間、牛島くんは「イタッ」と声を張り上げた。思わず私は手をひっこめた。何が起きたのだ。

腰の骨の矯正をしようとして、「痛い」と声を上げる人はめったにいない。しかもまだ触るか触らないか程度の段階だ。痛みの感覚は個人差が大きいから、これで痛いようなら、患部からもっと離れたところから矯正してみよう。

ところが今度も、ちょっと指が触れた途端、牛島くんはまた「イタッ」と声を上げた。これでは矯正などできない。彼は極端な痛がりなのか。それとも何か特殊な病気でも隠れているのだろうか。

しかしこれまでに、彼はあちこちの整形外科で検査を受けてきているから、他に何らかの病気があるわけではなさそうだ。それなら特に痛みに過敏なタイプなのかもしれない。

以前、痛みに対して敏感すぎて、歯医者で治療中に失神した女性の話を聞いたことがあった。牛島くんにここで失神されても困るので、背骨の周辺に触るのはやめよう。

仕方がないので、脇腹のあたりから背骨に向かって、ジンワリと圧をかけてみた。これは、骨のもろい高齢女性などのときに使うやり方だ。この方法だと、さすがに彼も悲鳴は上げなかった。

そのまま少しずつズレに向かってやさしく圧をかけていくと、完全にではないがある程度まではズレが矯正できた。ズレの度合いにしたら半分ぐらいまでもどった感触だ。それでも彼は、腰の痛みには何も変化がないという。

「モヨくんはアッという間に治ったのに、なんで自分は治らないんだ!」

そう感じているのだろう。口には出さなくても、牛島くんは不満の表情をかくそうともしない。すっかり治ってニコニコのモヨくんとはあまりにも対照的だ。

残念だが、今回は初めてなので、緊張で反応が過敏になっている可能性もある。これ以上深追いするのもよくないから、また日を改めて施術することになった。

「ジャ、日曜にまた来るネ~」

モヨくんは明るくそういうと、ムッツリしたままの牛島くんを連れて帰っていった。

実は、ズレが矯正されて背骨が正常な位置にもどっていれば、その場で痛みが消えなくても、次の日や数日してから消えてしまうことはよくある。

施術する立場からすれば、その場で痛みが消えてくれればいいのに、と思うけれど、翌日になってから痛みが消える人の割合は非常に多いのだ。これはもう、痛みには慣性の法則が働いているンじゃないかと思うほどである。

どっちにしても、矯正によってズレが消えていれば、時間とともに痛みは引いていくものなのだ。

さて渋谷の街にも、どこかノンビリとした空気がただよう日曜の昼下がり、また牛島くんとモヨくんが2人そろってやってきた。前回は水曜だったから、中3日たっている。彼らの具合はどうだろうか。

「センセ~、あれからぜんぜん痛くないヨ!」

モヨくんは入室するなりそういうと、今日もニッコニコである。はじけるような笑顔で、こちらまでうれしくなってくる。

「そりゃヨカッタ、ヨカッタ」

背骨を調べてみると、たしかに全くズレていない。ズレを矯正しても、数日たつと、また少しもどってしまう人もいる。だがこれだけ定着しているなら、もう大丈夫だろう。

問題の牛島くんは、今日も見るからに不機嫌そうである。彼の話では、腰の痛みに変化がないどころか、前回の施術のあと、前よりももっと痛くなったといって憤慨している。

しかし背中を調べてみると、あのときよりも腰椎のズレ幅はかなり小さくなっていた。これで痛みがひどくなるとは思えないから、どこか違和感がある。そういえば、以前にも同じような人がいたのを思い出した。

あれはお母さんと2人で施術を受けに来た、30代の女性だった。お母さんはモヨくんと同じで、最初の矯正でスパッと見事に痛みが消えて大喜びしていた。ところがそれを横で見ていた娘さんのほうは、施術を極端に痛がった。

それだけでない。再来院したときに、前回の矯正のせいであれから痛みが増したといったのだ。そこで調べてみると、腰椎のズレは消えていて、ちゃんと骨は定位置に収まっていた。そもそも彼女の痛みの原因は、ズレのせいではなかったのか。

また私が触ると痛がるのはわかっていたので、彼女には「ごく軽い力で触りますヨ」といって、実際には全く腰には触れないままで、矯正したふりをしてみた。いわばエアー施術である。

それから数日たってから、彼女にどうだったか聞いてみると、また施術のあとで痛みがひどくなったといって、語気を強めて私に不満をぶつけてくる。それでわかった。私が触っていなくても痛くなるのだから、問題なのは施術ではなかったのだ。

