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「お~い、セキグチいるか~っ」
会田先生はそう声をかけると、返事も待たずに隣の研究室に入っていった。私も先生にくっついて部屋に入る。この部屋も会田先生の部屋と同じだ。本やら箱やらあれこれ積み上げたモノが林立していて、まるでジャングルだ。
会田先生に呼ばれて、そのジャングルの主が奥からヌッと顔を出した。密林にはふさわしくない、やさしげな印象の男性だ。これがセキグチ先生か。
「オー、いたいた」
会田先生は、狩りの獲物でも見つけたみたいにニカッと笑う。
「ヤァ~、君に紹介したい人がいてナ」
相手の都合なんか気に留める様子もなく、先生は一方的にまくしたてる。セキグチ先生も、突然の乱入におどろくわけでもなく、「いつものこと」という風に静かに笑っている。
「セキグチ」こと関口先生は医師でもあるが、この大学では文化人類学を教えているそうだ。「どうして人類学?」と思ったら、彼は世界中の未開の地を探検し、現地住民と起居をともにして研究してきたからなのだという。
その探検はテレビ・シリーズにもなっていて、かなり有名らしい。しかしテレビをもっていない私は、彼の存在を全く知らなかった。
そんな関口先生に向かって、会田先生は私のことを力を込めて説明している。だがつい今しがた、20数年分のできごとをまとめて話したばかりだから、話があちこち飛んで一向に要領を得ない。
「ま、そんなわけで、彼は美術家としての技術でもって、人の体の左だけに現れる現象を発見してナ、今はそれを民間療法に応用して活躍してるんだ。ホラ、こんな本まで出してるんだゾ」
会田先生は、私が持ってきた例の本をかざしながら一気にそこまで話すと、私にバトンタッチするように目配せした。全くもってありがたい紹介っぷりである。私は気恥ずかしさをまぎらわすように、「じゃ会田先生、ちょっと献体を」とお願いした。
さきほど会田先生に左起立筋の異常について説明したとき、先生の起立筋の左側が盛り上がっているのは確認済みだった。
「献体を」といわれた会田先生は、「お、献体?そうか、そうか」と大乗り気である。そそくさと作務衣の上着を自分でめくり上げると、関口先生に背中を向けた。
会田先生の背中を使って私が説明していくと、関口先生はいかにも医師らしい手つきで、会田先生の起立筋を軽く押して、左右の感触のちがいを確かめている。
「ナァ~、左が盛り上がってるだろ~。オモシレ~よな~」
ふつうなら、左起立筋の異常を指摘された人はみな不安がるものなのに、会田先生はなぜか楽しそうだ。
私がつづけて、起立筋だけでなく肩甲骨やウエスト、尻などにも左側だけに異常が現れていることを説明していくと、それまでだまって聞いていた関口先生の顔がパッと輝いた。
「そういや、キン●マも左だけ下がってるよな!」
とうとつに大声で「キ●タマ」といってのけた彼の、そのためらいのなさが清々しい。きっと男社会で生きてきた人なのだろう。私は一挙に関口先生に好意をもった。
会田先生も、やっと関口先生が話に乗ってきたから得意げだ。
「彼はナ、腰痛でもなんでも手だけで治しちゃうんだゾ」
そういうと、関口先生の顔の前にまた私の本をグッと差し出した。
「セキグチ、おまえどっか痛かったンだろ、治してもらえ」
そんな無責任なことをいって、私の施術を受けるようにすすめている。
「そうそう。昔から背中が痛くてネ。でもこれは手術しても治らないから」
関口先生は、どこかあきらめ気味の口調でそういった。しかし病院での治療の対象でないなら、原因は背骨のズレなのかもしれない。
「そうですか。でも原因不明で、手術しても治せない背中の痛みとくれば、背骨のズレのせいかもしれないですね。ちょっと背中を見せてもらってもイイですか?」
関口先生はダメ元だとでも思ったのか、だまってうなずくと私に背中を向けた。調べてみると、案の定、胸椎が1か所大きくズレていた。
「背骨というのは左にしかズレないんです。ホラ、先生もここが左にズレてます。これだけズレ方がひどければ、痛みも相当だったと思いますヨ。ちょっとだけ、骨をもどしてみましょうか?」
私に背骨のズレを指摘されて興味がわいたのだろう。関口先生は、「じゃ、頼みます」といってOKしてくれた。あくまでもていねいな人である。
私は関口先生のズレている胸椎に指を当てると、そっと矯正してみた。ところがほんのちょっとのつもりだったのに、スンナリと骨が定位置までもどってしまった。これなら症状にも変化がありそうだ。
「どうでしょう?痛みに変化はないですか?」
関口先生に確かめてもらうと、先生の表情が変わった。口が「オ」の形になったままで言葉は出ないが、痛みが消えているのだろう。矯正の効果に驚いているのがわかる。
その様子を横で見ていた会田先生は、「どうだ、すごいだろう」とでもいいたげだ。やけにうれしそうな先生を見ていると、ほんの少しだけ恩返しができたみたいで、私もちょっぴりうれしかった。(つづく)
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