いっしょに来ていたお母さんは、私の施術で自分はすっかり良くなっているので、娘の反応が理解できなくて、ひどくとまどっているようだった。

この一件を思い出した私は、牛島くんにも何度目かの来院の際に、エアー施術を試してみた。すると予想通り、彼もその施術のあとによけいに痛くなったといったのだ。

触れてもいないのに痛みが増すなんて、なんともふしぎである。よほど私と相性が悪いのか。理由はわからないが、これでは彼の腰痛には手出しできないから、私の施術はその日で終了した。

あれから1年ほどたったある日、いつものように仕事帰りに本屋に寄ったら、あの牛島くんの新刊本が目に止まった。これまでにも、彼は旅行エッセーの本をいくつか出していたから、見かけたら買うようにしていたのである。

ところが今回は、旅ではなく彼の腰痛の治療遍歴の本らしい。手にとってパラパラめくると、終わり近くに私の施術のことが書いてある。名前は出ていないが、つい先が気になって、そのまま読み進めてしまった。

ひどい腰痛で、どこの整形外科でも治らない。知り合いの医師に紹介された渋谷のカリスマの施術を受けたが効果がない。何度か通って、しまいには彼(私のこと)は特殊なサイキックパワーまで使って治そうとしたが、それでも治らなかったと書いてあった。

あのエアー施術をサイキックだとかんちがいしていたのか。それとも、ただ話としておもしろおかしく書こうとしただけなのか。

たしかに、牛島くんの腰痛を私が治してあげられなかったのは事実である。だけど、モヨくんの腰痛が治ったときに、背骨のズレと腰痛が起きるしくみを説明したら、納得してくれたはずだった。だがそんなことには一切触れていない。そればかりか、かなりこきおろした内容だった。

あんなに何度もいっしょうけんめい説明したのにナ。私が発見した現象の話も、理解してくれた気がしていたのにナ。そう思うとちょっと悲しい。私は彼の本をそっと棚に戻すと、ションボリと肩を落として家路についた。(つづく)

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あるとき会社で、「ワタシ、貧血で倒れそうなのォ」といって、まわりの男性社員の気を引こうとしている若い女性がいた。しかし男性陣の反応はすこぶるにぶい。

そこで古参のおつぼね様が、「フン、貧血ぐらいでナニよ。アタシなんか重度の金欠で、今にも倒れそうなんだからッ」といってのけた。その瞬間、男性たちからは、一斉に同情と共感の視線がおつぼね様へと向けられたのだった。

この話は、知り合いの北さんから聞いた彼女の実体験である。「男ってどうも共感能力が低いよね」と話していたのである。

たしかに女性のほうが、共感する能力は高い人が多い気がする。なかでも北さんは、女性のなかでも別格だ。がんで入院したときでさえ、自分のことよりも、つらそうにしているまわりのがん患者たちを励ましていたほどだ。

ところが彼女の二人の息子には、どうもその能力は受け継がれていないらしい。母を見て育っているはずなのに、男だから仕方がないのだろうか、という話になったのだ。

私は共感力だけでなく、痛みの感じ方にも性差があると思っている。もちろん、性差以上に個人差も大きいだろう。がまん強くて、めったに痛いなどとは口にしない人がいる一方で、ほんのわずかな痛みでも大げさに痛がる人がいる。

私の母などはその典型で、毎日のようにあちこち痛がっては、周囲から同情を集めようとするクセがある。母が高校時代に演劇部だったのを知っているから、これは演技じゃないかと疑うことすらある。

はたから見れば冷たいかもしれないが、本当につらいときの母は、逆に静かになってしまうので、騒いでいるうちは大丈夫だと思うようになったのだ。

痛みの原因がケガなら、ケガの程度によって、どれほど痛いのか想像がつく。しかしこれが腰痛となると、外から見ただけでは痛みの度合いがわからない。いくら痛いからといって、腰痛で死ぬことはないだけに、他人からは同情されにくい。

だが腰痛患者をたくさん施術してきた私には、体を触ってみれば、それがどの程度の痛みかはだいたいわかるようになった。

この間、腰痛で来院した若い男性は、これ以上ないほど暗い顔をして部屋に入ってきた。男性患者さんは暗いことが多いものの、彼はとびきり暗かった。その表情から察すると、かなりの痛みらしい。

途中で動けなくなったら困るといって、彼女に付き添ってもらって来院したほどなので、よほど重症なのだろう。

ところが体を調べてみると、拍子抜けするほど症状は軽かった。だが、ここで甘く考えてはいけない。神経が過敏なタイプなのかもしれないし、特別な病気の可能性もあるから、私は慎重になった。

しかし、ゆっくりと腰椎のズレを矯正していったら、難なく痛みが取れてしまった。彼の表情もわずかに明るくなってきたので、私もちょっと安心した。

それよりも、かたわらで彼を心配そうに見守っている彼女が、あまりにも体調が悪そうなのが気になっていた。

矯正のあとでしばらく雑談していると、彼女の話になった。まだ23歳だというのに、3年前に子宮頸がんの手術を受けていた。がんとしては初期だったらしいが、手術後は一度も病院で検査を受けていないというから、ますます心配だ。

おせっかいだとは思いつつも、「ちょっと体を診てみましょうか」と聞いてみると、「うん」と小さくうなずいて彼女は治療台に横になった。

かなりのやせ型なのに、おなかだけがポコンと飛び出ている。これはよろしくない。服のうえから子宮のあたりに触れてみると、明らかにがん特有の、あのイヤなザラつきが手に当たる。まちがいない。がんが再発しているのだ。

本人も、最近あまりにも体調が悪いので、薄々は再発を感じていたらしい。私が言葉を選びながら、手術を受けた病院で検査を受けるように伝えると、悲しそうな目をしてうなずいた。

ところがこのやり取りを横で見ていた彼は、今がどういう状況なのかが全くわかっていない。彼女のことよりも、自分の腰痛のほうが大事だといわんばかりに、「先生、まだちょっとだけ腰に痛みが」といって、会話に割り込んできた。

しかし、これは決して彼が特別に性格が悪いわけでも、自己中心というわけでもない。ただ、圧倒的に共感力が低いだけなのだ。しかも、手術したのだから、もう彼女のがんは完全に治ったと思いこんでいるのである。

彼女が体調が悪いことだって、彼にしてみれば「ツライならツライって、口に出していってくれなきゃワカンナイよ!」とでもいいたいところだろう。

がまん強い女性と察しが悪い男性。男女のやりとりで、それが問題になるシーンは珍しくはない。それでもやっぱり、「全くオトコってヤツは!」と思わんでもないのである。(つづく)

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136

「こりゃ、おいしい味の味がするナ」

ラーメンのスープに口をつけた菊池さんは、一言そうつぶやくと、今度は麺に箸を伸ばして一気にすすりこんだ。

ここは都内で有名なラーメンの人気店だ。テレビで情報を仕入れた桑本さんが、「ぜひ!」とすすめるので、勉強会の帰りにみんなで寄ってみたのである。

店の外にまで長い列ができていて、人気の高さがうかがえる。さすが食通で鳴らした菊池さんだ。スープを一口すすっただけで、人気の秘密を見破った。

たしかに、舌にビリッとくるこの味は、うまみ調味料と呼ばれる化学調味料なのである。「おいしい味の味」とはなんともうまい表現だ。

料理に化学調味料が入っていると、最後の最後までこの「おいしい味の味」が口のなかにまとわりつく。それを後味のよさと感じるかどうかは人それぞれだが、私には全くイイとは思えない。

ところが多くの人は、この味がしないと「うまい」とは感じない。自然の素材の味だけで「うまい」といわせるのは、不可能に近いほどむずかしいものらしい。だから、おいしいと評判のラーメン屋なら、必ず化学調味料を使っているのである。

知り合いのうどん屋さんも、つゆを仕込むときには、昆布や鰹節でていねいにだしを取ったあと、仕上げに化学調味料を使う。本人としては使いたくないが、自然素材だけでは味が一定にならないし、これを入れないと客も喜ばないのだという。「どんなにがんばっても、そういうモノなんです」と悲しそうに話していた。

この場合の化学調味料とは、人工的に作られたグルタミン酸ソーダ(MSG)のことである。MSGは神経伝達物質なので、私が子どもの時分には、お母さん方だけでなく学校の先生までが、これを食べると頭が良くなるといっていた。

ところがあるときから、化学調味料は石油からできているから、体に良くないといわれ始めた。そんなうわさを打ち消すためなのか、テレビCMでは「サトウキビから~♪」といって、自然食品っぽさを強調して宣伝するようになった。

自然なら安全だというわけでもなかろうに、自然や天然は安全で安心だと考える人は多い。そこが悲しいところである。

一方アメリカでは、化学調味料に対する風当たりが強まっている。あえて「MSGは使っていません」と表示する食品も増えているそうだ。MSGがそこまで嫌われる理由のひとつに、「中華飯店症候群」と呼ばれる症状の存在がある。

中華飯店、つまり中華料理屋では、化学調味料をふんだんに使っていることは有名だ。料理人の手元を見る機会があれば、おたまですくった白い粉を、鍋のなかにドサッと入れているのがわかる。

この状況は日本だけでなく、アメリカでも同じだったのだろう。その化学調味料たっぷりの中華料理を食べたあと、顔のほてりや頭痛なんかを訴える人が多かった。そこからこんな名前がついたようだ。

しかし実際のところ、なぜ中華料理を食べると頭痛になるのか、そのしくみはわかっていない。科学的な研究もされてきたが、実際のところ、化学調味料が原因かどうかの決着はついていない。

そりゃそうだ。そもそも頭痛の発症メカニズムすらわかっていないのに、正しい結論が出せるはずがない。

だが、病院で原因不明だとされた頭痛患者の首を見ると、頚椎の1番、2番あたりがズレていることが多い。そのズレを矯正したら、頭痛も消える。いたって単純なメカニズムなのである。

もし化学調味料を食べて頭痛になるのだとしたら、化学調味料がこの頚椎のズレを誘発していることになる。MSGが神経伝達物質であることから考えると、これは私にはすんなりと理解できる話だった。

何をかくそう私の母親は、化学調味料の絶対的信奉者である。アレが入っていない料理を食べると、「なにコレ、ダシが入ってないじゃない!」と本気で怒り出す。もちろん食卓には、常に赤いフタの小ビンを常備して、他人の器にまで勝手に振りかける。

そんな母は、ひんぱんに頭痛に見舞われている。頭だけでなく、常にあちこち背骨がズレていろいろな症状が出る。胸椎が大きくズレて、心臓発作みたいな症状まで出ていたころもあった。そのたびに大騒ぎして病院にかけこむが、原因不明のままである。

あれが全部、化学調味料のMSGのせいだったとしたら、発症のタイミングから見ても、私にはおおいに納得できるのだ。

そんなことを、知り合いのユウタくんに話してみたことがある。彼は大手の広告代理店に勤務しているだけあって、頭の回転がすこぶる速い。私の発見や研究内容にはいつも好意的で、何かあれば積極的に応援しようと考えてくれている。

ところが今回は反応がちがった。「化学調味料が怪しい」と口にした途端、眉間にシワを寄せ、「そりゃダメだ」と即座に否定した。

彼としては、別に私の話を否定したいわけではない。化学調味料を否定すると、大スポンサーであるあの大企業を敵に回すことになってしまう。だから、私の説を支持するわけにはいかない、という意味なのだ。

広告代理店に勤めている以上、それは当然だろう。もちろん私も、彼に文句をいうつもりなど全くない。仮に私の説が100%正しかったとしても、今の日本で「おいしい味の味」を否定するのは、なかなかむずかしい状況なのである。

それはそれとして、「次に帰省したら、母に化学調味料を使うのはやめるようにいわなくちゃ」、そう思っていた。ところが先日、実家に帰ってみると、なんと一斗缶入りの化学調味料が、台所のすみにデンと置かれていた。よりによって、このタイミングで一斗缶である。

「なんで一斗缶?」
「どういうこと?」
「どう見たって家庭で使う量じゃないよね」
「おっかさんは中華料理屋でも始めるつもりなの!?」

頭のなかではさわがしく言葉がかけめぐっているのに、口からは言葉が出てこない。だが缶の前で呆然と立ちつくす私を見て、かんちがいしたのだろう。母は満面の笑みを浮かべると、「たくさんあるから、少し持って帰りなさい」といって、化学調味料をせっせと小分け袋へと移し替え始めた。

「まさか、そんなモノいらないヨッ」

そういおうとした瞬間、母の横にいる父が必死の形相で、「逆らうな!」と私に目配せしているのに気がついた。

ここで母に逆らったらどうなるか。長年連れ添った父には痛いほどわかっている。烈火のごとく逆上した母からの火の粉をかぶるのは、東京に帰ってしまう私ではない。家に残された父なのだ。

それを訴える父の目を見たら、とても母に向かって「ノー」とはいえない。私は母から手渡された袋を、だまってリュックに詰めるしかなかった。

こんな怪しい白い粉を持っていたら、空港の手荷物検査で引っかからないだろうか。空港へと向かう電車のなかで、今は母の頭痛のことなんかよりも、ただそれだけが気がかりなのだった。(つづく)

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